むべやまかぜを 2
丸山花世は不意に言った。
「ん、何?」
「サイトーさんって、本名、なんていうの? 下の名前」
「亜矢子です」
「斉藤亜矢子。ふーん。亜矢子ね。うん。分かった」
物書きヤクザテキトーに三、四回頷いた。
「で、なんだっけ?」
「……うん。そうね。ちょっと歩かない?」
「歩くって……駅、すぐ、そこなんだけど。まあ、いいや」
人間、回り道をしたい時があるのだろう。丸山花世は道草ばかり食っているので、そういう心情が分からないのだが。
秋葉原の駅前は平日、九時過ぎということで人の流れが途切れがちである。ちょっと淋しい夜の街。ネオンの明かりが派手な分だけ余計に物悲しい。斉藤亜矢子は会社の方角、万世橋の方角に歩き始める。丸山花世もそれに続く。
「……」
誘っておきながら斉藤亜矢は口数が少ない。
「……ねえ、丸山……花世ちゃん?」
「何?」
「……うちのスタッフって、やっぱり、相当おかしいかな」
三重野。高原。雨宮。そして神田。
「私はほかのところ、あんまりよく知らないし」
「おかしいかどうかは知らんがジクジグスパトニックみたいだよね」
「ジグ……はあ?」
突然奇妙な呪文を唱えた丸山花世にイラストレーターは目を見張っている。
「ああ、ジクジグスパトニックっていうのは、イギリスのパンクバンドで……八十年代ぐらいの? なんかすげーキモい奴らで『俺達はスーパースターだ!』とか喚いたりしてて、顔に変なパンストみたいなのかぶったり。とにかく、小心な癖に自己顕示欲だけは強い、そんな連中。でも、メンバー全員が楽器を弾けなくて……」
「メンバー全員が楽器、弾けないの?」
「うん。誰一人として。楽譜も確か読めなかったんじゃなかったっけ? でも、自分たちはスターで億万長者になるとか言ってて。で、レコード会社を買収して嫌いな、自分たちよりも売れているアーティストをクビにしてやるんだとかいきまいて」
「……そんなことできるの?」
「さあ。できなかったんじゃねーの? だからいつの間にかいなくなっちまった。今、あいつら何してんだ?」
パンクな娘のテキトー発言に、べれったは笑って良いのか悪いのか思案顔である。