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ヨスガラ

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かれの腕の中では、出遅れたフローリアがばたばたともがいていた。一度だけそれを肩越しに振り返り、転げるようにしてリュカは走る。目指すは無論時計台だ。背後でわあっと、少女の泣き声がした。

リュカは実のところ、既に一度時計台へと足を踏み入れたことがある。その時はリュカが少年を背負い、階段を上った。数代前に起こった忌まわしい出来ごとのせいで、今では時計台へ足を踏み入れるものはいない。そんなことは百も承知でアルバートは、塔に昇る、といった。時計台には以前、とある罪人が閉じ込められていたという。罪人とは言いながらも高貴な身分であった彼、もしくは彼女はそこで山ほどの蔵書に囲まれて軟禁生活を送っていたようだ。そんな罪人は王子であったとも姫であったとも伝えられている。つまり身内を飼殺した塔である。何があったかリュカは詳しくはしらないが、そこでその罪人は息絶えたらしかった。

アルバートが望んだのはその蔵書を読むことである。身体の弱いかれには、確かに読書のほかにすることなどはなかった。子供のうちが一番魔法を使いやすいから、と、ふつう、子供たちは子供のうちに魔法を使いこなす訓練を受ける。だがアルバートにそれは赦されなかった。かれは騎士に憧れて剣を振ることも、魔術師に憧れて魔法の鍛練をすることも出来なかったのである。

だからリュカはかれに色々な話をした。剣術の稽古で、初めて年上の剣士を負かしたときのことも、かれの妹が初めて大きな魔法を自在に操ったときも、それらを請われるままにアルバートに話をした。いつも楽しそうにそれを聞いていたアルバートが、それらに憧れていたことは想像に易しい。

かれは、きっと子供が新しい遊び場を探すように、冒険がしたかったのだろう。

その供に選ばれてリュカは嬉しかった。いけないことと分かってはいながらも、かれに言われるままにそこへと登った。埃っぽいだけで、そこには魔物もいなければ幽霊もいない。ただ本だけが山ほどあるだけだった。それでもアルバートにとっては大層な宝の山だったようで、こっそりと何冊かを持ち出していたようだ。アルバートはかれが楽しそうだったので、それでいい、と思っていた。つまらないとはおくびにも出さなかったし、口にもしなかった。
無論、かれが望むのならかれを背負って何度でもあの塔へ入ろうとも思っていた。それが禁じられていようと、関係のないことだった。だけれど今回、アルバートはリュカを誘ってはくれなかった。たったひとりで行ってしまった。それに、どうしようもなく胸が苦しくなる。

リュカはかれやフローリアの父に仕える執事のこどもだ。無論、長じてはかれらの執事となるのだろう。漠然とだが、リュカはそう思っていた。フローリアはリュカにとても優しかったし、アルバートはリュカの親友だった。それはアルバートが分別の出来る年となり、かれらを様付けで呼ばなくてはならなくなってからも変わらないと、そう勝手に信じていたのだ。

だが、リュカが命じられたのはフローリアの世話役であった。かれら兄妹ではなく、フローリアの傍にさえいればよい、とそう命じられた。それはフローリアがあまりにもおてんばだったからか、それとも、アルバートが身体も弱く妹ほどに魔法の力も持たない、そんな子供だったからかは、リュカには分からない。

確かなことはそれから、アルバートがリュカに冷たくなったことだけだった。

廊下を駆け抜け、外庭へと飛び出すと昼下がりのうららかな陽気が一層橙色を増しているのに気付いた。堀の向こうに見える街は酷く騒がしい。いつも通り、活気に満ちている。静かで穏やかな中の様子とはあまりにもかけ離れていた。

リュカが住んでいるこの建物は、街の人々からは王宮と呼ばれる位置付けであった。アルバートとフローリアの父親が、この国を治めている。

この国は豊かでうつくしい。嘗て精霊の里に最も近いとされ、現にこの国を建立したのはひとと精霊の間の子であったと言われているが、そのせいかこの国の民は皆容易く魔法を遣いこなすことが出来た。普通の人間ならば習得に何年もかかるような大きな魔法でさえ、シチューを煮込み風呂を沸かすために使われているのだ。

その魔法の力を様々な道具に応用し、素晴らしい機械を作り上げる者。その力を頼りに傭兵や用心棒となるもの、それを求めてやってくる旅人などで、この国は常に活気にあふれていた。

この国にある憂いといえば、第一王位継承権を持つアルバートの身体が弱いことだろうか。妹のフローリアがいなければそれほどに問題視はされなかったであろうが、彼女は健康で、おまけに類まれなほど魔法の才に恵まれていた。アルバートとフローリアが双子ということもあり、この国の次期の王について大人たちが揉めていることを、リュカはメイドたちの噂話を立ち聞いて良く知っている。フローリアはそれについて知らないらしかったが、アルバートはリュカなんかよりずっとずっとそれを深く見知っていた。

「俺が、いなければよかったのにね」

まだリュカがかれの傍にいることを許されていたころに、アルバートがそう言ったことがある。沢山の医者にかかり薬を飲んでも、かれの身体はちっとも良くならなかった。長い時間立っていることが出来ない彼が車椅子に乗るようになったのはそう最近のことではないが、アルバートがそう言ったのはまだかれが一日中寝台の上に居たころだったように思う。

リュカがいなければ、アルバートは家臣が選んだ本だけを読んで偏った知識だけを与えられるところだったようだ。しかしアルバートはリュカにたくさんの本を運ばせた。それがいけないと誰かに言われたことはなかったが無論、王子の望みを面と向かって断るような家臣はいないだろう。だが中には無駄なことを、と言っているものがいることを、アルバートは承知していたのである。

俺は、俺だけはかれの傍に居続けよう、と、リュカは幼心に何度も思ったものだ。かれにも何度もそう告げた。そのたびに、アルバートは、巻き込まれて一緒に暗殺されちゃうかもよ、なんていって笑っていたのを思い出す。

再びえずくような胸の痛みに襲われて、リュカは足を止めた。遮二無二に走っていたからかいつのまにか時計台は目の前に迫っている。アルバートの姿は既に見当たらなかった。入口の前には、かれの車椅子が置き去りになっている。慌てて扉を開けてリュカが中に入ると、日光に照らされて細かいほこりが山ほど舞っているのが見えた。

「アルバート様!どこですか、アルバート様!」

リュカがそう声を張り上げると、一階にある本棚ががたりと揺れた。腐りかけの木材が悲鳴を上げたのだろう。ホールを取り囲むようにして上階へと続く階段は何か所も穴が開いていた。この塔は王族にとってタブーなのだ、修理が入るわけもない。取り壊して何か起こっても恐ろしい。だからうち捨てられていたのである。
作品名:ヨスガラ 作家名:シキ