主よ。すべての光に祝福を。
「けど、こんな不出来でもいいと言ってくれるんだ。あいつらは。こんな私でも愛すと、そう言ってくれるんだ。私にはそれが、必要とされたことが、何よりも――普通と同じ一人の女と見られたことが堪らなく嬉しいんだよ、ヨリ」
……なんだよ。満足そうな顔しやがって。
なんだかその顔が、羨ましいと思ってしまう自分がいる。気に入らないと思っている自分がいる。正直、複雑で、僕にもよく分からなかった。
「はん。モテる女の余裕ってやつかよ」
で、やっと出せたのがこれだ。なんだこれ。完全に負け惜しみのセリフじゃないか……。
「でもダメだ」
「何がさ」
「多分、あいつらは私を愛してくれても……きっと私の目にはなれないんじゃないかな」
虚ろな目が僕を見て言う。別に見られているわけじゃないのだからどうってことはないのだけど……なんだか無意識に目を逸らしてしまう。
「ヨリ、ちょっとこっちに来てくれ」
「どうしたんだよ。中庭の方になんかあるのか?」
フェンスの下では、昼休みを全力で満喫する生徒たちの図。
すると、彼女の手が横に並んだ僕の肩に添えられる。
「前にも言ったよな、ヨリ。お前にこうしていると、真っ暗で何も見えないはずなのに、光なんて見えないはずなのに、不思議とさ……見える気がするんだって」
完全に盲目の彼女の瞳は、生まれてからこの方光を捉えたことは一度もない。
ならば本当に、見えているのだろうか。この広く狭い箱庭のような世界が。彼女の目にはどう映っているというのだろうか。
「一々。そういえばさ、お前……手術、断ったんだってな」
「……ああ」
僕の一番のモヤモヤに、やっぱり彼女は平然と答えた。
「親父から聞いた。そんなに外の世界に憧れてるんなら、どうしてだよって思うのが普通だろ」
僕の父親が携わっている最先端の医療技術。今や、「不治」なんて言葉すら掻き消してしまうのではと思わせる医療の発達は、完全盲目の目に光を与えることすら出来てしまうらしい。
しかし彼女は、そんな僕の父親の勧めを、目の前に降ってきた希望を断った。
確かにリスクを伴うし、成功する確率だってお世辞にも良いとは言えないけれど。それでも、
「お前にとっちゃこっちの世界はそれほどの危険を冒してまで来るべきところじゃないからか」
しかし彼女は首を振る。
「言ったろ。お前がいるところに危険なんか感じないよ」
「それじゃあ! ……いつまでも不自由でいるって言うのかよ。可能性が目の前にあるなら――」
ぴたと、彼女の指が僕の言葉を遮った。そしてそのまま指が上へ登っていき……――華麗に鼻フックである。
ふがっ。
なんだなんだ。
ひとしきり鼻を弄んだら額、次いで耳を触り、頭を撫でられ、両頬を引っ張られたところで流石に引き剥がした。
「馴染みのある輪郭。うん。これがヨリの顔だ」
「人の顔で遊ぶなよ」
「――ヨリ。確かに私は、この目で不便だったかもしれない。お前を含め周りの多くに世話と迷惑をかけてきた。本音を言えば、今この場ですぐにでも開いて欲しい。見たいよ、見てみたい。みんなが見ているものと同じものを。一緒に見て、同じ感動を味わいたい。目が見えるようになるのなら私は、この命だって秤にかけてやる。それすら構わないと思ってるくらいだ。――だけど、それでも。ヨリ。私は別に、今を不自由だと嘆いたことは、一度だってないんだ」
そう言うと彼女は、もう一度僕の顔を触る。今度は優しく。なぞるように。自分にやったように、顔から首へ、肩へ、腕を、胴を、腰を。目の前の僕という存在の全てを確かめていくように、ゆっくりと。
「ヨリ、少し背、伸びたな」
「マジで?」
「声も入学したときに比べて大分変わった」
「流石に変声期はとっくに過ぎたしな」
「けど時々視線を逸らす癖は昔から相変わらずみたいだな」
「そんなことまで分かるのかよ!?」
「と、つまりこういうことさ。慣れ……というのもあるのかもしれない。けどご覧の通り、人並みとまではいかないにしても不自由はしていないよ」
それに、と空を仰いで彼女は続ける。
「この広い空の下に生きていて、何に不自由しろって言うんだ?」
そう言って――空というものを見たことがない、しかし知っている盲目の少女は爽やかに笑ってみせた。
……正直に言うと、その笑顔に面食らって「クセーよ」とすら言えなかった始末である。
「なあヨリ。お前、医者目指すんだろ?」
「どうしてそうなるんだよ」
胸の内を勢いよく突かれた気がして、ついまた目を逸らしてしまった。
「……たまたま親父が医者だからってだけだろ。その息子も必ず医者になるとは限らねえよ。もしかしたらならないかもしれないだろ?」
「なるかもしれない。けどな?」
意地悪く笑いながら、彼女は身支度を済ませていた。
気が付けばもう、昼休みも終わりの時間。
「あ」
すると、何かを思い出した様子の一々の体が止まった。
「ヨリ。そういえばまだ私が手術を断った理由、ちゃんと言ってなかったな」
「え。だって」
それは、不自由はないからと、さっき言っていたんじゃないのか?
「いいや。私は諦めてなんかいないよ。たださ……――はは。これも、私のワガママで独りよがりなんだ」
苦笑いを浮かべながら、恥ずかしいなぁとボヤく彼女に、僕は正直驚いた。
常に何事に対しても平然と構えている彼女が、あの一々が、『照れ』ている……?
「夢……というのか、希望というのか。私はさ、目が見えるようになるなら……――ヨリを一番最初に見たいんだ」
それは、心臓を鷲掴みにするような言葉だった。
声が出なかった。
息も出来なかった。
空いた口が塞がらなかったから、もしかしたらヨダレは出たかもしれないけれど。
「けど今手術を受けたら、私の望みは叶わないだろ?」
待て。
こいつ、リスクとか成功率とか無視して直ることを前提に物を考えてやいないだろうか。
どれだけ前向きなんだか。
いや、こんな性格だからこいつは、今のこいつなんだよな。
生まれてから、真っ暗闇の中で当てもなく、途方もない。そんな視界で心が潰されないのは、ひとえにあの性格の賜物か、それともその逆か。
「だからさ、いつかお前が私の目を治してくれ。そうすればきっと、目が開いたら、産まれて初めて目にするのは、誰でもない、お前になる。――ああ……それは、すごくいいな」
昼休みが終わる、チャイムがなる。
「さ。私たちも戻ろうか。……ヨリ?」
……は。馬鹿馬鹿しい。あんなに悩みまくっていたのが馬鹿らしくなって笑いたくなってきた。
情けないな僕は。
簡単な話だったんだ。
「ヨリ? おい、どうした? 大丈夫か? おーい」
僕がするべきことは、最初から分かりきっていたことなのに。
「……一々」
「お。帰ってきた」
ま。そういうのも、別に、それほど、悪くないかもしれないな。
作品名:主よ。すべての光に祝福を。 作家名:八雲珈琲