シャドービハインド
「最終的には切り刻んで実験に使わせてもらうわ。けれどその前に、私の遊び道具になってもらうわ」
邪悪な艶笑を浮かべ、鞭を構えたカオルコ。いつもと違う皮の鞭だ。
カオルコの鞭が撓った。
弾ける音が響き、鞭は戒十の服を破り、胸を擦り切った。
続けて何度も何度も鞭が振られ、戒十の全身を甚振り、血が噴き出るほどの傷を作った。
戒十は歯を食いしばりカオルコを睨む。それによって、さらに鞭は激しく振られた。
全身の傷はすぐに瘡蓋になって再生する。
満足げに嗤うカオルコ。
「きゃはははは、きゃははははは、さすがクイーンの血を引く者。もっと傷つけてあげる」
傷はすぐに治る。だが、痛みはその都度ある。
決して死ぬことのない拷問。
今までになく激しく鞭が叩かれた。
戒十の肉が抉れた。それもすぐに再生する。だが、それに伴う耐え難い苦痛。
壊れた鞭をカオルコは投げ捨てた。
「まだまだよ! まだまだ怨みは晴れないわ!」
「恨み?」
「アナタに対する怨み」
突然、カオルコは服を脱ぎだし、ショーツ1枚になった。
カオルコの腹には大きな傷があった。見るに耐えない無残な傷だ。そう、リサに開けられた穴だ。だが、それは少しずつ直りかけている。
怨みとはこの傷だ。
カオルコは仮面を投げ捨て、その顔を戒十に顔に近づけた。
「見るのよ、この顔を!」
おぞましい顔が戒十の眼前にあった。
抉れ、爛れ、骨が覗き、血管が動いている。醜悪で無残な顔。
美しい顔半分が、よりその醜さを際立たせている。
「貴方に喰われたこの顔、なぜか治らない。それどころか、少しずつ顔全体を蝕もうとしているわ」
「僕が?」
記憶になかった。
?ケモノ?と化した戒十。断片的に、夢の出来事のような、曖昧な記憶しか思い出せなかった。
「怪物になった貴方が喰ったのよ、この顔を!」
カオルコの手が戒十の首を締め上げた。
声すら出せずに、戒十は眼を白黒させた。
カオルコは唾を戒十の顔に吐きかけ、その手を首から離した。
咳き込む戒十を見ながらカオルコは嘲笑った。
「だからこれから時間をかけて甚振ってあげるわ」
「……ゲホッ……うぅ……おまえ……おまえだって僕の腕を奪っただろう、お相子だ!」
戒十の失われた片腕。それを肩からもぎ取ったのはカオルコだ。
「お相子ですって? 貴方の腕はそのうち再生するわ。お姉さまにやられたこの腹の傷も。けどね、私の顔は治らない。原因不明の病気としか言いようがないわ」
醜い顔を抑えながらカオルコは狂ったように嗤い出した。
嗤いながらカオルコは戒十の頬に自分の指を滑らせた。
「そうだわ、この顔の皮を剥ぎましょう。そして、顔の皮がまた再生しはじめたら、また剥ぐ。剥いで剥いで剥いで剥いで、何度も剥いでやるわ。剥いだ皮は貴方から見える場所に積み上げてあげる、きゃははははははっ!」
狂喜しながら、カオルコは鋭い爪を戒十のこめかみに突き立てた。
滲み出た血が珠になって頬を伝わり落ちる。
そのまま爪で顔の皮を剥ぐつもりだった。
「そこまでにしておけ」
男の嗄れ声がカオルコを止めた。
部屋に入って来たのは車椅子の老人だった。いや、それを老人と形容していいものなのか?
何百年を生きればそのような姿になりえるのか?
何十もの皺を重ねた顔、点滴を受けている腕は枯れ木のようだ。干からびたミイラのようで、誰もが生きていることを疑いたくなる。
だが、垂れた瞼の奥で光る眼。鋭く、猛々しい獣のように、強い眼をしていた。
それが何者なのか、すぐ戒十にもわかった。
「〈夜の王〉」
そう口から漏らしてしまった。
老人は答える。
「いかにも」
やはりこいつが〈夜の王〉。殺戮を繰り返して、世界を支配しようとした男。今の老いぼれた姿からはそのことは想像しがたい。その眼を見るまでは――。
しかし、肉体的には衰えている。この男がどれほどの力を保持しているのか、どれほどまでの権力を持っているのか?
カオルコは嗤っていた。
「この子をどうしようと私の勝手でしょう?」
「儂が許さん」
「あはは、私に命令する気? 私は貴方の召使でもなんでもないわ、ただ一時的に手を組んでいるに過ぎない。貴方は金と権力で私に協力していればいいのよ!」
〈夜の王〉が邪悪な笑みを浮かべた。
「いつから貴様は儂と同等になった、否……儂の上を行った?」
「老いぼれが……貴方は確かに人を動かす力は持っているわ。でも、私がいなきゃなにもできないのよ!」
「己惚れるな!」
その老体のどこにそんな力が残っていたのか。激しい恫喝が飛んだ。
他の者であったならすくみ上がっていただろう。現に戒十は恐ろしいほどに躰が震えた。
しかし、今のカオルコは相手を鼻で嘲笑った。
「己惚れているのは貴方のほうでしょう、いつまでも過去の栄光にすがってるんじゃないわよ!」
ついにカオルコは〈夜の王〉に牙を向けた。
鋭い爪で襲い掛かってくるカオルコ。
〈夜の王〉は車椅子に座ったまま動かない。
鋭い煌きが趨った。
「ギャァァアアグアガガァッ!!」
声にもならない絶叫をあげたのはカオルコだった。
床に溢れ出る血の海。
刃を隠した仕込み杖を持つ〈夜の王〉。一歩もそこを動いていない。ただ、その刃は微かに血で濡れていた。
「糞ォォォォォッッ!!」
血の海に腹ばいになって倒れているカオルコが叫んだ。
膝がない。カオルコには腿から下がなかった。両脚とも切断されたのだ。
車椅子から〈夜の王〉はカオルコを見下した。
「貴様が儂を裏切ることなど百も承知だった」
「どうして、どうして……糞ッ!」
カオルコは太ももで立ち上がり、体当たりするように〈夜の王〉に飛び掛った。
艶やかな口から吐き出された血が老人の顔を彩った。
〈夜の王〉が握る刃はカオルコの心臓を一突きにして、さらに抉るようにそこから斬り刻まれていた。
口から血の泡を吐きながら、それでもカオルコは〈夜の王〉を殺そうとした。
長い爪で〈夜の王〉の首を掻っ捌いてくれる!
しかし、掻っ捌かれたのはカオルコの首だった。
黄ばんだ牙がカオルコの首に噛み付き、頚動脈からなにから噛み千切った。
大きく見開かれたカオルコの瞳。
最期にカオルコの瞳が映したモノは……邪悪な瞳の奥で恐怖に顔を歪める女の顔だった。
戒十は眼を強く瞑った。
肉を千切る音、骨を砕く音、そして血を啜る音。
そして、野獣の咆哮。
カオルコは死んだ。
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)