シャドービハインド
第5章-夜のおわり-双頭の魔獣
〈夜の王〉の瞳は確実にリサを見据えていた。
そして、こう呼んだのだ――サリサ、と。
リサは躊躇することなく受け答えた。
「久しぶりね、〈夜の王〉」
何百年もの月日が経ち、〈夜の王〉の姿は変わり果ててしまった。それでもリサは一目で〈夜の王〉とわかった。
眼だ、あの邪悪な眼だ。老人の皮を被った悪魔の眼だ。
〈夜の王〉が入ってきた扉が閉められた。
「ゆっくり話そうじゃないか」
腰を据えている〈夜の王〉に対してリサは『いーっ』と口でした。
「いーっや。ゆっくり話してるヒマなんてないの」
「ふはははは、お前になくとも儂にはある。それとこれが欲しいのだろう」
そう言いながら〈夜の王〉は、懐から赤い液体の満たされた試験管を取り出し、こうはっきりと言った。
「カオルコの血だ、研究のために採取しておいた」
そうと聴いて前に出ようとした戒十を、無言でリサは腕を横に出して止めた。
純を救える可能性がそこにある。
すぐにでも戒十は飛び出したかった。
しかし、足が動かなかった。
リサの腕が止めているからではない。リサの発する気迫が戒十を止めていた。
前に出たい戒十の代わりにリサが出た。
「その血が必要なの」
「この部屋で起きたことはすべて知っておる。この血が欲しいならくれてやろう、その前に聴きたいことがある」
「なぁに?」
「この部屋で先ほど起きたこと、そして、儂の推測に基づく回答。その答え合わせをサリサにはしてもらいたい」
「……手短に話してね」
リサは承諾した。
〈夜の王〉はカオルコの血を懐にしまい、まずこの部屋で起きたことから話しはじめた。
「人間と同じようにキャットピープルにも伝承や伝説がある。その中のひとつ、巨大な黒き魔獣の話がもっとも有名だが、黒き魔獣のほかにも少ないながら白銀や双頭の魔獣の話も残っておる。その魔獣の話が作られた発端にはクイーンの存在がある」
なぜ戒十が?ケモノ?になったのか、その素質はどこにあったのかと考えたとき、クイーンとの因果関係が真っ先に浮かぶ。
リサは少し嫌そうな顔をして〈夜の王〉に尋ねる。
「その話長くなるの?」
「では、これだけ訊くとしよう。お前はクイーンなのか?」
「にゃはは、まっさか〜ん」
すぐのリサは否定した。
だが、シンまでもがこんなことを訊いた。
「俺はリサがクイーンではないか、もしくはとても近い存在ではないかと考えていた」
「シンまでそんなこと……ま、でもやっぱシンは鋭いね」
リサが認めた?鋭い?とは、何に対しての答えなのか?
〈夜の王〉も?鋭い?という発言に耳を止めていた。
「鋭いというのは、近い存在ということなのか……やはり、もう少し長話をさせてもらおう」
長話がはじまることをリサは止めなかった。真面目な顔で〈夜の王〉を見つめている。
〈夜の王〉は再び語りはじめた。
「白銀の魔獣はクイーンが変態したものだと考えておる。ここ数千年の間、クイーンは姿を見せていない。それ以前は満月の晩だけ姿を見せていたと云う。さらに遙か昔は常に姿を見せていたと云う。白銀の魔獣の話が生まれた時代を調べると、ちょうどクイーンが常に姿を見せていた時代あたりだと推測される。さらにクイーンの外的特徴を調べてみると、白銀の髪が特徴的なのがわかる。白銀の魔獣とクイーンを関連付けて考えても良いだろう」
リサが受講生のように軽く手を挙げた。
「は〜い、んじゃクイーンはアタシじゃないじゃん。髪、茶髪だもん」
〈夜の王〉は頷いた。
「染めているということも考えられるが、先月儂の配下が見つけ出したクイーンと思われる女と、お前の容姿は確かに異なっておる」
「へぇ、クイーンを見つけたんだ。てゆか、んじゃさ、なんでアタシがクイーンだと思ったわけ?」
カオルコもクイーンを追い詰めたとリサに語ったことがあった。
「配下が見つけたクイーンは長身で、地面に付くほど長い白銀の髪を持ち、透き通るような白い肌だった――そう報告を受けた」
「やっぱアタシじゃないじゃん。アタシ小柄だし、髪型だってここ数年変えてないし」
「しかし、儂は前々からサリサには他の者とは違うなにか感じておった」
それはシンも強く感じている。リサを知る仲間ならば、多少それを感じているかもしれない。
〈夜の王〉は遠目をした。
「もうずいぶんと昔のことだ、お前は儂にクイーンのモノだと言って血を託したことがあった、覚えているか?」
「あのころのアナタは立派な研究者だったから」
「あの血から儂は?成れの果て?を抑制する薬を作った。つまり、あの血は他のキャットピープルにはない特別な血であることは間違いない。ならばあれは本当にクイーンの血なのか、いや、そうとなれば別の疑問が出てくるのだ」
そう言いながら〈夜の王〉はカオルコの血を取り出した。
「この血はカオルコの血だ。この血を調べ、ある事実が判明した。お前が儂に渡したクイーンの血とカオルコの血は、キャットピープルでいうところの親子関係があったのだ。これをどう説明する、あれは本当にクイーンの血なのか、それともお前の血なのか、それとも……お前がクイーンなのか?」
リサに視線が集中した。
「アタシはクイーンじゃない」
強く言い切った。
しかし、リサがクイーンでないとしても、特別な存在であることは間違いなさそうだ。
では、リサはいったい何者なのか?
〈夜の王〉は再び訊く。
「本当にお前はクイーンではないのか?」
報告を受けた長身で白銀の髪を持つ女ではない。それでも〈夜の王〉はリサに問うた。
「アタシはクイーンじゃない……けど」
間を開けてリサはこう言った。
「クイーンならアナタの目の前にいる」
目の前?
リサ、シン、それとも戒十か?
誰にも気づかれずに別の存在がこの部屋にいるのか?
どこだ、どこにいるクイーン?
リサは上着をすべて脱ぎ、最後に残ったキャミソールを脱ぎ捨てた。
〈夜の王〉は瞼に埋もれていた瞳を大きく見開いた。
さらにリサは戒十とシンにもそれを見せた。
それがクイーンなのか!?
リサの左胸の代わりに、なんとそこには女の顔があったのだ。
「アタシはクイーンじゃない。けど、クイーンはアタシの躰に寄生してる」
その女の顔は眼を瞑り、眠っているような安らかな表情をしている。
ならば当然の質問が〈夜の王〉から出た。
「白銀の髪を持つ女は誰なのだ?」
隠すことなくリサが答える。
「それがクイーンのホントの姿。満月の晩、この躰はクイーンに変身するの。そうなってしまうと、アタシにはなにもできない」
「なんで今まで教えてくれなかったんだよ」
と、戒十は不満をぶつけた。
戒十をキャットピープルにしたのはクイーンだ。リサは初めからクイーンを知っていた。
「戒十はまだキャットピープルになって間もないし、クイーンの秘密を隠しとおせるかもわかならい。だから言えなかった……戒十にはすまないと思っているの、戒十から血を奪ったのは仕方なかった……」
それは満月の晩のことだった。リサは断片的な記憶を辿り、それを整理しながら話しはじめる。
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)