Search Me! ~Early days~
仕事を与え、それに見合う待遇、給料を払え、ということか。その人物を雇うに際して日当10万が支給される、が、アルバイトという人間にそれをそのまま払うのは不自然である。つまり、その殆どはこちらに対する依頼の遂行報酬。うまい話すぎて更に不審感が募るが、今更後には引けない。京介は溜息を吐きながら答えた。
「…わかった。」
『………。』
「…では、定期報告のための連絡先を」
『それに関しては必要ない。』
「…は?」
『次に連絡を入れるのは依頼が完遂されたとこちらが判断した時だ。定期報告は必要ない。』
もう今更だが、本当にやっかいごとに巻き込まれたのではないかと感じた。何が起こると知っているわけでも、それが確定事項でなくても、疑うなという方が無理。かといってこれ以上追及するのもそろそろ面倒だった。
「…その連絡は、早ければ1週間、」
『長ければ、1カ月後だ。』
分からない、不審なことだらけだ。
だが、起こらないうちから引くのは自分としても事務所としても性分に反する。
「わかった。」
『…契約成立だな。では、健闘を祈る。』
―ブツッ…ツー…ツー…ツー…
通話が切れ、回線の切断音が無機質に耳に残る。電話本体に接続されたパソコンを確認すると、オートの録音機能が正常に動いていることがわかった。
「……“既に”…。口座は、あり得ない…」
踵を返し、ドアに向かう。探偵事務所にしては妙に温かみのある木目調のドアを開け、その下へと続く階段をゆっくりと降りる。
―タン…
階段を降り切った、向かって左の壁側に先程と同じ木目調のドアがあるがそれを通り過ぎ、建物の入り口付近の壁に設置された郵便ボックスに向かう。主にダイレクトメールなどしか入ることのないそこを開けると、定形より少し大きい封筒が一通。その厚さは十数ミリほどあり、手に取ると少し重い。宛名は事務所名、差出人は未記入。
「“前金は《届けて》ある”…こういうことか…。」
中身は大よそ見当がつくが、実際手に取ってみると妙な感覚だ。引き受けてしまったやっかい事の重さをはっきりと付きつけられるというか
「っぬわあああああああああっっ!!?」
―どべしっ
「……………。」
突然、尋常ではなく間抜けな叫び声と、音が聞こえ、思考が一時中断される。
「う…ぐ……っう…」
すぐ近くで聞こえるうめき声らしきもの肩をすくめながら、建物と外の通りを隔てるガラス製の扉を開けた。
見ると、案の定というか、人間が1人、小柄な男だ、薄い臙脂色のブロックタイルに頭から突っ伏して震えていた。辺りを見回すが、この人物と京介以外に人影はない。タイミングがいいのか悪いのか。そこに事件性を疑う要素はひとつもなく、ということは1人で転んだのだろう。
「…おい。」
「うぐ…」
スルーすることも考えたがそれは流石に人としてまずかろうと、腰を落として声をかける。服装や転んだ背丈から高校生くらいのようだが、こんな転び方はそうお目にかかれない。
と、その人物がゆっくりと顔を上げた。
「っふ…ぎ、なん…すか?」
「…大丈夫か?お前。」
鼻と額は庇いきれなかったのか少しすりむけて赤い。高校生か、いや中学生の“男の子”と言っても通るような年頃の、一応青年は、平均より大きい瞳にうっすらと涙を滲ませ、京介を見上げていた。
「え………………っあっ…っす…っすみませ…っうわ…っ」
が、一瞬で真っ赤になってオロオロと視線を彷徨わせ、挙動不審に陥った。そのせいで寝グセかわざとかわからない外はねの髪が更にバサバサになっていた。まあ、そりゃ、小さい子どもでもないのに、加えて街中で派手に転べば恥ずかしかろう。その場合、笑わなかったことは果たして優しさなのか否か微妙なところだが、京介ではどうせ笑えない。
「…、…大丈夫か?怪我は…」
「だだだ大丈夫っで、っス!ごごごご迷惑おおをおかけして」
「別に…」
「ち、ちょっと道に迷って慌ててたからでっ、そのだからっ」
「…別に弁解する必要はない。」
「え、あ、あああははははは!そそそそっスね!おお俺何言っちゃってんの!」
異常なほどのテンパり具合に怪我以上に別のところが心配になる。どことは言わないが、首から上のあたりが。
「…本当に大丈夫か?」
「だいっ大丈夫で……」
青年が勢いよく頭をあげた瞬間
―…ボタタタッ
「「!?」」
液体の落ちる音とともに、ブロックタイルに赤い点が跳ねる。1滴や2滴の話ではない赤いそれは、普通に鼻血だった。
「…!」
「ふ…っふえあ!?んなななんでっこんな!?」
先程よりも更に真っ赤になって慌てて両手で鼻を押さえるが止まらないらしく、手の隙間からダラダラと流血し続ける。それが更にパニックを煽り、焦りや羞恥も煽り、更に血管が拡張するから流血の勢いは増し、と。
「ふぐ…っと、とまれよぉ…っ!…っううーなんでぇー…!!!」
半泣きの情けなさすぎる声で呟いた瞬間。
「……………。」
限界だった。
「……っぶ…っ」
「ふがっ!?」
****
「あれー、時生(ときお)ー?」
間延びした聞きなれた声に、明るい茶髪の男、楢川時生(ならかわ ときお)は軽く振りかえった。
「おー秀平(しゅうへい)!早かったな!」
「なんかー外出中ぽくてー。いなかったー。」
見えているのか分からない“線目”を更に細めて肩を竦めたのは濃灰色の髪の男。京介や時生と同じくトライデント・リサーチに所属する探偵の羽野秀平(はの しゅうへい)。
「なんだ、お前も無駄足かよ。」
「お前もー、てー?」
「俺もさ、定期報告行ったんだけど丁度、愛人と修羅場ってて……」
「時生ってさー、いっつもタイミングー、悪いよねー。」
「うるせぃよ!」
自覚していることだけに反論ができない。そんな時生の心境など多分恐らくきっと露知らず、秀平はさっさと事務所への階段を上がって行く。
「んじゃさー、京介はお留守番ー?」
「おう、そうだぜ!」
「だいじょーぶなのかなー?前みたいにー、依頼人さん怒ってー帰っちゃったりー。」
「………………。」
「…ごめん…多分だいじょーぶだよね…」
「だ、だよな!…ん?」
ふと、静かな筈のドアの向こうから人の話し声が聞こえて時生は思わず足を止めた。それにならって秀平も耳をすませる。
「…お客さんー?」
「仕事か!!」
「じゃ、今…京介が対応してんの…」
「おっしゃー!」
驚きのあまり言葉が間延びしない秀平には気付かず、時生は勢いよくドアノブを掴み、
―ガチャ どかっ
「ふぎゃっ!?」
「でーかしたぞ京介ぇ!お前もやればでき」
「どか?…ふぎゃ?」
「ととと時生くん!?なにしてるの!!?」
「はれ?緑さん?」
真っ青になって慌てる中年の女性、1階のパティスリーのオーナーの乙部緑(おとべ みどり)をポカンとした表情で見返した。
「……はあ、」
「あれ、京介?」
「…どけ。」
「はいい?」
乏しい表情の中に呆れを滲ませた京介の言葉通り、ドアノブを離して下がる。京介は徐にドアを掴むと、その裏側に手を突っ込み、
―ぐいっ
「ふにゃああ…………」
作品名:Search Me! ~Early days~ 作家名:jing