双子座の流星
彼女が声をかけ、彼はまた手を上の方に少し引っ張られた―――ように感じた、その次の瞬間、辺りの様子が変わった。街の灯りがふっと消え、周りが暗闇に覆われたのだ。
反射的に下を見た。そこには暗い空間に、ぽっかりと丸い、暗色の巨大な球体が浮かんでいた。一体何が起きたんだろう、自分の今までいたマンションなど、どこにも見えなかった。
球体の表面に、星空のような明かりがあった。そして暗闇と球体の境目がぼんやりと青く光っているのも見えた。
「な、なに?これは」
彼は少女を見た。
「これは地球よ」
「地球?」
「そうよ、こっちからの方がいいかしら」
そう言ってまた彼女が手を、今度は横へ引っ張ると、なんとその球体が回転し始めた。いや、違う。周りの星も動いている。自分らが移動しているんだ。少年は信じられなかった。
自分たちはいま、宇宙にいるのだ。そう、真空であるはずの宇宙に!
移動した場所から見た地球は透き通るように青く、白い筋のかかった球体だった。筋の隙間には茶色や薄い緑の膜が見え、それ以外の場所は深い青や水色だった。陸と海だ。その色も、細かで繊細な模様も図鑑で見たことがあるものとは全く違っていたが、地球だとわかった。星だ。自分たちが住んでいる、星。なんて大きいんだろう。なんて青いんだろう。
「すごい」
思わず声に出していた。
「写真に撮ったら?」
少女は言った。少年ははっとして、片方の手でカメラを取りだした。しかし、被写体が大きすぎるため、入りきらない。それを見た少女が手を引っ張ると、徐々に地球が小さくなっていった。ちょうど良い大きさになったときに、少年はシャッターを押した。
横の方から眩しい光が照りつけた。思わず目を細めるが、見ていても目が痛くならないことに気がついた。強烈な光がはっきりと直視できる。だが直視してみたところでそれはただの輝きで、普段のそれと大して変わらなかった。
「あれは太陽だね」
「そうよ」
青い地球がみるみる小さくなり、ついに見えなくなった。辺りには、一つの強い光と、その他に広がる、光の群だ。
身体の全方位に広がるそれは少年の知っている夜空とはまるで違い、暗闇に光が一つずつ点在しているような光景ではなく、見えている星は、まるで光の砂漠のように遍く満ち、無限にあるように思えた。
その世界に少年は、胸がざわめくような不安と寂しさを覚えた―――まるで、広大な海に一人で取り残されてしまったような。
手を伸ばしても大声で呼びかけても、どこにも届かないだろう。彼は少女の手をいつの間にか強く握っていた。すぐに気づいて、ごめん、と謝った。
「怖い?」彼女が尋ねた。
「少し、でも、きれいだ」
「それはよかったわ」
笑って、また少女は手を引いた。
「どこに行くの?」
「あなたに、流星群の本当の姿を教えてあげるわ」
「本当の姿?」
「そうよ。流星群というのは、流れ星のように見えるけれど、正確には流れ星ではないの」
彼女は話を始めた。
「流れ星じゃない?それって、どういうこと?」
「あなたの知る流れ星って言うのはつまり、彗星のことね。彗星はとても小さな、地球よりずっと小さい星なの。彗星にはいろいろあるけれど、大抵はあなたの住む町と同じくらいの大きさね。彗星は太陽の周りを、こう、近づいたり離れたりしながら、楕円ってわかるしら、完全な円ではなく卵の形のように、回っているの」
少女は彼に服の裾を掴ませて、自分の両手を使って彼に説明した。
「宇宙にはほとんど温度がないからとても寒くて、彗星は普段は岩や氷の塊にしか見えない。でも太陽に近づくと彗星は途端に熱くなって、その表面や内部にあった物質が蒸発し、ガスになったり、塵になって彗星の周りを取り囲むの。でも彗星自身はとても速いスピードで移動しているから、その周りにある物質はちょうど、しっぽを引くように伸びる。旗と同じようなイメージね。そうして彗星の後ろに取り残されていったガスや塵が太陽の光を反射して、あなたの知る流れ星のように、線となって見えてくる、ということなのよ」
一気に喋るその話を、少年は注意深く聞いていた。
「彗星が放出した塵や粒は、消えてしまうということはないわ。それは彗星の通る軌道、つまり道ね、に残されるの。そしてある時、彗星の軌道に地球が近づく。すると、その道にあった塵が引き寄せられて、地球に降ってくるのよ!それが【流星群】の正体。塵は地球を覆う空気にぶつかって、燃え尽きてしまう。その時に発する光が、流れ星のように見えるの。どう、わかったかしら?」
「うん…なんとなく」
そんな話は聞いたこともなかったというのに、彼女の話は不思議と理解できた。頭が、妙に冴えている。彼女は得意げな、明るい口調で続けた。
「これからあなたに見せるのは、その塵を残した張本人。直径5.1km、質量1.5t、平均密度2g/cm3のとても小さく軽い星、彗星・小惑星遷移天体、輝く彗星の成れの果て、地球近傍小惑星、ファエトンよ」
彼女が足下を指さした。見ると、星々の輝く空間にぽっかりと暗い穴が空いていた。目を凝らしてみても、その暗い虚の正体はわからない。
「もっとよく見てみて」
少女は言った。少年は言われたとおりにその暗い場所を見続けた。すると次第に、その輪郭が浮かび上がってきた。そして、それが大きな黒い岩の塊であることがわかった。炭のように黒く、凹凸の多い歪な形だ。
「これが、星?」
「そうよ。星というのは全てが丸いわけではないの。丸くなれるのは大きな星だけで、このくらい小さいと、こんな変な形が多いわ」
「そうなんだ…真っ黒だね」
「ええ、実は彗星は、この太陽系に存在する物体の中で一番【黒い】色をしているのよ。それが太陽に近づくと、明るく輝き出す。と言っても、これはもう彗星じゃないから輝かないんだけどね」
「彗星じゃない?」
「正確には、【かつて】彗星だった星よ。軌道上に塵を出し尽くして、もう暖めても蒸発させるものがなくなってしまった状態。枯渇彗星核とも呼ばれるわね」
「じゃあ、今のあの星は何でできているの?」
「良い質問ね。でも特に何というわけではないわ。黒くて、太陽の熱じゃ蒸発しないような物体、とだけ言っておきます」
少年はまた、【ファエトン】と呼ばれたその星を見た。一度目を離すと、再度よく目を凝らさないと見えない。それは黒いと言うより暗かった。太陽の光はここからでもよく輝いて見えるのに、それがこの星にはほとんど当たっていないようだった。実際にはちゃんと当たっているんだろう。ただ、どれくらい当たっているのかが見えないだけで。
「これがファエトンと名付けられたのは、今から30年も昔のことね。当時に見つかっていたどの星よりも、この星は太陽に近づいていた。だから、ギリシャ神話の太陽神ヘリオス―――アポロンと呼ばれることもあるわね―――の息子の名を取って、ファエトンになったの」
「ギリシャ神話って?」
「古い神々の物語よ。なあに、詳しく聞きたい?」
いかにも、話すことが前提となっているような言い方だった。うまく誘導された気分になったが、少年は何も言わず頷いた。
「きみは僕と同じくらいなのに、随分と物知りなんだね」