それいけ! カンカン便
12月21日 二階堂英介
雨は、確実に飛ぶものの体力を奪っていた。
首都高から、黒光りする250ccのバイクが降りてくる。車体には金色のラインが走り、タンデムシートに載せられた荷箱にはAlabamaExpressというロゴがさりげなく入っていた。見る者が見れば、それが小規模ながらも信頼を寄せられているバイク便のものだとわかるだろう。
バイクは状態の悪い路面に気をつけながら、通りを抜けていく。途中の信号を右へと曲がったのを皮切りに、しばらくいくつもの交差点を迷わず折れていった。次第に車の数は減り、歩行者の数が増え、そのスピードも緩やかなものになっていく。やがて建物の影に並んだ4台もの自動販売機の前に、それは停車した。
ライダーである二階堂英介は、エンジンを切ってキーを抜いて初めて肩から力を抜いた。今日は朝から長距離のものが多く、疲れているのだ。これから一旦事務所に戻るところだが、その前にどうしても口にしたいものがあり、この自動販売機に立ち寄ったというわけである。
「いないのか、りんご売り」
フルフェイスのシールドを上げて周囲を確認する。時どきここで見かける若い男――まだ少年と呼んでもいいかもしれない――がいるのだった。いつの日か顔見知りになり、会話をするようになった。他愛もないことだが、良い息抜きになる。未だに名前が何だったか、きちんと覚えてないのだが、不便はない。向こうは英介の名前を覚えているようだが、呼ぶことは少なかった。
申し訳程度に設置されたひさしの下へと入り、英介は右手のグローブを外すと、ヘルメットを脱いだ。だらしなくセブンティーンアイスをくわえて談笑していた女子高生3人が、一斉に英介を見上げる。
「かっこいい……」
一人がつぶやいて、二人がうなづいたが、英介の耳には届かなかった。急激な温度変化に耐えていたからだ。そして顔をゆがめると、小さなくしゃみを二度した。雪になりきれない雨は重く、彼のライダースーツの上を滑り落ちていく。
「かわいい」女子高生は顔を見合わせて笑った。
「あー」
外したグローブを、抱え込んだメットの中へ投げ入れる。彼の視界には、女子高生の姿など映っていないようだ。否、若すぎて、あまり気にならないのであった。これがすてきなお姉さんなら、話は別であっただろう。
スーツのファスナを開けるのは少しためらわれたが、それではコインが出せない。必要最低限だけ開け、手を入れた。胸にひやっとしたものが広がって、顔をしかめる。冷たい。ポケットの中に分けて入れてある120円を取り出して、すぐにファスナを締めた。
「ふーぅ」
手に息を吹きかけながら、お目当ての自動販売機の前へ行く。
一台目はセブンティーンアイス。もちろんこれには用などない。冬にアイスを食べる人間の気持ちなど、英介にはわからないのであった。
二台目。ペットボトル専用。これは夏に、大変お世話になる。冬も時々お世話になるが、今はこれを求めていない英介である。
三台目。コーヒー専用。BOSSが全種類並んでいて、かゆいところに手が届く代物。BOSSが苦手な人には用がない。英介は、コーヒー自体をあまりたしまないため用がない。時々、社長のパシリで買いに来る程度だ。
四台目。いよいよ四台目。英介の大本命である。分類としては、その他になるのだろう。缶の、コーヒーではない飲料水が並んでいる。その中でも英介の心をもっとも引くものが、一番下段の右から2番目に置いてあるのだった。
すぐさまコインを投入し、ボタンを押す。
ガコン! ……と、それは軽快に落ちて、英介の手だけでなく心までも暖めてくれるはずだった。
しかし、その音はない。
「ん?」
自動販売機をよくよく見る。
場所は間違ってない。下段、右から2番目。他の500mlのジュース缶より細身で小振り。明るい黄色をした缶のディスプレイ、その下に設置された黒いボタン。
「なっ……!」
そこにLEDで浮かび上がった文字を見て、英介は思わず言葉を失った。
たっぷりつぶ入り! コーンポタージュ
売り切れ
「そんな……ことって……」
英介はただただその文字を凝視した。
そんな英介を、女子高生が凝視している。
「ダサ」
一人がつぶやいて、三人はそれぞれ傘をさしてその場を去って行った。
取り残された英介は、それから何度かボタンを押してみたが、結果は同じ。無反応のまま。
まるで、何度もかけても留守電につながる電話のようではないか。いや、留守電につながるだけ、電話のほうがマシかもしれない。英介は、完全に振られてしまったのだ。コーンポタージュに。
今日の雨がそうさせたのだろうか?
ただでさえロードワークが悪くなるというのに、英介はますます雨のことが嫌いになりそうだった。コーンポタージュの隣にあるおしるこが、まだ販売中なのが憎らしい。
おしるこが売り切れで、コーンポタージュが販売中なら良かったのに!
コーンポタージュのつぶを一つ残らず飲みきることができるのに!
しかし、そうは言っても無いものは無い。
英介は、ちょっと恨んでみたけれど、実は別段きらいでもないおしるこを購入して、コーンポタージュのときと同じ要領で飲み始めた。つぶ入りだったからだ。一つ残らず飲んでやろう、という思いがあった。
どろりとしたおしるこは、英介の胃へとどんどん流し込まれていく。
暖まる。
少し甘すぎる気もするが……。
「ダサいわ、まじ」
守備範囲外とはいえ、仮にも女の子の前で取り乱してしまった自分を少しだけ恥じた。
作品名:それいけ! カンカン便 作家名:damo