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早春賦

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 年齢なんてものはもう関係なく、大人になる必要がある、と思った。ここで駄々を捏ねるような男にはなりたかねぇと、それは本音だったが、それでもまだ少し猶予はある、あるはずだと、そう思っていたのもまた事実だった。
 その頃の自分のことを思い出すと、その考えの甘さに反吐が出そうになる。
 猶予なんざとっくになかったのだ。そう思い切る根性がなかっただけの話で、進藤と最後にまともな話をしたのは、そんな矢先だった。
「あ、ユージンくん?」
 からからと教室の戸を引いて入ってきた進藤の声が、そう俺を呼ぶのにも慣れた頃だったが、それでもまだ四月だ。あの時は放課後で、もう夕暮れが近かった。辻は授業が終わった途端一人さっさと部活に行って、栗田も「おじさん大丈夫?今日もお見舞いに行くんでしょ?おじさんによろしくね」と、まるで自分の親が入院でもしたかのような調子で散々おろおろ俺に言った後でやはり部室にばたばたと駆けて行き、俺は栗田の言うとおり親父の見舞いに行くつもりで、親父の見舞いに行かなきゃな、と考えながらも何故だか立ち上がりそびれて、そのまま座ったきりで窓の外を見ていた。
 立ち上がりそびれた理由に、自覚がないわけではなかった。理由なんざ一つしかなかった。あいつらと野球だ。なんとかならないもんだろうか。そのなんとかが親父についてなのか、それともあいつらについてなのか、そんなもんばかりがごっちゃになっててどうにも落ち着かず、イライラと考えていて気がついたら立ちそびれていたのだ。
 我ながらなんてこったと思ったが、どうしようもなかった。
 それくらい、切羽詰っていた。洒落にならない現実を、今更のように目の前にして。
「吃驚したー。まだ誰か残ってると思わなかったから……どうしたの、一人で」
「いや、別に何もねぇが」
「そう?ならいいけど……その、大丈夫?お父さん倒れたって」
 気付けば教室には俺一人しか居なかった。尤も今は進藤が居たが、進藤が来るまで一人だということにも認識がなかったので、俺はそのことに内心酷く吃驚した。
 男が一人、誰も居ない教室でぼんやり窓の外を眺めている図だなんて、そんなのはいい加減間抜け過ぎだろう。オマケに進藤から気を使うみたいにそんなことまで言われてしまっては、もう苦笑いするしかない。
「ん。あぁ。まぁ大したことねえ……進藤はこんな時間まで何してたんだ」
 進藤には、親父が倒れただとかなんだとか、そんな詳しい家庭事情なんざ話したことはなかった。が、それくらいの話は筒抜けだったんだろう。なにせ席が近かった。俺と栗田と辻の話が、聞きたくなくても聞こえてくるだろう程度には。
 実際大したことがねぇと言うのは大嘘だったが、そんなことを、しかも進藤に言った所でどうなるとも思えなかった。大体、今は……特に進藤みたいな奴にはあまり触れてほしくない話題だ。それで俺が別段何を言うわけでもなく、病人の家族が一番良く使うだろう言葉で返しながらそれとなく話を摩り替えると、進藤は眉をひそめて「早く良くなるといいね」と言ったあとで、思い出したように抱えていたファイルからプリントの束を二つ取り出し、それぞれの束から取った二枚を俺に差出しながら笑った。
「今日私、日直だったでしょ?職員室に日誌届けに行ったらそこで音楽の先生に頼まれちゃって、プリントのコピー取ってたんだけどちょっと色々失敗しちゃって、やり直してたところ……ユージンくん、芸術の選択で音楽とってたよね?この歌、明日からやるんだって先生が言ってたんだけど……」
 持ち物が何もいらないからという理由で選択しただけの音楽に、正直興味はあまりなかった。だがそれでも自分のことに触れてほしくないあまりにそんな話を振ったのは俺で、いらねえの一言で済ますのもなんだしな、と差し出されたプリントを受け取ってみると、そこには歌の題名と歌詞と、読めない音符がひたすらずらっと並んでいた。
 読めない音符の方はあっさり無視して、題名と歌詞を見る。漢字三文字のその歌の題名には、確かに覚えがあった。
「……あぁ……ソウシュンフ?だっけか。こんな字書くのは知らなかったな」
「うん、早春賦。知ってる?」
「題名だけは。どんな歌だかは知らねえが」
「結構有名な曲なんだけど……『春は名のみの風の寒さや、谷の鶯歌は思えど〜』って、聞いたことない?」
 進藤は椅子を引いて俺の向かいの席に座り、机に置いた束の上から取り上げたプリントを見ながら、頭痛がしそうなほど懐かしい歌を口ずさんだ。
 題名に見覚えがあれば、進藤が歌った旋律にも聞き覚えがあった。こないだ親父の病室のテレビで見た、なにか飲み物のCMのバックグラウンドで流れてたか。違ったかもしれないが、どっちにしろ聞いたことがあると言う事実に代わりはない。
「それだったか。聞いたことはあるな」
「でしょう?ったって、私もさっき音楽室で先生に教えてもらって、この歌だったのかって思ったぐらいだから、人のこと言えないけど」
「なにかのCMで流れてたんだったか?まぁどっちにしろ最後までは聞いたことがねぇ曲だな。どうにも歌える気がしねえ……進藤は歌えるのか?」
 俺が聞くと、進藤はプリントを一枚一枚、二つに折るという作業を始めながら小さく笑った。
「私はさっき音楽室で聞いて覚えちゃったから……曲自体はすごく簡単なの。だからユージンくんもきっとすぐよ、歌えるようになるの」
 手際よく作業を進めながら言う進藤に、手伝おうか、と申し出たが、すぐに終わるから大丈夫、と断られた。
 確かに束とは言ってもプリントの量はそう多くは見えず、進藤の手際なら一人でやっても十分とかからないように思えた。いらないと言うのならあえて手伝うこともないかと息をついて、そのまま腕を組んで視線を窓の外に流す。
 手持ち無沙汰だから先に帰る、と言う気にはなれなかった。大体、今帰ってももう親父の面会時間には間に合わない。部活を終えたあいつらと鉢合わせるのは、もっと悪い。
 あいつらのことを避けているわけではなかった。そんなわけはなかったが、それでも顔を合わせにくい、と言うのが正直なところだっただろう。
 夢が、いつか夢でなくなるときが来るのは知っていた。そんなもんも解らねぇほどガキのつもりはねぇ。だが、それは今ではないはずだった。すくなくとも、こんな風に終わる予定の夢ではない筈で、終わるとするなら、それはグラウンドの上の筈だった。そこで終わることしか考えられない夢だった。
 そうしてなんとかならねぇもんかと、最初の迷いに立ち戻ればまたぐるぐるぐると、それは俺の頭をもう際限なく飛び交うのだ。
 参った、と思う。もうどうしようもねぇな、とも。
 部活に出てたわけでもねえのに妙に疲れた気がして、息をつく。そうして窓の外に広がるグラウンドの景色を見て、ふと考え事の世界から現実のこの状況に引き戻されて見ると、進藤が珍しく鼻歌なんか口ずさんでいるのに気がついた。
 何とはなしに耳を傾けてみる。聞き覚えのある歌。渡されたきりだったプリントを見下ろす。早春賦。
 頭痛がするほど懐かしい、あの旋律だった。

「春は名のみの風の寒さや、谷の鶯歌は思えど、時にあらずと、声もたてず……」
作品名:早春賦 作家名:ミカナギ