シャドービハインド
第1章-夜のはじまり-肉食の獣
マンションを出てすぐにリサが戒十に尋ねた。
「車とか持ってないよねえ?」
「まだ高1だよ」
「あたしは運転はできるんだけど、見た目がこんな感じでしょ? だから免許とか持ってないんだよねー」
見た目とは制服姿と中高生の顔立ちのことだろう。
「制服着てるけど、わざわざ学校に通ってるの?」
戒十が尋ねるとリサは指を3本立てた。
「中3、去年も一昨年も学校を替えて中3。来年はそろそろ進学しようかなって思うから、高1になる予定」
「キャットピープルは外敵年齢が変わらないの?」
「そうねーだいたい変わらない。変わりはじめたら死の宣告。老化は人間の3倍以上のスピードで進むかな」
「それは困るな。子供の見た目じゃできないことが多すぎる」
「シンは外見大人だから普通免許と大型バイクの免許持ってるよん。風俗店だっていけるしー、居酒屋だっていけるもんね」
ずっと子供のままでいたほうが楽だと戒十は昔に思ったことがあるが、いざずっと子供の姿のままいるとなると問題が多すぎるように感じる。
高1なのでバイトぐらいはできるが、歳を取らないために同じ職場でずっと働くこともできず、安定した生活はできそうもない。
戒十はある意味母子家庭で、母は放任主義というか、あまり戒十と接触しないが、それでも歳を取らない息子を不審に思う日が来るだろう。
戒十が小さく呟く。
「高卒がギリギリかな……その後謎の失踪」
「生活に関してはそれなりに保障されてるよ。今はインターネットだってあるし、昔に比べればぜんぜん楽」
確かに昔に比べれば山に篭らなくても、人と会わずに快適な生活が過ごせるだろう。
大通りに出たリサは左右を見回した。
すでにシンの姿はどこにもない。
「バイクを徒歩で追うわけにもいかないしー、タクシーなんかぜんぜん走ってない」
どうすると顔を向けられた戒十もいいアイディアはなかった。
「顔を向けられても困る」
「だよねー。方法がないってわけじゃないんだよ。あるにはあるんだけど……」
口ごもるリサ。
あまり使いたくない手段。それにはデメリットが多いのか、非合法な手段なのか。戒十には見当もつかなかった。
「どんな方法がある?」
「あんまりやっちゃイケナイことになってるの。人間に目撃されるとマズイことになるんだけど……まっ、夜だしいっか」
「どんな方法って聞いてるじゃないか」
「あーとねぇ、アタシがカイトを背負って走る」
「は?」
冗談にしか聴こえなかった。だがリサは本気だ。
「カイトが落ちなければ、時速120キロは出せるっぽくなくない?」
聞かれても困る。
時速120キロで走れば、足を地面に蹴り上げるだけでも相当な衝撃のはずだ。だが、マンションから飛べられるなら、その衝撃も耐えられるかもしれない。
背中を丸めて、乗れと合図するリサに戒十は渋った。
「嫌だ」
「どーしてぇ?」
「だって……その……」
顔を赤くして落ち着きのない戒十を見て、リサはお子様を笑うように悪戯な表情をした。
「はは〜ん、女の子に抱っこされるのが恥ずかしいとか?」
「違うってば!」
力強く反発する戒十。
「そうやって否定すると逆効果だよぉん。女の子に抱きつくぐらいでそんなにテンパってたら、キスもできないってゆか、したことないとか?」
「……それくらいはあるよ」
「えっちはまだ?」
「…………」
ついに戒十は押し黙ってなにも言えなくなってしまった。
「あたしはこー見えてもお婆ちゃんだし、男性経験は豊富だよ。遊郭……じゃなくて、現代風に言うと風俗、そんなのとか援交とか、とにかく長く生きてると自然と人性経験豊富になるよ」
「そういうの嫌だな」
「はいはい、とにかくさー、乗った乗った早くしないとシンが死ぬかもよ」
さらりと言われ、冗談なのか本当なのかわからない。
とりあえず戒十はリサの背中にかぶさるように乗った。
オバサンだったらこんなに緊張しなかったかもしれない。同い年か、それよりも下の外見年齢を持つ?少女?に背負われると、妙に意識してしまう。
戒十の心臓の鼓動はリサに聞こえているだろう。超感覚を持つ彼女は嘘発見器と同じだ。
振動が戒十を振り落とそうとして、恥ずかしさを忘れて必死でリサの身体に腕を回した。
自動車では感じられないスピード感。
バイクの荷台に乗っているような感覚は、実際の速度よりも体感速度を増して感じられる。その恐怖感を戒十は心地よく感じた。
戒十を背中に乗せたリサは大通りを避けて裏道を通った。まだまだ深夜ではないために、どこから人が出てくるかわからない。
リサは耳を済ませながら人のいない道を選んで通った。そのために目的地まで遠回りになってしまったことは否めない。
急ブレーキをかけたようにリサが足を止め、戒十は前方に放り出されそうになったのを堪えた。
「急に止まらないでよ!」
「そろそろ人が多くなってきたし、今の時間帯じゃひと目にすぐついちゃう」
リサの背中から降りた戒十は電車が走る音を聴いた。近くに線路が通っているらしい。
しばらく人が走る程度の速さで走った二人は、淡いネオンが輝く小さな風俗街にやってきていた。健全な中学生と高校生が来るような場所ではなかった。
伏目がちに歩く戒十にリサが声を掛ける。
「カイトの心臓がちょードキドキしてんの聴こえる」
「からかうなよ」
「年下苛めるの好きなのぉ」
リサの年齢はわからないが、彼女にとって世界中のほぼ全人口が年下だろう。
だが、リサはこう補足をする。
「年下って言っても思春期だよ。女の子も含めてね、うふ」
妖しく笑うリサに目をやり戒十は思わず苦笑してしまった。長く生きていると通常の刺激では満足できなくなり、ノーマルの一線を越えやすくなるのかもしれない。
リサの足はこじんまりしたラブホの前で止まった。それに気づいた戒十は毒づくように言う。
「冗談でしょ?」
「アタシがカイトとラブホでにゃんにゃんするとでも思っちゃってるぅ?」
「……そーじゃなくて」
「心配しないでぇー、3回くらい会ってからじゃないと寝ないから」
「君って本当にテレビでよく言う最近の若者だな……」
主に都心部で蔓延する性の若年齢化。リサはそれを体現しているようだ。
リサは親指を立てて道路の向かいを指差した。そこには大型のバイクが停めてあった。バイクに疎い戒十でも、それが大型であることはわかる。
全長2メートル以上で、1000cc以上のバイクだ。原付とは比べ物にならないほど大きさを感じる。
このバイクはおそらくシンの物なのだろう。だとすると、ラブホが本当に目的地らしい。
ラブホの入り口に立っていたリサが突然叫ぶ。
「ヤバイ出てくる!」
何がと聞く時間もなかった。
自動ドアのガラスが粉々に砕け飛び、破片を浴びたリサの横を巨大な影を走り去っていった。
2本足……いや、4本足で走り去った影は人間のようで、人間ではなかった。
すぐにラブホからリボルバーを構えた二人の男が飛び出してきて、リサに焦りを含みながら怒鳴るように尋ねた。
「どっちに行った!」
リサが指さしてやると、二人組みの男はあの影を追って行った。
それに続いて右腕を手で押さえたシンがラブホから出てきた。
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)