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ヨスガラ

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沈黙を破ったのは、まるで悲鳴のような声だった。咄嗟にリュカが振り向くと、そこにはうつくしい金の巻き毛をした、かれの母が立っている。エドワードの脇をすり抜けて、彼女はリュカの傍まで駆けよってきた。

「『命だけは取らないであげて。お願い』でしたっけ?」

彼女の身体を、およそ似つかわしくない埃塗れの床の上に縫いとめたのは、息子の鋭い声音であった。一瞬で再び時計台を沈黙が支配する。アルバートの細い指が本の頁を捲る音だけが聞こえる。

「『あれはかわいそうな子なのよ。ほら、時計台があるじゃない。あの中に入れておけばいいわ。フローリアもあそこには怖がって近寄らないでしょうから―――…』」

かれの周囲を取り巻くのは、先ほどとは比べ物にならないほどの重量感であった。魔術の匂いがする。リュカは床を蹴って無様に後ずさることしか出来なかった。安楽椅子を中心に、ゆっくりと邪気が渦巻いていくのがわかる。

「『おじい様だってそうしたのよ』、と、母さんだって言っていたじゃないですか」

王妃が何かを言うよりも恐らくは魔術書であろうアルバートの手にした本がひとりでに浮かび上がるほうが早かった。近衛兵が彼女を抱えあげ、後方へと避難をする。めきめきとこの古めかしい時計台が悲鳴を上げているのが、中心近くにいるリュカにもよくわかった。

「リュカ!こっちへ来るんだ!」

エドワードが叫ぶ。それにリュカは、従う以外の選択肢を持たなかった。無様なものだと思う。必ずかれの助けとなろう、そう決めたのに、従属する以外の生き方を知らぬリュカの身体は容易に友を見捨てようとしていた。

「リュカを俺から遠ざけて。俺が独りでは何もできないと、皆そう思っていたんだろう」

言葉尻はほぼ絶叫だった。駆け出そうとしたリュカの震える足が、まるで凍ってしまったように動かなくなる。何時しかリュカの両頬を、ぼろぼろと涙が伝っていた。真っ黒の邪気が少しずつ勢いを増し、リュカの動かない足に近づいてくる。中心でアルバートがどんな表情をしているのか、リュカには見えなかった。だめだアルバート、そんな魔法を使ったら、きみの身体は耐えられない。そう叫びたかったが、恐怖で口は開かなかった。
リュカは余りにも無力だった。

「いっそ、殺してくれればよかったのに」

リュカの足が闇に取られる寸前、呟くようなアルバートの声と共に音を立てて魔術書が落ちた。それで糸が切れたようにあれだけ勢いのあった邪気が消え、そして、苦しそうにアルバートが咳きこむ。咄嗟に膝をつき立ち上がりかけたリュカの横に、まるで枯れ木が斃れるようにしてうつくしい金糸が散った。

「アルバート、」

リュカの咽喉が震え、その名を吐き出す。誰ひとりとして動けずにいる静まり返った時計台のなか、リュカは自分の心臓が早鐘を打つ音をひどく煩く感じていた。

「アルバートぉおお!!」

木目の上に、目に刺さる深紅が広がっていく。視界のなかそれが近付き、遠ざかり、そして、見えなくなった。




アルバートが目を覚ますと、そこは城にあるおのれの自室であった。ずいぶんと長い夢を見ていた。それは、身体が丈夫になったアルバートが木に登り、妹に林檎を取ってやる夢である。思い出して、すぐに忘れた。夢とはそういうものである。
そして、ゆっくりと時計台での一幕を思い出した。開いた魔術書にこの身体が耐えられなかったことを思い出す。耐えられなくてよかったかもしれない。もし自分に妹ほどの魔力があったなら、時計台は愚か城まで吹っ飛んでいたかも―――。思いながら、アルバートは自分がまだ城にいることを意外だと感じた。てっきり座敷牢に閉じ込められるのかと、そんなふうに思っていた。フローリアを次期国王の座につかせんとする一派がアルバートを疎んじていることを、かれはよく知っている。

もしもアルバートの身体が丈夫になってしまったら、禄に魔法を使えない、国を守れない者が王になってしまう。ならば今のうちに殺してしまったほうがいい。もっともだ、とアルバートは思っていた。なら誰か、ひと思いに刺せばいいものを。
こんなふうにアルバートが思うようになったのは、かれが名実ともにひとりぼっちになってからだった。アルバートは病に伏すことが多かったから、妹がすでに与えられている騎士団すら持たない。唯一の友も、妹の下に仕えることになり、そして、それを受け入れた。
アルバートにとってそれは一つの転機でもある。それは、強くなければなにも持てないのだという実感を認める転機であった。

「…痛、」

寝台の上に身体を起こすと、肺が痛んだ。あれだけ無茶をしたのだから当然だろうか。魔法を使うにはとても体力を使う。身体は限界に近いはずであった。どれくらい眠っていたのだろうか。そういえば誕生パーティはどうなったのだろう。フローリアに無理をさせているのではないか、そんなことを思った。アルバートは妹を深く愛している。彼女が幸福なら、王位などいらないし、元々王になるつもりもない。

「アルバート、具合はどうだ?」

間近で声をかけられ、そろそろと視線を横に動かすと、目を真っ赤に腫らせたリュカが寝台の傍に座っていたことを知った。アルバートはゆるり首を振り、胸の痛みが引くのを待つ。それから、顔を上げて訊いた。

「フローリアには、俺のことをなんて説明したんだ?」

想像をしなかった答えだったのか、リュカは僅かに面喰った顔をした。それからアルバートの背中を撫でる。思ったより身体の痛みがひどくないことを、アルバートは意外に思った。

「本棚が崩れたのに巻き込まれたと。…王妃様が、説明なさった。今は誕生パーティに出ているよ」
「そうか…、よかった。お前は行かなくていいのか?」

フローリアが大人しく祝福を受けているとは考えにくい。妹がどんなふうに暴れているのかを思い浮かべて、アルバートは小さく笑みを浮かべた。彼女は無条件にアルバートを愛したし、アルバートも無条件に彼女を愛している。たとえ彼女がアルバートにないものを全て持っていたとしても、彼女は無二であり、魂の片割れなのだ。

「いい。それより、アルバート、昨日のことは…」
「言っただろう。今日に合わせて俺を殺す計画があった。前にお前と時計台に行った時に持ってきた本のなかに魔術書があったから、何か身を守る方法がないか探しにいって…そのあとはお前の知っているとおりだ」

そして目の前のかれについて、アルバートは複雑に思っていた。かれはずっとアルバートに良くしてくれたが、それは、かれが執事であったからだ。確かに友人だと思ってくれてはいたと思うが、王族と執事の子という高い垣根を越えるほどの友情ではなかった。そういうふうに、アルバートは判断をしている。自らの置かれた状況を客観視することに関してはアルバートはプロといってもよかった。生まれてからのこの十五年は、かれを似つかわしくないほど達観視させてしまっている。

だから、そんなリュカにこんなふうに以前のように接せられ、アルバートはつらかったのだ。以前のように、俺だけはずっとお前の味方だと、そんなことを言いそうな顔で、リュカはアルバートの背中を撫でている。

「俺は、どうなる?何か聞いているか」
作品名:ヨスガラ 作家名:シキ