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拝み屋 葵 【肆】 ― 師道隘路 ―

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「せやったら、ウチに退治されても文句は言わへんねんな」
 師は言った。私に殺されても文句は言わんのだな、と。
「なんでそうなるんだよ!? おれはバケモンじゃない!」
 そして葵は答えた。自分は化け物ではない、と。
 目の前の少年は、幼く愚かであった昔の自分にぴったりと重なる。
 葵は微笑む。かつて、師がそうしたように。
「せやったら、やめとくわ。ウチもバケモンやないによってな」
「え?」
 大樹は呆気に取られた顔で、間の抜けた声を出した。
「もう行きいや。あんたがおったら、着替えられへん」
「え? でも」
「なんやあんた、ウチの着替え見たいんか?」
 ブスの裸なんか興味ねぇよ、と呟いた大樹は、葵の脳天締めによって悲鳴を上げたのだが、小屋は完全防音を施されているので、外部には一切洩れなかった。脳天締めとは、フリッツ・フォン・エリックの必殺技・アイアンクローの別名である、ということを補足しておく。
「やめたんじゃ……なかったのかよ」
 大樹は涙目で抗議した。左右のこめかみをおっかなびっくり擦っている。
「ウチの悪口を言うたからや」
「ホントのこと言っタタタタタタ!」
 葵の脳天締め再び。
「その力は使ったらアカンで。ほんで、この神社にも近づいたらアカン」
「イタタタ! 分かった! 分かったから! 分かりましたから!」
 大樹の頭から手を離した葵は、そのまま肩を掴んでムリヤリ反転させると、大樹のまだ小さな背中を、ぽん、と押した。
「戻ってきたら、アカンで」

 *  *  *

「……っちゅうのんが、今回の経緯どすねん」
 三十畳はあろうかという大きな部屋。その中央で正座する葵は、奥にある簾の向こうからの返事を待った。
 結局のところ、大樹と出会った日に行った鎮魂の儀は、葵が予想した通りに失敗していた。そのため、翌朝を待ち今度は慎重に抜かりなく執り行い、管理者の一族に盗み見させる、という点も含めて達成し、その報告が終わったところだ。
「お師匠はん?」
 返事がないことを怪訝に思った葵は、簾の向こうに呼び掛けた。
「いや、すまん。時の流れに思いを馳せておったのだ」
「いつになくセンチメンタルどすな」
「弟子の成長を喜ばぬ者はおるまい」
 葵は、きょとん、としたあと、にっと白い歯を見せて、嬉しそうに笑った。
「どうした?」
「初めて褒めてもろた気がしましてん」
「そうだったかな」
「お師匠はん。ウチ、拝み屋を主体にやっていきたいと思います。せやから、院に通わせてください」
 師は、仙を目指し修行に集中する道と、義務と責任を負う代わりに安泰を得られる管理者の道とを示した。葵は、拝み屋として、社会の一員として、一人の人間として生きる道を選んだのだ。
「思いのままにせよ」
 師の言葉は、いつも通りの調子で、何を考えているのかは分からないが、ただほんの少しだけ、嬉しそうであった。
「今度とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしゅうお頼み申します」
 葵は背筋を伸ばて姿勢を正し、静々と頭を下げる。
「そのことなのだが」
 直後、実に気まずそうに発せられた師の声に、葵は全身を戦慄させた。
「もう教えることはない。今後は、実際に経験して見識を深めるのだ」
「それ、今までとまったく同じどす」
「そうだな……師範代にでも、なってみるか?」
「そないに軽く言われはっても」
 しゃ、という歯切れの良い音と共に簾が上がる。
「実はさ、ここに戻ってきてから、新しく弟子を取れってうるさく言われてんだよね」
「せやから簾は上げたらアカンて……」

 *  *  *

「というわけで、湯川大樹君ですぅ〜」
 ぶりぶりとした白々しい物言いをしているのは、式神・薄(すすき)だ。
 メガネを掛けた文学少女、という形容がこれ以上なく当てはまる彼女は、その移動能力の高さから主に重宝され、最も頻繁に呼び出されている式神である。ちなみに、地球上のどんな場所へも三十三分以内に到達できる、マッハ二十を超える移動速度を持つ。
 傍らの葵は、苦笑いのまま固まっていた。
 木漏れ日に照らされたオープンカフェの一席では、ほんの数日前に葵が遭遇した少年・湯川大樹が、緊張した面持ちで座っている。明らかに誰かを待っている様相だ。
 葵は、詳しいことは依頼人に直接聞け、という師の言に従って、待ち合わせ場所であるこのオープンカフェを訪れていた。
 葵が詳細を知らされることなく現地へと向かうのは、そう珍しいことではない。何も知らされぬ、ということは、直接当事者に触れ、一から十まで自分で考え、それに従い行動することを許されている、ということだ。それは、この上ない信頼の証とも言える。
「えっとですねぇ〜」
 薄は、右手の人差し指を頬に当て、左手で肘を抱き、首は右側に四十五度で傾けるという、相変わらずのぶりぶりとした白々しい仕草である。
「説明、必要ですかぁ?」
 にぱっと笑う薄。
「せやな、いろいろ説明してもらおかいな」
「ヒロ君はぁ〜、霊木の影響でぇ〜」
「基本に忠実なんはええけどな、そんなボケはいらへんわ」
 薄は、そうですか、と残念そうに口をつぐむ。
「ほら、袖触れ合うも他生の縁と申しますでしょ?」
「まともな説明を期待したウチがアホやった」
 がっくりとうな垂れる葵の耳元に、薄はそっと囁く。
「詳しいことは知りませんが、ヒロ君の方から指名があったそうですよ?」
「なんでやねん」
「修行したいのではないですかぁ?」
「嵌められた! お師匠はんに嵌められた!」
「いよっ! 師範代!」
「うっさいわ!」
 見上げれば秋の空、天高く鳶が鳴く。

「ところで、あんた、そないなキャラやったっけ?」
「大人の事情ですぅ」

 ― 『大きな妖の木の下で』 了 ―