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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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シャドービハインド

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第3章-夜の産声-再会


 早朝から雨が降っていた。
 夏の雷雨。
 身体に雨粒を強く打たれ、歩いていた――戒十。
 意識が朦朧としていた。
 ここまでどうやって来たのか、なにも覚えていない。
 どういうわけか、戒十は人型に戻っていた。
 だが、服は着ておらず、代わりに全身が毛に覆われ、髪は地面に引きずるほど長い。
 戒十のわき腹には膿んだ傷、そして右腕がなかった。
 霞む視界。
 戒十の瞳に映る景色は、三倉と掛かれたドア。
 もう限界だった。
 戒十はマンションの廊下で倒れてしまった。
 足音が聴こえる。
 ここまで、無意識のうちに身を潜め、誰にも見つからぬように来たが、立ち上がる力も残っていない。
 眠るように戒十の瞳はゆっくりと閉じた。
 そして、ゴミ袋を持ったまま駆け寄ってくる少女の姿。
 少女はゴミ袋を落とし、驚きと動揺で戒十の横顔を見つめた。
「まさか……戒十くん!?」
 全身を毛で覆われ、片腕のない異質な存在。たじろいでも可笑しくない化け物だ。
 だが、純は戒十を悲しんだ。
「どうしたの、大丈夫?」
 微かに言葉に滲む恐怖。
 すぐに純は戒十の身体を弱く揺すった。けれど、反応はない。
 次に純は三倉家のチャイムを押した。けれど、反応はない。
 人を呼ぶ?
 脳裏に過ぎったが、今の戒十を誰かに見せてはいけないと思った。多くの眼に変わり果てた戒十を見せてはいけない。
 純は渾身の力で戒十を背負い、自分のうちまで運んだ。
 弟はまだ寝ている。母は台所に立っている。細心の注意を払いながら戒十は自分の部屋のベッドに寝かせた。
 顔にも出るほど純は動揺していた。
 これからなにを?
 戒十の様子を確かめるのが先か、置いてきてしまったゴミ袋の処理か、このことを母にだけは伝えるべきなのか、戒十になにがあったのか?
 とりあえず純はゴミをゴミ置き場に捨てに行くことにした。
 走ってゴミを捨てに行き、すぐに部屋に戻ってきた。部屋を空ける前と、戒十に変わった様子はない。
 ベッドに横たわる戒十の姿を観察しながら、急に純は顔を赤くした。そして、急いでバスタオルを戒十の下腹部に掛けた。そのとき、戒十がわき腹に怪我をしていることに気づいた。
 長い毛に覆われていて隠れているが、その一部だけがねっとりしており、毛を軽く掻き分けると膿んだ傷口が見えた。
 純は部屋を飛び出し、救急箱を持って戻ってきた。
 消毒液を掛けようとするが、それをやめて純はピンセットを握った。
 傷口から見えている金属片。
「痛かったごめんね」
 純は痛々しい顔をしながら、ピンセットで金属片を抉り出した。
 潰れた金属の塊。それは銃弾の破片だった。キッカが撃った毒薬入りの炸裂弾だ。
 その後、傷口を消毒して、試行錯誤しながらガーゼを当てて、テープで固定しようとしたが毛が邪魔でできず、包帯を腹に巻いて固定した。
 純は疲れたように床に座り、漠然と戒十の姿を眺めた。
 どうしてこんな姿に?
「銃で撃たれたのはこんな姿になったから?」
 あの金属片が銃弾であることは推測できていた。その因果関係を姿と結びつけたのは妥当な考えだろう。
 毛に覆われた異質な姿。
 片腕もないが、傷口は手当てするまでもなく、塞がって瘤のように硬くなっていた。
「……どうして……こんな姿に?」
 それが最大に疑問だろう。
 梅雨の雨の日、戒十は自分の前から姿を消した。その後、学校にも来ず、自宅を訪ねるが、いつも留守だった。
 長く感じた数週間だったが、それでも数週間という短い時間で、人間はこれほどまでに変貌できるのか?
 純が確信を持ってわかることは、戒十が何者かに命を狙われているということ。
 失われた腕、撃たれたわき腹。やはり、戒十のことを誰かに知られるわけにはいかない。
 誰かに知られれば、そこから戒十に危険が及ぶかもしれない。
 こんな姿の戒十を母が見たらどう思うか、それを考えると母にも秘密にするしかない。弟なんてもってのほかだ。
 考えを巡らせた結果、純は独りで背負うことを決めた。それが最後に残った選択肢だった。
 しかし、いつまで隠し通せるか?
 限界など眼に見えている。
「大丈夫……」
 まずは戒十が意識を取り戻すまででいい。そうすれば事態はだいぶ改善される。
 さすがに一生眠り続ける戒十を、この部屋に匿うのは不可能だが、眼を覚ますまでならどうにかなる。
 この部屋には滅多なことがない限り、誰も入ってこないはずだ。けれど、弟が知らないうちに勝手に入る可能性がある。
 周りが見えないほど、純が考え事をしているとき、突然に部屋のドアがノックされた。
 心臓が止まるかと思った。
「純、どうしたの、朝食の準備できてるわよ?」
 なかなか姿を見せない純を心配して、母親が呼びに来たのだ。いつもは呼ばれる前に、朝食の準備も手伝っているのに――。
 純はドアの前に立ったが、ドアを開けることはなかった。
「なんだか調子が悪いから学校休むね。朝食は冷蔵庫に閉まっておいて、あとで食べるから」
「そう、わかったわ。ゆっくり休んでね」
 足音が遠ざかっていく。
 ほっと胸を撫で下ろす純。
 咄嗟の嘘だったか、これで今日1日は戒十の傍にいられる。
 明日までに戒十が目を覚まさなかったら?
 これからのことも考えなくてはいない。
 ドアを背もたれにして、膝を抱えて純は座った。
 ひと段落つき、疲れが急に襲ってきた。
 純は膝に顔を埋め、眼を瞑って深呼吸をした。
 時間だけが過ぎていく。
 家族は出かけてしまった。残っているのは純と戒十だけ。

