シャドービハインド
「死にはしないわよ、だってクイーンの血を受け継ぐ者だもの」
静かな嗤いが響いた。
異変に気づいたのは誰が最初か?
はじめはカオルコの嗤い声だった。
しかし、その闇に潜んでもうひとつの声がいていた。
リサが叫ぶ。
「カイトが暴走する!」
カオルコが眼を剥いた。
巨大なケモノがカオルコに襲い掛かった。
「キャァァァッ!!」
甲高い悲鳴。
カオルコを地面に倒し、その上に戒十がケモノのように乗っていた。
咄嗟にカオルコは戒十の腹を蹴り飛ばし、顔面を押さえながら立ち上がった。
長く美しい繊手の間から噴出す血。カオルコは顔半分を手で隠し、残り半分の顔を狂気で歪ませていた。
「よくも、よくも……アタシの顔を喰ってくれたわね!」
勢いよく外された手の下から、見るも無残な血みどろの顔が姿を現した。
顔の筋肉が露になり、顎や頬の骨が見えていた。カオルコは美醜を左右の顔で体現していた。
戒十の筋肉が脈打って、服が破れるほど膨れ上がった。
キッカが声を張り上げる。
「ただの?成れの果て?じゃないぞ!」
戒十の髪の毛が地面に付くほど伸び、黒い毛並みが全身を覆った。黒い毛に覆われた顔の奥で光る眼。
もはやそれは戒十と呼べない存在――巨大な?ケモノ?と呼ぶに相応しい。
自分たちキャットピープルの存在は肯定できる。けれど、物語と現実を混同することはない。
キッカは苦笑いをした。
「俺たちは現実を生きてる。今、俺らの目の前にいるのはファンタジーだぜ」
?ケモノ?は三つ足で跳躍した。獲物は血の香りを振り撒くカオルコ。
猛獣使いのように鞭を使い、血みどろのカオルコは?ケモノ?に挑んだ。
鋭い刃を持つ鞭が踊る。
鞭は?ケモノ?の肉を抉り斬った。それも数え切れないほどに。
しかし、?ケモノ?は物ともせずにカオルコに牙を剥く。
開けられた巨大な口。鋭い牙。紅い舌までも、カオルコは間近で見た。
その口は頭を丸ごと呑み込むのではないかと思われた。
喰われる寸前、カオルコの身体が、小柄な影に押し飛ばされた。
?ケモノ?の歯が激しく音を立て噛み合わされたが、口にはなにも入っていない。
黄金の瞳が映し出す少女の姿。カオルコを押し飛ばし、?ケモノ?の前に立ったのはリサだった。
リサの瞳は冷たい。?ケモノ?の奥に戒十の姿を映していない。
「凶悪な?ケモノ?を世に放つわけにはいかないの」
口調はさらに冷たさを帯びていた。
三つ足の?ケモノ?は、その牙でリサに襲い掛かる。
リサは素早く?ケモノ?の懐に潜り込んだ。
そして、隠し持っていたナイフを抜く。そのナイフはシンが戒十に渡した物だった。?ケモノ?になった弾みで地面に落ち、それをリサが拾ったのだ。
鋭いナイフは、鋭い牙よりも早く、相手の肉に喰い込んでいた。
ナイフの刃を流れる血の筋。
さらにリサはナイフを奥へと押し込んだ。
魔獣の彷徨が夜に響き渡った。
リサの刺したナイフは心臓の位置を捉えていた。
?ケモノ?は二本足で立ち、リサの身体を掴んで投げ飛ばした。
地面に着地したリサ。その手にナイフはない。ナイフは?ケモノ?の胸に突き刺さったままだ。
リサは歯を食いしばりながら表情を曇らせた。
「可笑しい……心臓まで届いてないの?」
ナイフは心臓の位置を捉えていた。それは鼓動を感じるリサの耳が証明している。
しかし、戒十から何倍も膨れ上がり、厚い筋肉を持つ?ケモノ?の胸板を、ナイフは貫くことができなかったのだ。
それほどまでに?ケモノ?は巨大化していた。
かつてその?ケモノ?が戒十だったと、誰が信じようか?
キッカの銃が火を噴いた。
銃弾はすべて?ケモノ?に命中したが、致命傷どころか攻撃になっているかもわからない。
キッカは弾倉を抜き、赤いテープの貼った弾倉と入れ替えようとした。毒薬入りの炸裂弾だ。
弾倉を入れ替えるキッカの傍らでシンが地面を蹴った。
刀が風を斬る。
しかし、その刀が?ケモノ?を斬ることは叶わなかった。
巨大な躰を持ちながら俊敏な動きを見せる?ケモノ?。
胸にナイフを刺されてから、途切れることなく咆哮をあげている。
暴れながら?ケモノ?はシンの胸に拳を喰らわせた。
人形のようにシンは飛ばされ、衝撃で躰が言うことを利かず、うつ伏せのまま地面に落ちた。口から大量の血が毀れる。外からの衝撃で内臓までやられたようだ。
リサは再び?ケモノ?に挑もうとしていた。
その時、銃声は鳴り響いた。
キッカの撃った銃弾が?ケモノ?の腹で炸裂した。
豪雷にも似た咆哮をあげる?ケモノ?は、キッカに飛び掛ってきた。
再びキッカは銃を撃った。
1発に止まらず、できる限りの銃弾を?ケモノ?に喰らわせた。
?ケモノ?はキッカの胸を押し飛ばし、そのまま踏み台にして逃げようとした。
地面に激しく背中を打ちつけたキッカは動けない。
よろめくシンでは?ケモノ?を追えない。
残されたリサは足が地面に張り付いたように、ただただ、黒い影が闇に消えるのを見つめていた。
そして、カオルコの姿もまた、いつの間にか闇の奥に消えていたのだった。
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)