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拝み屋 葵 【肆】 ― 師道隘路 ―

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 *  *  *

「あの祠は、蠱術になってたんどすわ」
 葵は空になったばかりの抹茶アイスの容器をテーブルの端に移動させた。その横では、大樹がハンバーグ&エビフライ定食を頬張っている。
 三人は、市営住宅の近隣にあるファミリーレストランに移動していた。
 ガラス窓の外に広がる駐車場の向こうに、連なった市営住宅の五階部分が頭を出している。
 この一帯は典型的なベットタウンであり、その周囲を取り囲むようにして多数スーパーマーケットや大型ディスカウントストアが出店している。
「コジュツと言いますと?」
「蠱毒っちゅう言葉なら聞いたことありますやろ?」
 吉村は、あぁ、と小さく頷いて話の続きを待った。
「怪異の正体は、土地の提供者やった一人の女性どすねん。そない言うても本人やのうて、残留思念とか残存意思とか、そんなヤツなんどすわ。本人がこの世に置いて行った未練、と言えば分かりやすいんちゃいますか」
「えぇ、分かります」
「その未練が、求めを受けて力を得たんや。母の愛という魔性の力を」
「賛成派だけに怪異が起こることは、私も不思議に思っていました」
 吉村は嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。守られていた喜びと、危害を与えてしまった悲しみとが混在しているのだ。
「解決するんは簡単や。これは過去形で言うべきやな。簡単やったんや。反対派の不安を取り除いてやったらええだけやってん」
「それができないから紛争になっているんです」
 吉村は抗議の視線を送った。何も知らない部外者が好き勝手に物を言うな、そんな怒りに近い感情が込められていた。
 葵は何事もなかったかのように平然と受け止め、反対に吉村に問い掛ける。本当にできなかったのか、と。
 射抜く視線でも包み込む視線でもない。見抜きも見通しもしない。威圧もしなければ見放しもしない。葵の発するそれは、鏡だ。
 吉村は言葉を失う。先ほど大樹がそうであったように。
 一呼吸おいて、葵が口を開く。
「護符でも念仏でも、祈祷でも結界でも、ウチが直接手を下したんなら、すぐにこの怪異騒ぎは収まるさかい。せやけど、そないなことして誰が救われるんやろか」
 怪異が消えれば、明日にでも工事が再開されるだろう。それを耐え切ったとしても、最後には行政代執行によって強制退去させられる。
 改築が滞りなく進めば、代替住宅で暮らす人たちはその分だけ早く戻ってくることができる。遅れれば、その分だけ代替住宅での生活が長くなる。
 だが、怪異を消し去ることが代替住宅で暮らしている賛成派に良い影響をもたらすかというと、必ずしもそうではない。意見を蔑ろにされた反対派の恨みが消えず、新たな火種を生むことにもなろう。
 葵が口にするのは綺麗事だ。少しでも社会という名の現実を知っているならば、それがどれだけ甘い幻想であるのかすぐに分かる。すぐに分かるということは、それが理想であることを誰もが知っているということだ。誰もが知っておきながら、誰もが目を逸らしているということだ。
 葵という鏡に正対した者は、目を逸らしている自分の姿を見ることになる。それからも目を逸らすか、その事実を受け入れるかは、本人次第。
 鏡は鏡。過去も未来も示さない。ただ現在を映し出すだけだ。
「もう一度、掛け合ってみます」
「おかあはんも喜びなはるやろ」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。

「もしかして、前の方もそれを私に伝えたかったんじゃありませんかね? 時間が経てば均衡が崩れる仕掛けだったんですよね? だとしたら、私に気付かせる時間を与えてくれたのではないでしょうか?」
「それはあらへんな」
 葵は寂しそうに笑う。仮にも同業者。悪く言うのは躊躇われる。
「なぜ?」
「蠱術になってたからや」
「コジュツってなんだよ」
 ハンバーグ&エビフライ定食を食べ終えた大樹が、オレンジジュースを片手に会話に参加する。
「エビフライのしっぽを食べたら教えたる」
「なんだよそれ、しっぽカンケーねーじゃん」
 大樹はひょいひょいとエビフライのしっぽを口に放り込んだ。
「食べられるやんか」
「食べられないわけじゃないよ。美味しいと思えないから食べないだけ。歯に詰まるし」
「さよけ」
「さぁ教えてくれよ。コジュツってなんだよ」
「蠱毒を用いた呪詛のことを蠱術と呼ぶんやー」
 葵は投げやりに説明する。
「それがこの件にどう関係しているのでしょうか?」
 吉村が身を乗り出して葵に迫る。
 少々面食らいながら、葵は説明を続けた。
「狭義の蠱毒は、壷や器の中で毒虫同士を喰い合わせて、最後に残った一匹を使って呪いを掛けるっちゅうやつなんどすわ。広義やと犬神や猫鬼なんかも含まれるんやけど、一から十まで説明しとったらキリがあらへんから、詳しいんは省かせてもらいますさかいな。ほんで、重要なんは“閉鎖空間に複数の強い攻撃性を持った存在を閉じ込めておく”ことなんどすわ。この条件下であれば、強度の差はあれど蠱毒が完成するんや」
「へー」
 大樹は何度か頷いて見せたが、その実あまり分かってない。
「ヒロみたいに負けず嫌いなんばかりが集まったら、みんな頑張るやろ。その中で一等になったんは、そんだけ優秀やっちゅうことや」
 大樹はまだ理解しかねている。
「蠱毒については分かりましたが……」
 吉村は語尾を濁す。それがこの件にどう関係しているのか、と同じ質問を繰り返すことになるのを躊躇ってのことだ。
「祠の中に人形があったやろ? アレはただの媒介やってん。本来は無害な浮遊霊や動物霊が集まって、一つの意思があるかのように振るまう集合霊やったみたいやな」
「つまり?」
 吉村は結論を求める。
「あの場所に縫い付けられて、どこにも行かれへんようになっててんな。閉じ込められてんのと同じや」
「それで蠱毒に……?」
「怪異の原因やったおかあはんの残留思念も、蠱毒の範囲に含まれてもうたんや。前に説明したように、地の利があって圧倒的優位に立てるさかい、その気にさえなれば負けることはあらへん。せやけど、生きてる人間とは違うんや。一度“その気”になって攻撃性を強めてしもたら、そう簡単に元には戻られへんねん。吉村はんたちがなんぼ頑張って問題を解決しても、や。そんなん本末転倒もええところやんか」
「では……」
「本人は一切意図してへんかってんやろな。上手く利用して解決したったでーいう感じで今も得意満面なんやないかな。誰一人として救われてへんのに」
「アオイは蠱毒を作れる?」
「作れるで。ウチだけやない、誰にでも作れる。例えば学校のクラス内で競わせるんもそうやし、受験かてそうや。ひろーーーい目で見たら、蠱術はそこら中に存在してるんや」
 蠱術や巫蠱といった呪詛の類は、西暦七五七年に制定された養老律令の第六篇・賊盗律によって禁止されている。平安期に入ってからも蠱術の類を禁止する法令は度々発令されている。それだけ効果がはっきりと出る呪詛であったということだろう。
「なんだか、怖いね」
「そうや、怖いんや」
 葵は、柔らかく笑った。