拝み屋 葵 【肆】 ― 師道隘路 ―
* * *
―― 話は現在に戻る。
「お師匠はん、手抜きしはったな」
師への悪態は現状の確認に過ぎない。
鎮魂の儀、鎮魂の舞。それは、型通りに踊れば良い、というものでは決してなく、盗み見たところで会得できるものではない。それを葵は身を以って知っている。会得に費やした一週間を振り返れば、昇る朝日にも涙するほどだ。しかし、僅かでも心得を持つ者が藁をも掴む思いで観察すれば、大なり小なりの手掛かりは確実に得ることができる。
葵は悟る。これは師の恩情による手抜きである、と。
葵は思う。恩情が向けられた先は、管理者の一族か、ご神木となった霊木か。そのどちらであったとしても構いはしないのだが、毎度毎度どうして大事な一言が足りないのか、と。
とは言うものの、大体のところは察しが付いていたりもする。
いわば不可抗力というやつで、葵は実際に何も知らないのだから、“不祥事”の責任を、少なくとも全責任を負わされることはない、というわけだ。
その“不祥事”である少年の姿をした正体不明の何者かは、葵の目の前で不敵な笑みを浮かべて挑発を続けていた。
しかし、葵は相手が小物であることを看破していた。看破したが故に、師の手抜きに思い至ったのだ。
「坊(ぼん)。ここ、部外者は立入禁止や。はよ出て行きなはれ」
葵は視線を外し、舞によって乱れていた装束を手早く整えた。相手にしていない、挑発しても無駄だ、という意思表示だ。
「おれだっておまえに用はないよ」
挑発を無視された負け惜しみで、会話が噛み合っていない。
「ウチかてあんたに用はあらへんさかい。散歩を続けたったらよろし」
「この木に用があるんだよ」
この瞬間、葵に主導権を握られてしまったことに少年は気付いていない。
「へぇ?」
「この木のせいで、たくさんの人が苦しんでる。みんなを助けるんだ」
葵の顔色が変わる。
「おれにはその力がある!」
「アカンて!」
少年は霊木に向かって右腕をかざし、葵はそれを止めようと飛び掛る。
だが僅かに遅く、少年がかざした腕からは少年漫画で見るような光線が放たれ、それは一直線に霊木へと向かって進んだ。
葵が飛び掛り押し倒したことで、放たれたのはほんの一瞬。だが、葵の横目に映ったその光は、霊木の内に留まる欲にまみれた魂を、確実に消し去る威力を持っていた。それによってもたらされる結果は、成仏ではなく消滅。光を当てられた影が、ただただ消えてゆくように。
少年もろとも地面に倒れこんだ葵は、うつ伏せにした少年の腕を取って身動きができぬように押さえ込んだあと、霊木を確認すべく注意を飛ばした。
「心配ない、すべて防いだ」
身体のあちこちから煙状の何かを立ち昇らせた鉄(クロガネ)であった。
「ただ、吾には暫しの休息が必要」
「おおきに」
鉄は苦しげに微笑んで葵に応えると、その身体を徐々に透明にして消えていった。
鉄の帰還を見届けた葵は、自分の身体の下でもがく少年に注意を戻す。反応速度や身体の動き、もがく際の筋力などのあらゆる事象が、戦闘訓練の類を一切受けていないただの小学生であることを告げていた。
「ほんなら、まずは名前から教えてもらおかいな」
「うっせぇ! 離せよブス!」
葵はにっこりと笑う。
「痛い痛い痛い!」
「この木のこと、誰に聞いたんや?」
「夢で見たんだよ」
「夢やて?」
少年は湯川大樹(ゆかわ ひろき)と名乗った。
近隣の小学校に通っていること、物心が付いたときから周りの人間には見えていないものが見えていて、先ほどの光線は、漫画やアニメを見ながら練習を続け、つい最近になってようやく出せるようになった、と話した。
夢については、この神社のこの木が内部に悪霊を飼っている、是非とも退治して、この世界を救って欲しい、君は選ばれた人間なのだ、とお告げような内容であったと言った。
嘘は言っていないと感じた葵は、少年・大樹の言葉を信じた。
人はこの世に生を受けしとき、あらゆる可能性と素養を持って生まれる。勿論、程度の差はあるが、人ならざる存在“魔”と関わる能力もその一つに含まれる。
進化の過程で“魔”と関わる能力を減衰させてきた人類は、子供から大人へと成長してゆく過程で、その能力と素養とを消失させる。ただし、世のすべてには例外が存在する。その一例を挙げるならば、常に周囲の顔色や気配を窺い続けなければならぬ生活環境で、その近隣に“魔”が存在する場合だ。
