シャドービハインド
刀で傷を負わせても、すぐに再生してしまうのだ。
リサも戦闘に加わって、?ケモノ?の注意をひきつけ、攻撃はシンに任せた。
「シン、足を狙って!」
「やっている」
「違くて、切断して!」
「それは……」
「死ななければそれでいい!」
もはや?ケモノ?を止めるのには、それほどまでの方法を取らなくてならなかった。
小蝿のようなうざったい動きで、リサは?ケモノ?の視線を奪う。
その隙を突いてシンが?ケモノ?の前脚を狙った。
神速の輝線[キセン]が趨る。
迸る血の雨。
空気を振るわせる?ケモノ?の咆哮。
両前脚を失ってもなお、襲い掛かってこようとする?ケモノ?。
後ろ脚で蛙のように跳ね、巨大な口を開けて、牙から涎を滴らせる。
リサは高く飛び、?ケモノ?の頭部を踏み潰すように蹴る。
打撃音を立てながら?ケモノ?は顎から床に激突した。
血の海に沈んだ?ケモノ?の動きが止まった。
前脚を失った割りには出血量が少ない。すでに脚の傷は塞がっていた。それどころか――。
「逃げてシン!」
反射的にシンは後ろに飛び退いた。
その場で立ち尽くすリサとシン。
?ケモノ?の傷が、亡くしていた片腕が、今切られた脚が、細胞分裂を繰り返しながら再生していく。その治癒力は単細胞生物に優るかもしれない。
驚いたふうもなくリサはその現実を受け入れた。
「やっぱりね……」
まだ?ケモノ?の脚は完全に再生していない。
リサはシンから刀を奪い、天井高く舞い上がった。
そして、切っ先は?ケモノ?の背中から、一突きに心臓を貫いた。
シンは唖然とした。
「なにを……」
それ以上の言葉はでなかった。
抜かれた刀にべっとりと滴る血。
そして、驚くべきことに?ケモノ?に変化が起こっていた。
見る見るうちに縮まる躰。
?ケモノ?から戒十への急激な変化。
「シンは元から口が軽いほうじゃないけど、これは他言無用ね」
さらに驚くべき事態が起ころうとしていた。なんとリサが刀で自らの手首を切ったのだ。
手首から滴る血は戒十の背中の傷へ。
染み込んだ血は穴の開いた心臓へ。
生きた血は死んだ血管を駆け巡り、廻り廻って全身へ。
そして、止まっていた再生がはじまった。
戒十の両腕が再生を続け、ついには完全に指先まで生え変わった。
そして、シンは戒十の心臓が鼓動を打ったのを聴いた。
心臓を貫かれ生きていた例をシンは知らない。もしくは生き返った例を知らない。今、目の前でそれが起こった。
ゆっくりと起き上がる戒十にシンは自らのコートを脱いで掛けた。
頭を重たそうしておでこを支える戒十。
「……僕は……」
毛だらけの躰を見て戒十は事情をぼんやりと把握した。
「また……」
断片的な記憶。
激しい痛みで目覚めた。いや、闇に堕ちたというべきか。そして、今に至る。
戒十は床を覆う血の海を遠い目で眺めた。
脳裏を過ぎる輝き。それはぎらつく眼だった。
恐ろしい老人の顔。
そうだ、それは〈夜の王〉だ。
自分を見つめる眼は〈夜の王〉のものだった。
記憶が遡る。
カッと開かれた戒十の瞳。それが急に力なく閉じられた。
「……カオルコが死んだ」
思い出してしまった。
肉を千切る音、骨を砕く音、そして血を啜る音。
そして、野獣の咆哮。
「ありえない!」
リサは絶叫するように否定した。
その感情はいったい何なのか?
リサはカオルコの死に何を思ったのか?
戒十はカオルコの死に絶望した。
カオルコに対する悲しみや憐れみではない。純を救えなかったという絶望感。
「僕は……純を救えなかった」
本当に手立てはないのか?
戒十はコートを翻し立ち上がった。
「まだだ、まだ時間はあるんだ……僕はあきらめない」
それは希望、これは未練。
「本当にカオルコが死んだの?」
沈痛な面持ちでリサは尋ねた。
「僕の目の前で〈夜の王〉に殺され……喰われた」
あの床に残っていた血の痕が死と繋がった。
それでもリサは認めなかった。
「カオルコは死んでいない。死ぬはずがない」
なぜそこまでして認めないのか?
シンはリサに質問を投げかける。
「なぜそこまでカオルコに固執する?」
「カオルコは特別だから」
それは自分が血を分けたからか?
それとも別の感情かなにかか?
リサは床を見つめながら話しはじめた。
「これは可能性が低いことだけど、〈夜の王〉がカオルコを喰ったというのなら、その血を使えば……」
「そんな話は聴いたことがないぞ?」
すぐにリサの発言をシンが否定した。
しかし、戒十はリサを信じるほかなかった。
「僕は可能性があるなら、それに賭けたいと思う」
シンも頷いた。
「そうだな、まだ時間はある」
シンはリサを横目で見た。
多くの疑問。
それをシンはあえて問うことはしなかった。
急にリサが笑顔を作った。
「よっし、まずはここを脱出しよう!」
2人はそれに同意して頷き、3人はこの部屋を後にしようとした。
それを止める謎の声。
「儂ならここにおるぞ」
部屋中に反響したその声。
唯一の出入り口から入ってくる車椅子の老人。
彼は言った。
「久しぶりだな、サリサ」
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)