ブローディア夏
俺の自転車は石間には小さいような気がしたけど、石間がいつも乗っているやつに比べればマシかな。
石間のこぐ自転車の後ろに、初めて俺は立ち乗りした。
そっか。しらなかったけどこんな小さな段差にも足がぶれて踏み外しそうになるんだ。
「大丈夫か」
「ああ」
段差を斜めに上がった石間は、すいすいと暗い通学路を進む。俺が指を指さなくても、どの交差点で右折するとか覚えているみたいだった。
「石間」
「なに」
小さい声で呟いたつもりが、石間には聞こえてしまったみたいだ。張り上げた石間の声は、少しだけ楽しげだった。
さっきまでの怖くも意地悪でもあるような眉間のしわは、きっとない、って感じの。
「母さんになんて言おうか」
「弁当箱の話か?」
「うん。多分石間の頼みならきくよ母さん」
「げ、俺がいうのかよ」
「罰ゲーム罰ゲーム」
「なんの!?」
「俺を泣かせた罪」
「泣いたのか」
「うそだよ」
「俺いま泣いた」
「じゃあ学校で手を握った罪」
「木野は、人通りの多いとこで大声でそれを言っちゃう罪」
「一瞬だから大丈夫」
「俺だって一瞬だった」
もう怒ってないのかと聞いたら、最初から怒ってないよと言われた。
「やきもち焼いてただけ、だから」
「ただいま」
「こんばんは」
結局、母さんは二つ返事で俺たち二人分の弁当箱を洗ってくれた。
中身の紙やアルミはくの仕切りは捨ててしまっていたけど、「どっちがどっちのかわからなくなった」という理由は実は母親という生物には通用していないような気もした。笑って石間の分の包みを返してきたから。
「母親って偉大だな」
「石間がいなかったら一言加わるはずだけどな」
「そうかな」
「石間も偉大だ」
俺の部屋の布団の塊を引き伸ばして座った石間は、ふうっと天井を見上げた。もうプラネタリウムはしまい込んでしまったけど、俺は二人で見た嘘んこの天体を覚えている。
「木野」
「なんだ」
「さっきの話だけど」
「怒ってないのはわかったよ、俺こそごめん」
石間は俺を見た。
あのネコのまくらが、石間の手の平に変に潰されて捻くれている。
「なにが"ごめん"?」
「なにっていうか」
察せよ。俺なんかが女の子から貰っちゃったとか、隠したとか、そういう諸々に決まってんだろ。
「その子のこと好きとか」
「はあ?」
「そんなんじゃないよな」
「(考えてもみなかった問いだ)」
石間はまた溜め息をついて、教室でのように肩を落とした。
鈍感野郎、と皮肉な笑みを浮かべられて、そのかっこよさにムカつきつつ俺は鈍感なんかじゃないってのに。
「石間、俺の話聞いてた?」
「どの話」
「普段やきもちやいてんのは俺だ」
「はあ? でも俺だって嫉妬したんだよ」
「でもそう気付いたのは俺が教えたからだろ」
「嫉妬なんかを木野に教わりたくねえんだよクソっ」
「クソ言うなバカ」
「うるせえ。お前全然わかってない」
「分かってる」
「分かってる?」
いつの間にか石間は俺の胸倉を掴んで息を切らせていた。
「俺を鈍感だと思うの」
「………」
ふん。
「石間」
「なに」
「明日誕生日なんだってな」
「う」
石間の白くなった指を掴んで、ぎゅっと握った。ゆるまったころ、その手を膝に確かめるようにゆっくりと置いた。
部屋のドアは開いたままだった。
「母さん、石間今日、泊まって行くから!」
強引に事を進めてから気付く。ちょっと後悔っていうか。
「あの、石間、頼むから怒るなよ」
「……怒る……かもしんない」
そう言って石間は、もう一度俺の胸倉を掴んだ。
キスは、二回目だった。
おわり