少年・大樹は、小学校の登下校時にこの神社の傍を通る。
何かの拍子に波長が合えば、魂が交信方法を覚える。或いは、思い出す。切っ掛けはほんの些細なこと。しかしそれは、奇跡に等しい出来事でもある。
「せやから、あんたは選ばれた正義のヒーローやあらへんねん」
「だって夢で!」
葵と大樹は、神社の一角にあるひっそりと佇む小屋に移動していた。
六畳一間のこの小屋は、鎮魂の儀を行う巫女が精神統一などの事前の準備を整えるための場所であり、厳重に締め切ることで外部との関わりを完全に断つことができる。
「それは潜在意識やな」
「洗剤一式?」
「そうそう、頑固な油汚れも一回の洗浄でピッカピカに、ってそれは主婦の味方や!」
「……」
「……」
ごほん、と咳払いが一つ。
「深層心理、や。自分では気付かれへん内面のことや」
「おれが自分で見たくて見た夢ってこと?」
「そんな感じや。他人には見えへんもんが見えるさかい、自分を特別やと考えてしもたんも仕方あらへんことや。問題はそのあとや。あんた、その力で攻撃できる“悪”を勝手に作りあげててん」
「相手はバケモンじゃんか! おれにはバケモンを退治する力があるんだ! バケモンを退治して何が悪いんだ!」
叫ぶ大樹の姿に、葵は昔の自分を垣間見ていた。
修行は辛かった。まともな休息も与えられず、寝具に入って眠りに落ちるまでの僅かな時間が唯一自由な時間であった。
夢の中でさえも修行漬けであった日々。小学校という場所には一度も行かなかった。否、行けなかった。
そんな中、実践訓練として対峙した魔性を、葵は問答無用で消滅させようとしたことがあった。そして、そのことを叱責する師に噛み付いた。『何のための修行なのか、力を得るための修行ではないのか、化け物を退治するための力ではないのか、その力で退治して何が悪いのか』と。
葵は自分を特別だと思いたくはなかったが、そう思わざるを得なかった。それは、小学校の存在を知ってしまったためだ。普通の子供が通う小学校という場所の存在を、自分とは違う“普通の子供”の存在を知ってしまったためだ。
―― 話は現在に戻る。
「お師匠はん、手抜きしはったな」
師への悪態は現状の確認に過ぎない。
鎮魂の儀、鎮魂の舞。それは、型通りに踊れば良い、というものでは決してなく、盗み見たところで会得できるものではない。それを葵は身を以って知っている。会得に費やした一週間を振り返れば、昇る朝日にも涙するほどだ。しかし、僅かでも心得を持つ者が藁をも掴む思いで観察すれば、大なり小なりの手掛かりは確実に得ることができる。
葵は悟る。これは師の恩情による手抜きである、と。
葵は思う。恩情が向けられた先は、管理者の一族か、ご神木となった霊木か。そのどちらであったとしても構いはしないのだが、毎度毎度どうして大事な一言が足りないのか、と。
とは言うものの、大体のところは察しが付いていたりもする。
いわば不可抗力というやつで、葵は実際に何も知らないのだから、“不祥事”の責任を、少なくとも全責任を負わされることはない、というわけだ。
その“不祥事”である少年の姿をした正体不明の何者かは、葵の目の前で不敵な笑みを浮かべて挑発を続けていた。
しかし、葵は相手が小物であることを看破していた。看破したが故に、師の手抜きに思い至ったのだ。
「坊(ぼん)。ここ、部外者は立入禁止や。はよ出て行きなはれ」
葵は視線を外し、舞によって乱れていた装束を手早く整えた。相手にしていない、挑発しても無駄だ、という意思表示だ。
「おれだっておまえに用はないよ」
挑発を無視された負け惜しみで、会話が噛み合っていない。
「ウチかてあんたに用はあらへんさかい。散歩を続けたったらよろし」
「この木に用があるんだよ」
この瞬間、葵に主導権を握られてしまったことに少年は気付いていない。
「へぇ?」
「この木のせいで、たくさんの人が苦しんでる。みんなを助けるんだ」
葵の顔色が変わる。
「おれにはその力がある!」
「アカンて!」
少年は霊木に向かって右腕をかざし、葵はそれを止めようと飛び掛る。
だが僅かに遅く、少年がかざした腕からは少年漫画で見るような光線が放たれ、それは一直線に霊木へと向かって進んだ。
