小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

拝み屋 葵 【肆】 ― 師道隘路 ―

INDEX|14ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 
「でもさ……バケモンはバケモンじゃんか」
 幼い大樹とて、自身の内にこれぞという正義がある。だからこそ、魔性を、妖を、それらに準じる一切の存在を消し去るべく、そのために必要な実行力を身に着けるべく、葵への弟子入りを志願したのだ。その正義に懸けて、はいそうですか、と受け入れるわけにはいかない。
「有名な陰陽師が言うてはったことやけど」
 葵は足元の小石を拾い上げ、大樹の目の前に差し出す。
「これは石や。石は石で、ただの石でしかない。せやけど、投げつければ武器になる。敷き詰めれば道になる。磨けば光りもする。お守りだと言って渡せばそうなるし、大切な思い出の品にもなるんや。せやけど、石そのものには善も悪もあらへん。石は石で、ただの石やねん」
 大樹は葵が差し出した石を黙って受け取る。
「石は石で、ただの石」
 そう何度も繰り返しながら、葵から受け取った石を見つめた。
 葵はただ静かに何かを言うこともなく大樹を見守っている。
「バケモンはバケモン……善も悪もない……?」
「魔性そのものは、善でも悪でもない。善と捉えるんも悪と捉えるんも人の心次第やし、善になるんも悪になるんも人の心次第やっちゅうことや」
 大樹は手中の石をぎゅっと握った。
 大樹の思う正義は揺るぎないものであった。揺るがないはずであった。その思いは今も変わらない。変わっていない。――そのはずなのに。
 葵が言っていることが間違っているとはとても思えない。学校で習う算数のようなきっちりとした答えは出ていないけれど、その答えが何であるのかはっきりと示されてはいないけれど。――それでも。
 大樹の内にある“正義”の二文字に広がった波紋は、収まるどころかそのうねりを強く大きなものへと変貌させていった。
「ぅ…あ……」
 了解でも拒否でもない。大樹がやっとの思いで搾り出した声は、言葉にならない言葉となった。
 葵の右手が大樹の左肩に置かれる。
 大樹は、金縛りが解けたように一度だけ身体を大きく痙攣させると、顔をくしゃくしゃにして葵に抱き付いた。
 とめどなく溢れる涙をそのままに、泣いた。とにかく泣いた。
 なぜ涙が溢れるのかは分からない。
 なぜ泣いているのかも分からない。
 涙は、込み上げた感情が姿を変えて外に現れたものだ。

 *  *  *

「吉村はん」
 葵の声が、凛と響く。
「怪異の正体、ご存知なんですやろ?」
 吉村は何度も渋ったあとに、重々しく口を開いた。
「……はい」
「せやろな」
 葵は微笑んだ。それはそれは悲しそうに。

「この場所は、もとは一人の女性が所有する土地でした」
 吉村が話し始めると、大樹も葵から離れて話に耳を傾けた。
「その女性は、若い頃に家族全員を事故で亡くしてしまい、天涯孤独の身の上でした。親戚はいたのかもしれませんが、本人は天涯孤独だと。この土地が市営住宅建設計画の候補地になったときは、『持っていても仕方が無いから』と快く提供してくれたのだと聞きました。天涯孤独ゆえに、でしょうね」
 吉村は、六号棟の向こうから一号棟の向こうまで視線を泳がせた。
「土地を提供するにあたって、『自分と同じように行くところの無い人たちを迎え入れる、そんな場所にする』という約束が取り交わされていたと聞きました。しかし、実際には……」
 吉村は言葉を濁した。
「お役所の辛いところやな」
 市営住宅は、他の一般住宅に比べて格段に家賃が安い。そのため、入居はくじ引きによる抽選となる。家賃は年収の金額によって増減し、一定の年収を超えている場合は入居することができないように決められていた。
 しかし、年収は自己申告。同じ役所で管理しているのだが、実際の収入との突き合せが行われることはなく、数千万の自宅を購入してから退居する世帯や、複数台の高級車を所持する世帯など、実際には市営住宅に入る必要の薄い世帯が多く入居していた。つまり、生活に困窮していない世帯だ。
 それらの世帯は、改築されることで多少家賃が上がっても、それほど生活に支障は生まれない。それどころか、他の一般住宅より家賃が安い上に新築になるのだから、反対する理由は無いに等しい。
「建物は老朽化していましたから、改築自体は全員一致でした。しかし、具体的な改築計画が発表されて家賃が上がることが判明すると、賛成派と反対派とに分かれてしまったのです。そして、怪異が起き始めました」
「怪異の被害を受けたんは、賛成派ばかりやったんやろ」
「そうです。怪異は反対派の仕業だと」
 葵と吉村は、既知の事実を読み上げるように淡々と言葉を交わした。
「賛成派は強行策に出ました。代替住宅への転居を早めたんです。市は賛成派に協力しました。市役所の人間である私は、従うしかなかったんです」
「ほんで、退魔師を呼びなはったんか?」
「私は呼んでなんかない!」
 傍で聞いていた大樹は、吉村が唐突に大声を張り上げたことに驚いて身を竦めた。
 吉村は、失礼しました、と一言詫びを入れてから仕切り直す。
「私は案内をしただけです。本当は案内だってしたくなかった」
「それを聞いて安心してはると思うで」
「誰がです?」
「怪異の正体、吉村はんのおかあはんに決まっとるやんけ」
 一瞬の沈黙のあと、吉村は葵に驚きの視線を投げた。
「知っていたんですね。あらかじめ調べておいたんですか?」
「いんや、さっき本人に教えてもろたんですわ」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。

「昔々のお話や。若くして膨大な遺産を相続した女の子は、身寄りのない子供たちのために孤児院を作ったそうや。その孤児院はもうあらへんけど、そこで育った子供たちは全員自慢の子供たちや、と言うてはりましたわ」
「血縁も養子縁組もありませんが、私たちはあの人の子供です」
「我が子らが心配で現世から離れられへんかってんて。そこに、子供たちが助けを求める声が聞こえてきて、力を求めてしもたんや。助けるために求めた力やったけど、その力は本来なら持つことのない他を排除する力。魔性や」
 にこやかに話す葵とは対照的に、吉村の顔は硬く強張っている。
 このような深刻な内容を笑いながら話された場合、普通ならば不謹慎であるとして不快感を覚えるだろう。しかし、葵の笑みは安心感を与えるためのものであり、それが通じる相手かどうかの見極めは、とっくに終わっている。
「母が魔性に?」
「まぁまぁ、焦ったらアカンよ。話は意外に複雑やねんから、場所を変えてゆっくり話そか」
「複雑……ですか」
 吉村の顔に、困惑とも悲嘆ともとれない色が浮かんだ。
「もとは単純やってんけどな、この祠がややこしゅうしてくれとんねん」
 葵は、背後の祠をびしりと指差した。