コミュニティ・短編家
お題・切ない
妻が離婚を迫ってくる。
私は愛しくてたまらない。
彼女とは友人同士の紹介で知り合った。
私は一目で恋に落ちた。
彼女は当時流行っていた有名なフランス映画の女優の様に髪を結っていた。
そしてそれと同じ位に晴れやかに微笑んでいた。
私は清潔な花を思った。
彼女は見た目よりずっと快活な少女だった。
私たちはよく近所の公園を散歩した。
彼女の家は裕福で、おまけに彼女は一人娘だったから、大っぴらに恋人ごっこをすることは許されなかった。何より時代がそうさせた。
だから私たちはいつも嫌に健全に公園を歩き回った。
それでも私は世界一幸せだった。
本気で、百歳まで彼女とこうしていたいと願っていた。
私たちには子供がいなかった。
私か彼女かどちらかに、或いは両方に問題があったのかもしれないが私たちは気にしなかった。
しかし両家の人間はそうはいかなかった。
特に彼女の親戚からは痛烈な批判や嫌味を多々受けた。
彼女の家には跡取りが必要だったのだ。
しかしどんなに酷い、心をえぐられる様な嫌味を言われても彼女は相変わらず快活に笑いとばし続けていた。
少なからず責任を感じていた私は、そのことに幾度も救われた。
―何年かたち、それでも彼女は少しも気にとめなかったために次第に両家とも諦めがついたのかどこぞから養子を貰い受けそのこが跡取りとして育てられることになった。
彼女はその話を聞いた時だけ、初めて少し苦しそうな顔をした。
私たちのためではなく、その子供に同情したのだ。
その彼女は、今私に離婚を迫っている。
もう彼女は私と散歩をしない。
快活に微笑まない。
彼女はいつも苦しそうな顔をしている。
そしてすまなそうに言うのだ。
「ごめんなさいね…と。」
寝たきりになった彼女はその痩せほそった体で私を見上げる。
映画のヒロインの様だった髪は、今ではもう真っ白になっている。
私は彼女の皺だらけの頬をそっとなぞる。
―…もう彼女は私と散歩をしない。出来ない。
彼女は言う。離婚しましょう、と。
そう言われた私は、彼女に代わってただ快活に笑う。いつも彼女が私にそうしてくれた様に。
作品名:コミュニティ・短編家 作家名:川口暁