葵が飛び掛り押し倒したことで、放たれたのはほんの一瞬。だが、葵の横目に映ったその光は、霊木の内に留まる欲にまみれた魂を、確実に消し去る威力を持っていた。それによってもたらされる結果は、成仏ではなく消滅。光を当てられた影が、ただただ消えてゆくように。
少年もろとも地面に倒れこんだ葵は、うつ伏せにした少年の腕を取って身動きができぬように押さえ込んだあと、霊木を確認すべく注意を飛ばした。
「心配ない、すべて防いだ」
身体のあちこちから煙状の何かを立ち昇らせた鉄(クロガネ)であった。
「ただ、吾には暫しの休息が必要」
「おおきに」
鉄は苦しげに微笑んで葵に応えると、その身体を徐々に透明にして消えていった。
鉄の帰還を見届けた葵は、自分の身体の下でもがく少年に注意を戻す。反応速度や身体の動き、もがく際の筋力などのあらゆる事象が、戦闘訓練の類を一切受けていないただの小学生であることを告げていた。
「ほんなら、まずは名前から教えてもらおかいな」
「うっせぇ! 離せよブス!」
葵はにっこりと笑う。
「痛い痛い痛い!」
「この木のこと、誰に聞いたんや?」
「夢で見たんだよ」
「夢やて?」
少年は湯川大樹(ゆかわ ひろき)と名乗った。
近隣の小学校に通っていること、物心が付いたときから周りの人間には見えていないものが見えていて、先ほどの光線は、漫画やアニメを見ながら練習を続け、つい最近になってようやく出せるようになった、と話した。
夢については、この神社のこの木が内部に悪霊を飼っている、是非とも退治して、この世界を救って欲しい、君は選ばれた人間なのだ、とお告げような内容であったと言った。
嘘は言っていないと感じた葵は、少年・大樹の言葉を信じた。
人はこの世に生を受けしとき、あらゆる可能性と素養を持って生まれる。勿論、程度の差はあるが、人ならざる存在“魔”と関わる能力もその一つに含まれる。
進化の過程で“魔”と関わる能力を減衰させてきた人類は、子供から大人へと成長してゆく過程で、その能力と素養とを消失させる。ただし、世のすべてには例外が存在する。その一例を挙げるならば、常に周囲の顔色や気配を窺い続けなければならぬ生活環境で、その近隣に“魔”が存在する場合だ。
少年・大樹は、小学校の登下校時にこの神社の傍を通る。
何かの拍子に波長が合えば、魂が交信方法を覚える。或いは、思い出す。切っ掛けはほんの些細なこと。しかしそれは、奇跡に等しい出来事でもある。
「せやから、あんたは選ばれた正義のヒーローやあらへんねん」
「だって夢で!」
葵と大樹は、神社の一角にあるひっそりと佇む小屋に移動していた。
六畳一間のこの小屋は、鎮魂の儀を行う巫女が精神統一などの事前の準備を整えるための場所であり、厳重に締め切ることで外部との関わりを完全に断つことができる。
「それは潜在意識やな」
「洗剤一式?」
「そうそう、頑固な油汚れも一回の洗浄でピッカピカに、ってそれは主婦の味方や!」
「……」
「……」
ごほん、と咳払いが一つ。
「深層心理、や。自分では気付かれへん内面のことや」
「おれが自分で見たくて見た夢ってこと?」
「そんな感じや。他人には見えへんもんが見えるさかい、自分を特別やと考えてしもたんも仕方あらへんことや。問題はそのあとや。あんた、その力で攻撃できる“悪”を勝手に作りあげててん」
「相手はバケモンじゃんか! おれにはバケモンを退治する力があるんだ! バケモンを退治して何が悪いんだ!」
叫ぶ大樹の姿に、葵は昔の自分を垣間見ていた。
修行は辛かった。まともな休息も与えられず、寝具に入って眠りに落ちるまでの僅かな時間が唯一自由な時間であった。
夢の中でさえも修行漬けであった日々。小学校という場所には一度も行かなかった。否、行けなかった。
そんな中、実践訓練として対峙した魔性を、葵は問答無用で消滅させようとしたことがあった。そして、そのことを叱責する師に噛み付いた。『何のための修行なのか、力を得るための修行ではないのか、化け物を退治するための力ではないのか、その力で退治して何が悪いのか』と。
葵は自分を特別だと思いたくはなかったが、そう思わざるを得なかった。それは、小学校の存在を知ってしまったためだ。普通の子供が通う小学校という場所の存在を、自分とは違う“普通の子供”の存在を知ってしまったためだ。
作品名:拝み屋 葵 【肆】 ― 師道隘路 ― 作家名:村崎右近