シャドービハインド
第3章-夜の産声-新たな夜
あれから数週間、梅雨は明けた。
しかし、戒十の夜は明けることを知らなかった。
陽の下を歩けなくても、さほど支障はないと考えていたが、出来ないとなると恋しくなるものだ。
キャットピープルが単独で生きることは難しい。正体を隠し、事件沙汰は起こしてはいけない。その上、大量の血液を手に入れ、糧としなくてはならない。
今の世の中、人を攫えばすぐに足が付き、殺せばさらに足が付き、証拠を残さないなんて不可能に近い。
現代社会を行き抜く上で、コミュニティーを作ることは必要不可欠だった。
地方よりも首都圏に人間が集まるのと同様、キャットピープルのコミュニティーも首都圏に集まる。
戒十が今いるアパートは、住人の100パーセントがキャットピープルだった。そんな環境にいると、まるで町中キャットピープルで溢れ返っている錯覚に陥る。
1日中、不思議と眠くない戒十は暇な時間を過ごす。
冷房の効いた部屋で、日中はテレビを見ているだけだった。
まだ戒十はキャットピープルとして覚醒していない。
陽の下に出なくとも、日中は酷い倦怠感でなにもする気が起きない。外の光を少し見ようとしたことがあったが、眼の奥を抉られるような痛みが走り、すぐに床でのたうち回るハメになった。
太陽の光を浴びれない吸血鬼のようだ。
蛍光灯の光や蝋燭の火などを見ても痛みは伴わない。ただ、少し明るいと感じるため、今の部屋は暗いまま、テレビだけが煌々と光を放っている。
テレビがCMに入り、戒十は席を立った。
冷蔵庫を開けて、中から赤いパックを出す。血液パックだ。
パックを開けてコップに注ぐ。ちょうどコップ1杯が200ミリリットル。半分ほど注いでこれを一気に飲み干す。
はじめて人間の血液を飲みはじめたのは、この生活がはじまった直後だった。最初は少量を数日置きに飲んでいたが、量を少しずつ増やして今は毎日100ミリリットル、日課となっていた。
道徳的な感情から、やはりはじめは戸惑いを覚えた。最初の一口はリサに無理やり飲まされた。だが、飲んでみるとどうってことはなかった。おそらく人間であれば不快であっただろうが、もう戒十は人間ではなかったということだ。
使ったコップをすぐに洗い流す。
薄く染まった紅い水が下水に吸い込まれていく。
「……退屈だな」
心底から戒十は呟いた。
これならまだ昔の生活のほうがマシだった。まだ昔のほうが自由があった。今はまるで軟禁状態だ。
血を飲むと、しばらくして倦怠感が消える。それも長くは続かず、血を飲む前よりも酷くなる。そ症状が和らぐのは日が落ちたあとからだ。
夕方ごろになると、学校を終えたリサが帰ってくる。
「ただいまぁ!」
元気なリサに戒十はつまらなそうに答える。
「お帰り」
本当はなによりもリサが帰ってくることを心待ちにしている。陰気で退屈な時間が、リサによって払拭される。自分でも嬉しいと感じていることを知りながら、戒十はその感情を殺して何気なく、むしろ少し冷たい対応をする。
リサと目を合わさずにテレビを見続ける戒十。リサは少し不満そうな顔をしている。
「毎日毎日、ヒマでダルイのもわかるけどさぁ。休日のダメ夫みたいな生活してると、本当にダメ人間になっちゃよー」
「しょうがないじゃないか、やる事がないんだから」
「だからちゃんと求人カタログ渡したじゃん」
数日前、リサが戒十に渡した求人カタログ。キャットピープルになっても、生きていくためには金が必要だ。キャットピープルのコミュニティーから多少は支給されるが、それでも十分な金額には及ばない。やはり働かなければ生きていけない。
リサからもらったカタログは部屋の隅で放置されたままだ。中にある求人は在宅モノや、夜間の仕事、雇用主がキャットピープルのモノなどなど、意外と多岐に渡っている。
なにかをしなくていないという強迫観念はあるが、それよりも倦怠感やめまいに苛まれ、中途半端なキャットピープルである戒十はなにもできる状態じゃなかった。
「リサだって僕が辛いのわかるだろ!」
感情まで不安定ですぐに怒鳴ってしまう。
「じゃあさ、今夜は気晴らしにどっか行こうか」
「どうせまた補導されそうになるんだからいいよ」
戒十が外出できるのは夜だけ。大昔と違って、街は夜も眠らない。娯楽はいくらでもある。
しかし、リサも戒十も見た目が未成年なのだ。
何度か夜二人で出かけたことがあったが、その都度補導されそうになって逃げた。リサは慣れているらしいが、戒十にしてみれば面倒臭いことこの上ない。
戒十はまだ過去の生活を捨てたばかりで、ヘマをすれば親に通告されてしまう。
今頃、両親は自分のことを心配しているだろうか?
そんなことを戒十は思ったりもするが、もしかして未だに家を出たことすら知らないのではないかと、失笑してしまう。
父親は単身赴任、母は若い男と遊び家に帰らず、戒十は二人の両親と長いこと顔を合わせていない。
家を出るとき、母親への不満を書きなぐり、学校もやめて自立するから家出すると書置きを残してきた。普通の親であれば、捜索願を出せれそうだが、あの親はそんなことしないと戒十は踏んでいた。
家を出るときに持ってきた持ち物は少ない。財布と自分の預金通帳、気替えとヘアワックスなどの生活必需品、それにケータイと充電器くらいだ。
ケータイはほとんどのメモリを消去した。過去の生活は捨てるつもりだったからだ。けれど、自宅と母のケータイだけは残しておいた。母親のことが嫌いなのに、なぜか消すことができなかった。
リサは戒十の腕を引っ張る。
「ねぇ夜になったら遊びに行こうよぉ。あんまり遅くならなきゃ補導されないしさー」
「いつも遅くならないようにしてるのに、なるんだろ?」
「だってぇ、楽しいんだもん」
戒十はため息を吐いた。
補導される要因は戒十よりもリサにある。リサに見た目は幼すぎるのだ。
外に出ることを戒十だって本気で嫌なわけではない。むしろ、こんな場所に閉じ込められて、外に出たいという欲求は強い。それなのに嫌そうなそぶりをリサに見せてしまう。
リサが上目遣いで戒十を落とそうとする。
「お願〜い、一緒に遊びに行こうよぉ」
リサの大きく丸い瞳には、困った顔をする戒十が映りこんでいる。
「しょうがないな」
まるでリサに押されたからと言わんばかりの口ぶり。けれど、戒十の口元は少し微笑んでいた。
夏の日没は遅い。
18時を過ぎても空は明るく、二人が出かけたのは19時を過ぎてから。
二人の見た目はリサを贔屓目[ヒイキメ]に見ても高校生。ゲーセンの入り口には18歳未満(高校生不可)の22時以降の立ち入りを禁止いた張り紙がある。
ゲーセンでの時間はあっという間に過ぎ去り、その頃になると他の店の出入りも制限される。
街には中高生がまだ見かけられる。中には大人びた小学生も混ざっているかもしてない。リサも大人びた小学生に見えないこともない。
戒十はつまらなそうな顔をしていた。
「子供じゃできないことが多すぎる」
「ま、そうだけどさ、アタシはけっこう楽しくやってるよー?」
にこやかに笑うリサを見て戒十はさらに不安になった。
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)