 いつの間にか、純は眠りに落ちてしまっていた。
 物音が聞こえ、ハッとした顔をして純は目を覚ます。
 物音は違う部屋から聞こえた。戒十が目を覚ましたのかと思ったが、その戒十は目の前のベッドで横になったままだ?
 母か弟がなにかあって帰ってきたのだろうか?
 純は部屋のドアを静かに開け、首だけを廊下に出して、辺りの様子を伺った。
 物音は聞こえなかった。
「気のせい?」
 かと思ったが、気になって不安になってしまい、他の部屋も調べることにした。
 大きなカーテンが揺れている。ベランダに出る窓が開いているらしい。
 窓が開いていること事態は、特段に気にすることではない。階層が高いので、無用心ということにもならず、純が家に残っていることもある。だが、網戸が閉まっていないのは不自然だ。
 しかし、不自然だと思いつつも、誰かが閉め忘れたのだろうという、もっともありそうな可能性で考えを終わらせた。
 純は窓を閉め、カーテンを直し部屋を後にした。
 また物音がした。
 今度は確実に聞き取れた。それが自分の部屋からだと知り、駆け足で純は戒十の元へ戻った。
 部屋に戻ると、戒十の姿がない!?
 そう純が思った瞬間、後ろから口を塞がれてしまった。
 毛むくじゃらの手が自分の口を塞いでいる。純はその手を振り払おうとした。
 長い毛が床に落ちる。抜いたのではない。簡単に抜けてしまったのだ。
 突然のことに純はパニックに陥ったが、それが戒十だということを思い出した。
 純は無理に抵抗することをやめ、全身の力を抜いて戒十に身を任せた。