双子座の流星
「いや、地球の写真を撮るよ」
「…さっき撮ったじゃない」
「いつもは地球から月を見ているから、月から見た地球を撮ってみたい」
「小さいわよ。地球から見た月より、一回り大きいくらいだわ。手ぶれするかもね」
なぜか拗ねたように口を尖らせ、彼女は言った。
「写真を見せて、妹に自慢するよ。僕は月に行ったんだって」
「きっと信じないわ」
「そんなの、他だって同じじゃないか。木星だって、【アンドロメダ】だって」
彼が返すと、少女はそのまま黙ってしまった。彼は少し後悔して、表情を伺った。すると、彼女は急にくすくすと笑いだした。
「それもそうね」
心なしか、握る手のひらが暖かくなったような気がした。少年は、それが不思議と嬉しかった。足元を見ると、灰色の広大な大地があった。
彼女が指した先の地球は、三日月のように尖った形をしていた。彼はなるほど、と思った。月の満ち欠けがあるのだから、逆側から見てないはずがない。だが、細く輝く星しかない空に浮かぶ、たった一つの青が幻想的に鈍く光り、その様は少年の目を数分間は離さなかった。
「撮ってもいい?」
彼は隣にいる少女に尋ねた。
「どうぞ、存分に撮りなさいな」
「きみを撮りたい」
「えっ?」
その言葉によほど驚いたのか、少女はしばらく、目を見開いたままだった。そして急に笑いを抑えるような顔になり、そのまま彼の手をぐんと引っ張った。少女と少年の身体が跳ね、信じられないほどの速さで月の大地を滑った。彼女が薄い地面をとんと踏むだけで、いくつもの高い山を越えた。怖くはなかった。彼女の左手は、もう熱いほどだった。
どこへ行くのだろうと考えていると、目の前に今までで一番高い、壁のような岩山が現れ、それを登っていった。頂上が見えてきて、だんだん速度が遅くなっていった。
「じゃあ、この辺にしましょうか」
山の頂上に着いた。振り返ると、もといた地面が見えないほど遠い。
「手を離しても大丈夫よ」
彼女は言った。少年は少し躊躇ってから右手を離したが、伝わっていた熱さは、手のひらにしっかりと残っていた。彼女は近くにあった岩にひょいと登った。見上げると、彼女のすぐ横に、欠けた蒼い地球があった。
「ちゃんと撮ってね」
無邪気に言うと、今まで抑えていたものが弾けるように笑顔になった。彼は慌ててカメラを取り出し、その姿と背後の地球がうまくつり合うようにバランスをとった。その顔に見惚れてしまう前に、暖かさでじんじんとする右手を震えないようにしながら、彼はシャッターを押した。
「撮れたよ」
彼が言うと、少女は笑顔を崩さずに岩を降り、また彼の右手を取った。その手は変わらずに、暖かい。
「どう?うまく撮れた?」
「うん、きみが、とっても綺麗だ」
「―――あら、それってプロポーズかしら」
「ち、違うよ!ただ、そう思っただけで…」
「同じことね」
彼女はどこか遠くを眺めるように目を細めていた。その横顔を見て、少年は、自分の手だけでなく、胸の奥が染み込むように熱くなるのを感じた。
「僕と友達になってよ」
気づけばそんなことを言っていた。彼女は振り返る。
「どうして?」
「どうしてって、友達になりたいから。きみは綺麗だし、色んなことを知っている、不思議な人だ。僕の妹にも会わせてあげたい。そうだ、今度は妹も連れていってよ。可愛い妹なんだ。きっときみもそう思う」
「口説いてるの?」
「違うって!」
彼が叫ぶと、少女は声を出して笑った。だが、その笑顔には先ほどとは違う、寂しさのような、釈然としないものが浮かんでいるのを、彼は見逃さなかった。少女は言った。
「…でも、残念ね、あなたとは友達にはなれないわ」
「どうして?」
「だって、私は…」
言いかけて、また彼女は黙った。笑顔は、寂しそうな微笑みに置き換わっていた。
「ふたご座流星群、なんて言って、ファエトンや彗星とは全く関係のない星座の名前が付いているのは、夜空、流星群が降り注いで見える中心の向こうに、ちょうどその星座があるからなのよ」
月の上を手を繋いで歩きながら、彼女はまた話を始めた。
「双子座の名前の由来となった兄弟も、もちろん双子だったの。さっきのファエトンの話とは関係ないけれど、彼らはゼウスの息子だった」
その口調は、先ほどのファエトンの話をしたときの物語口調とは、少し違っていた。より近い、親しみのある話のように彼女は言う。
「弟のポルックスは神様で、不死だったの。でも兄は違った。兄のカストールは普通の人間で、寿命があった―――ねえ、あなたならどう思うかしら?あなたが今と同じ寿命ある人間で、もし妹が神様で不死だったとして、その違いをどうやって埋めたらいいと思う?」
彼女は今までとは違った、どうしてか、切望するようなまなざしで彼に答えを求めた。彼は短く答えた。
「埋める必要は、ないと思う」
「どうして?神様でなければ、あなたは人間のままだわ。神の世界で暮らすことなどできない。妹とは会えないし、あなたが死んでしまえば、それきりだわ。あなたはそれでもいいの?」
「神様だって、人間の世界に滅多に来てはいけないんだろう?だったら、僕はこっちの世界で一番綺麗なものを、妹は妹の世界で一番綺麗なものを見つけて、また会えたときに見せ合う、そんな約束をすればいい。そうすれば、今の僕たちと一緒だ、何も変わらないよ」
「どうして会えるの?神様と人間なのよ?あなたが死んだ後はどうするの、いつ会うって言うの?」
「会えるよ」
「どうして!」
彼女の目が、きっとこちらを睨んでいた。なぜそんな表情をするのか、少年にはわからなかった。
「わからない、けど、兄妹なんだから、絶対にまた会えるよ」
「……っ」
彼が静かに、だがはっきりとそう言うと、彼女は押し黙って俯き、短い溜息をついた。悲しそうな彼女をどうにかしてあげたいと声をかける前に、少女は小さく口を開き、また話を始めた。
「兄は人間…それを不憫に思ったポルックスは、自分より位の高い神様に頼んで、自分の不死性を半分だけ兄に分け与えたの。そうして、彼ら双子は一年の半分は天界で、もう半分は人間界で、今も仲良く暮らしている―――と、言われているわ」
肩を落とし、彼女はまた一つだけ息を吐いた。その目は穏やかに開いているものの、口は笑っていなかった。
「そうね…あなたの言うとおりだわ。兄を不死にする必要なんてない。でもきっとポルックスは、兄がいつか死んでしまって、自分の元を去ることが怖かったんだと思う。だからずっと一緒にいるために、摂理に反してまで、兄と自分を同じようにした。誰よりも、ポルックス、彼自身が寂しかったのよ…」
「神様でも、寂しかったの?」彼は尋ねた。
「…そうね、その寂しさが、一人の人間に過ぎないカストールを不死にした。これの重大さがわかるかしら?ポルックスは、半分とは言え、人間を神様にしてしまったのよ」
「お兄さんのことが、とても好きだったんだね」
少女は驚いたように目を見開き、振り返った。少年と目が合うと、目を細めて悲しい顔をした。彼女は少し俯いて、呟いた。
「…ええ」