シャドービハインド
すると、戒十も純を解放した。けれど、決して後ろを振り向くことを許さない。
「こっちを向かないで欲しい」
哀しみが言葉には含まれていた。
純は言葉を返す。
「わたしは今の三倉くんでも大丈夫だよ?」
残念なことに、戒十はその言葉を信じることができなかった。
自分の姿がどうなっているか、鏡はまだ見ていないが、想像くらいはつく。
このような怪物を誰が普通に接することができようか?
純の言葉。その言葉に戒十は小さな希望を見出し、この一言を残すことにした。
「ありがとう」
そして、戒十は純が振り向く前に去ろうとした。
だが、それは阻まれることになった。
謎の男が立っている。この雰囲気はすぐにわかる。
「僕を探しに来たのか?」
こんな場所にまで追ってくるなんて、純まで巻き込む結果になってしまった。
男は飛び掛ってくる。
純が小さく叫ぶ。
戒十は動かなかった。相手に怯えて動かないのか、咄嗟のことに動けないのか、それとも怪我のせいかなのか?
すべて違った。
弱すぎる。
戒十の長い爪が男の胸を抉った。
男は胸を押さえながら後退りをした。
決して弱い敵ではない。
戒十は変わったのだ。
?ケモノ?になった戒十は人型に戻っても、以前の戒十とは別のモノに変わっていたのだ。
開花した戦闘能力。
しかし、まだ調子が悪い。
音が雪崩のように押し寄せてくる。
酷い頭痛と眩暈。
戒十は男に止めを刺す。
男の腹を貫いた戒十の腕。抜かれた腕は腸を引きずり出していた。いくらキャットピープルといえど、死を免れない致命傷だ。
残虐な光景を目の前にして純は絶叫して気を失った。
純に見せてはいけない光景だが、これでいい。気を失ってくれたほうがやりやすい。敵を倒せば、もうここをすぐに去る。今度こそ、もう2度と純と会うことはないのだから。
驚いた顔で戒十は振り返った。
「クソッ」
その短く吐き捨てた言葉にすべての感情が含まれていた。
他の雑音に惑わされ、もう1人の敵に気づかなかったのだ。
敵は気を失っている純を人質に取った。
「大人しくしろ!」
男が叫んだ。
戒十は立ち尽くしながらチャンスを伺った。
自分が敵を仕留めるのが早いか、敵が純を殺すのが早いか。
「僕を狙ってきたんだろ?」
「そうだ、生け捕りにしろとの命令だ」
「僕が抵抗せずに君に捕まれば、その人を解放するか?」
「してやろう。だが、まず外で待機している仲間を呼んでからだ」
男がケータイを出そうとした瞬間、戒十は動いた。
長い爪が男の頬を抉った。
さらに攻撃の手を休めずに――と思ったのだが、戒十の視界が霞んだ。
男は戒十との実力の差を実感し、純を連れて逃げようとしている。この状況で人質を取っても、戒十を生け捕りにするのは難しいと判断したのだ。
純を抱えて逃げる男。
男はベランダに向かって走りだしている。
すぐに戒十も後を追おうとした。
しかし、開けられたカーテンから光が部屋に差し込んだ瞬間、戒十の視界がさらに霞み、意識が遠のく感覚に襲われた。
陽を浴びた黒い影がベランダを飛び越えていく。
「こんなときに……」
自分の不甲斐なさを呪った。
戒十は床にうつ伏せになって、そのまま動くことができなかった。
ここで意識を失うわけにはいかない。
必死に立ち上がろうとした。
腕が痺れて動かない。
誰かが近づいてくる音が聴こえた。あいつが仲間を引き連れて、体制を整えなおしたのかもしれない。
もう抵抗もできない。
それでも戒十は戦おうとした。諦める気などない。
最後の力を振り絞って戒十はうつ伏せから仰向けになった。
そして、自分を見下げる顔を見た。
「大丈夫ぅ、戒十?」
その顔を見て、戒十の顔は思わず綻んだ。
リサがいた。
「見ればわかるだろ。知り合いが浚われた、早く追ってくれ」
「シンが追ってるけど……。それよか、戒十がまさか元に戻れるなんて、思ってもみなかった」
満面の笑みを浮かべるリサ。本当に嬉しそうだった。
しかし、戒十は純が気がかりだった。
「僕のことはいいから、早く敵を追えよ!」
「怒鳴んないでよ、シンが追ってるって言ってるじゃん。奴らはシンに任せたから、アタシは戒十のこと任されたの!」
「僕は独りでも平気だよ」
「ぜんぜんへーきじゃないじゃん。ここの傷、やっぱり治ってないんだ」
キッカに撃たれた傷のことだ。
「でも、あの銃弾を撃たれて死なないなんて……」
傷は残っているが、治る方向に進んでいる。通常のキャットピープルであれば、死んでいたはずの毒薬だった。
リサは戒十の身体を担ぎ上げた。
「行くよ」
行こうした瞬間、リサのケータイが鳴った。
「はい、もしもーし」
テンション高く電話に出たが、急激に顔色が曇った。
ケータイを切ったリサは、申し訳なさそうに戒十を見つめた。
「逃げられたって」
戒十はなにも言わなかったがリサは感じた。戒十の鼓動が乱れている。これは怒りだ。
「必ず助けるから」
そう言ってリサはこの場から戒十を連れ出した。
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)