Search Me! ~Early days~
02 ビギナーと猫
私立探偵事務所“トライデント・リサーチ”に定時という概念は存在しない。それぞれが自分の裁量に応じて効率よくするために、というのが建前だが、実際は面倒だからである。3人の中で一番時間に真面目なのは実は時生で、京介と秀平に関してはいつも怪しい。
その日の朝も、一般のサラリーマンの出勤時間とほぼ同じ時刻に事務所にやってきたのは時生だったが。
「ん?おお、早えなあ京介。」
「別に。昨夜から調査に行っていたからそのせいだろ。」
珍しく、まだ午前も早い時間にやってきた京介はその理由を無造作に答える。
「…昼夜逆転ってわけか。」
「ああ。」
だから昼ごろに眠気に見舞われるんだろうと他人事のように考えていた。
―ガチャッ
「おっはようございます楢川さん!…て、あ…」
その時、勢いよくドアが開く音がし、続いて一際明るく大きな声が響いた。振り返ると、少しだけ驚いた表情の青年が、丁度ドアを後ろ手に閉めるところだった。先週の一件からバイトに来るようになった伊奈葉祭だ。
「おう!はよっす祭!」
「は、はい!えっと…」
「……。」
「…お、おはようございます、筧さん。」
「……おはよう、伊奈葉。」
時生に向けたものより幾分丁寧な、若干硬い挨拶が京介に向けられる。どうも未だに怖がられているらしい、別にいいが。
「しっかし今日はアレだな!京介も祭も朝からいるなんてよ。」
「え、あ!今日はひ…っ、いえ!こ、講義が休講になったんで!」
「へー、朝からのもか?」
「あ、えあ、…まあ、ハイ。」
「………。」
しどろもどろ言葉を濁す様子から、講義が本当に休講なのか自主休講か怪しいところだが、特に言うことでもないだろう。大学生ともなれば、そのあたりは自己責任だ。最初はまさか大学生だとは思わなかったものだ。
「ふーん、でもまあ俺んころも結構適当だったな、大学は。」
「へ、そうなんスか?」
「特に俺の学部はな、勉強する奴はするし、しない奴はそりゃもうだ。」
「あるっスね!そういうとこって。」
「おかげで俺も進級ヤバかったりしてよぉ。祭は気ぃつけろよ。」
「あ、は、ハイ!え、えと…」
「…?」
テンポよく時生と話をしていた祭が少し緊張した表情で京介に向き直り、決意したような様子で口を開いた。
「か、筧さんは!大学の時ってどうでしたか?」
「……俺?」
「はい!」
「……………さあ、どうだったかな。」
どう答えるべきか迷い、曖昧にぼかす。その反応をどう解釈したのか分からないが、祭の表情が若干ばつの悪いものになる。
「す、すんません!変なこと聞いちゃって…」
「いや…別に。」
「…別に、じゃねぇだろ京介…。しかし、祭は偉いよな!」
「はい?」
「先生と先輩に勧められてウチにバイトに来るなんて、ってこと!な、京介!」
「………そうだな。」
祭が在籍するというのはここから3駅ほど離れた場所にある大学の社会学部だ。そこで師事する教授と助手の先輩の勧めで探偵事務所にアルバイトに来ることになったらしい。本卒業論文で社会調査実験をする予定らしく、聞き取り調査の技術や所謂空気の読み方を、あらゆる調査が本職である探偵から学び取ることが目的だと、あくまで“祭自身は”そう語った。
「い、いえ!俺、雑談とかは知らない人とかでも出来ちゃうんスけど、ちゃんと目的を持って聞くのって、なんか苦手で…何聞いてたっけえ…って…」
「…本題を忘れるのか。」
「あう…は、…ハイ…」
とはいえ、流石に調査に素人をいきなり同行させるわけにもいかず、今はまだ資料の整理や電話番くらいしか任せてはいない。依頼者、恐らく祭の研究室の、依頼期間が定まらないことや、依頼完遂を向こうが判断する、といったことの真意は、伊奈葉祭が適正な調査感覚を身につけるまで、と解せば一応納得がいく。少なくとも、それに関しては。
「ま、大丈夫だって!そんなのは慣れさ!」
「そうっスか?」
「知らない人とでもすぐ打ち解けて話できんなら十分だ!京介には無理だぜ!」
「そりゃそ…っい、いえ!そ、そんなことは!」
「……別に構わない。事実だ。」
コミュニケーション能力が正直低いことは言われるまでも無く自覚している。今更気分を害すようなこともないが、祭はまだ自分の失言を引きずっていた。
「う…ご、ごめんなさい、です…」
「別にいい。」
「…す、すす、すみませ…」
「…ったく、“別に”じゃねえって…、あ、そうだ!京介、祭!」
「…」
「は、ハイ?」
「こっち来い来い。」
微妙な空気になりかけた時、時生が何か思いついた様子で2人を呼ぶ。そして、やはり散らかったデスクから一枚の写真を漁り出した。
「これ何かわかるっか?!」
「写真。」
「…いやそうじゃねえって。」
「ね…猫の写真すか?」
「祭!正っ解!後で飯おごるぜ京介が。」
「…猫がどうした。」
写真に写っていたのは、どこにでもいる普通の、ややぽっちゃり気味の三毛猫だ。
「谷山さんちのプロシュートちゃん、愛称は“ハム”。この子が4日前から姿を消したそうだぜ。」
「…ハム…」
「…何でプロシュートで、ハムなんすか?」
「生ハムだからだろう。」
「?」
「んでよ、ハムちゃんを溺愛してる谷山さんは、一刻も早く見つけてほしいとウチに依頼してきたんだと。つーわけで、2人で行ってきな!」
「2人?」
「京介と祭の2人で!」
ニヤリ、と悪ガキのような笑みを浮かべそう言った。一瞬沈黙が降りるが、
「………っえ!?」
潰れかけたカエルのような祭の声がそれを破る。予想していた反応ではあるが、微妙だ。
「そろそろ、な、祭にも探偵助手っぽいことさせてみたらどうかと思ってよ!まずは入門編で猫探し!」
「でででっでっでも!俺じゃ筧さんの足手まと」
「まとわねえまとわねえ!な、京介!」
「…別に。」
「だっから…別にじゃねえっての。大丈夫だ、京介が一番運動神経いいからよ。」
「……」
「は、はあ…。」
「まあ何かヤバくなったら京介がどうにかしてくれっから安心しとけってコト!」
そして写真とメモを祭に渡す。未だに祭はオロオロしているが、時生の考えが変わるわけがないのは今に始まったことではない。
「なっ楢川さ」
「じゃ、がんばれよ!」
「ええ!!?」
「…。」
*****
時生に半ば追い出されるようにして出て歩き出すが、2人の間には暫くの沈黙が降りていた。が、その質はお互い異なったものである。
「…………」
京介に関しては、これからどのあたりを捜索すべきか、という仕事についての思案。
「…うぐっ………うゆっ…」
祭に関しては、苦手な相手といることによる居心地の悪さからくるものだった。だが、当然ながらいつまでもこのままでいたのでは依頼は遂行できない、と譲歩するように肩を竦めて声をかける。
「……伊奈葉。」
「は、ハイ!」
「それ、貸せ。」
「え!?どれっスか!?」
「……メモ。」
「ああっ!ハイど、どぞ!!」
「…ん。」
時生から渡されたメモを受け取り、目を通す。筆圧の強い、お世辞にも丁寧とは言えない文字の羅列が数ページにわたって続いていた。
「か、筧さん!」
「…ん?」
作品名:Search Me! ~Early days~ 作家名:jing