むべやまかぜを 2
絶望。絶望的な作品を。三重野たちはなんでそんなことを言い始めたのか。稼ぐのは斉藤女史。極論をすれば斉藤女史以外の人間はいてもいなくても同じ。三重野はもちろん、ほかの連中もいくらでも取替えがきく。若いアルバイトを雇ってそいつらに仕事を割り振ったほうが経営的にはプラス。それがみんな分かっている。それがみんな分かっているのだ。だから拗ける。一方で、そうやって拗ける連中の全員が業界に対する気が狂ったような執着心を抱えている。三重野も高原も神田もそしてゲイ雨宮も、オタク業界にしがみつきたいと思っている。著名なゲームのプロデューサーやアニメの監督と同じ舞台に何としても乗っていたい。そこから下りたくない。神様がそれを望んでいないことはみんな理解している。自分たちにはヒット作を作り、業界の風雲児になるという逆転の目が残っていないことは、三重野達も分かっている。分かりきっているのだ。それでもその場にあり続けたい。
夢。眩い夢――。
たいして稼げもしないどうでもいい業界からはさっさと足を洗うほうが賢明という小娘の正論は三重野たちには通らない。三重野たちは違う。三重野たちは何としても業界に生息し続けたいのだ。だが、実力が無い。実力がまったく無い。一流どころか、二流にすらなれない。何も作れず、何も描けず、何も語れない。何の才能にも恵まれない。だから拗ける。
奇をてらった、
『衝撃的な作品』
の意味は結局それ。手を伸ばしてもどうしても届かない憧れ。同じ業界で働いている人間なのに自分たちは栄誉に浴することはない。同僚の女性イラストレーターにすら届かない。
『記録よりも記憶』という言葉に対して、
――売れるもん作ったほうが良いんじゃないの?
と言った丸山花世の言葉に、雨宮がイライラしたように『そんなことはない』と反論したのも、そのような『絶対に突破できない閉塞感』を感じていたから。
だが、そんなことは丸山花世には関係のないことなのだ。と、いうか、それは三重野たちの個人の問題。誰かが代わることが許されない運命。雨宮や神田が小便に行きたくても、それを丸山花世が代わってやれないのと同じ。
だから丸山花世は言う。
「いーじゃん。グラップラーなんかなくなったって。あんな会社なくなったって消費者はどうってことないよ」
暴言に斉藤女史は固まっている。