シャドービハインド
第2章-夜の侵食-雨の別れ
キャットピープルになって鋭くなった感覚のひとつ。自分と相手との各の違いを計る感覚。動物界では重要なことである。
目の前で繰り広げられるリサとカオルコの闘いに、戒十は唖然とせずにはいられなかった。
背筋の走る寒気、到底及ばないレベルの闘いが繰り広げられているのだ。
どの程度、目で追えているかすらわからない。
繰り出される拳や蹴りの残像が幾重にも見える。
風を切る音、風にぶつかる音、そして肉がぶつかる音。
鳴いていた風が熄み、リサとカオルコが対峙した。
笑いかけるリサ。
「けっこうやるジャン」
嗤い返すカオルコ。
「昔の私と思わないで欲しいわ」
「だとしても、アナタがアタシの娘である限り、力の差は絶対だかんね」
カオルコはリサを姉と呼び、リサはカオルコを娘と呼んだ。
シンは悟った。
「なるほどな、リサがあの女をキャットピープルにしたのか」
キャットピープルとしての血の繋がり。
通説として、血を与えた者より、与えられた者のほうが、キャットピープルの能力が劣ると言われている。ただし、何世代もの格差があれば別だが、?親?と?子?の関係くらいでは能力に大きな差は出ない。
リサの自信――それは親子の力の差よりも、経験による差が大きいのだろう。
キャットピープルは歳を重ねるごとにその力を増す。
?親?と?子?に力の差が現れるのは、本質的性能の問題よりも、積み重ねられた年齢の差によることが大きい。
カオルコの年齢は不明だが、リサはカオルコよりも、江戸時代の武士だったというシンよりも長く生きている。この点からも?親子?の力に差が出るのだ。
すべてカオルコも承知のはず。
だが、カオルコは余裕の笑みを崩さなかった。なにか策でもあるというのか?
「昔の私と思わないでと言ったでしょう?」
戒十はもちろん、シンもそのスピードについていけなかった。
一瞬のうちにカオルコはリサの懐に入っていた。
鋭く伸びたカオルコの爪がリサに刺さろうとしていた。
だが、眼を剥いたのはカオルコだった。
絶対に外さないハズの攻撃が空を切った。
「どこ?」
視線を泳がすカオルコの耳に届くリサの大声。
「ここだよ〜ん!」
振り向きざまにカオルコはリサのビンタを食らって地面に転がった。
頬を押さえながら片膝を地面に付き、鋭い眼つきでカオルコはリサを睨んだ。
「どうしてっ!?」
「昔よりか強くなったの認める。けど、それでどーしてアタシに勝てると思ったわけ?」
「……くっ」
唇を噛むカオルコ。悔しさはさらに強くなった。
リサの瞳は冷たくカオルコを見下していた。
「今まで1度だってアタシは、アンタの前で最大限の実力を見せたことないよ?」
「絶対に……絶対にお姉さまを超えて見せる……」
「そのために何度、何十回、何百回、禁忌を犯す気なの?」
カオルコの眉が少し上がった。
「……やはりお見通しなのね。そうよ、力を手に入れるために、私は同属を喰らったわ!」
この発言に衝撃を受けたのはシン。傍らにいる戒十はよく理解できなかった。
喰らうというのは決して比喩ではない。
種族が増えるにつれて血が薄まり能力が落ちるならば、血を濃くするためにはどうすればいいのか?
リサは重たい口調で語りはじめた。
「キャットピープルの間では、ただの迷信とされている――ううん、迷信だと信じ込ませなければならないこと。でなければ絶対に力を欲する者は、その禁忌を犯すもん。キャットピープルは同属を喰らうことによって、力を増すことができるの」
迷信であること以前に、その話がタブーであることから、話そのものが多く広まらない。けれど、長く生きれば生きるほど、その話が耳に入ってきてしまうこともあるだろう。
シンも話は知っていたが、ただの迷信だと思っていた。
その手の話は、神話や伝承、迷信としてはいくらでもある類だ。倫理観のある者であれば、同じ仲間を喰らうなど発想しない。
しかし、カオルコは喰らった。
戒十はリサの話を理解したとき、瞬時にそこに考えが及んだ。
「僕を喰う気だったのか?」
問いに答えることなく、カオルコはただ妖しく嗤った。
その嗤いが答えなのだろうか?
少なくともリサ側についたのは、マシな判断だったかもしれない。
「喰われるなんてまっぴらごめんだね」
戒十は明らかな嫌悪感を込めて吐き捨てた。
傍らでシンが静かに話す。
「だがな、俺たちは同属を喰らわぬまでも、人の生き血を吸って生きている」
「僕はまだ普通の食事だよ」
その戒十の言葉にシンはなにか言いたげだったが、なにも言わずに口を閉ざした。
ゆっくりと立ち上がるカオルコ。その眼はリサを捕らえて放さない。
「私のことをどうしたいの?」
それはすでに負けを認めた発言だった。実力ではまだリサに敵わないと判断した。だが、まだ心は折れておらず、眼はケモノのようの鋭い光を放っている。
「禁忌を犯したことは眼ぇ瞑る。同属の争いや、人間に戦争を仕掛けるようなマネはよして欲しいだけ」
それはリサの願い。
カオルコは首を横に振った。
「嫌よ、私たちは人間よりも優れているのに、なぜ闇に潜まなければならないの!」
リサは哀しい眼をしてカオルコを見つめる。
「やっぱりアナタは昔と変わらない。やっぱり生かすべきじゃなかった」
「だったら、今ここで、私のことを殺す?」
「…………」
「できないのでしょう? ?成れの果て?を殺す非情さはあるのに、私のことは殺せないのよね……何百年生きようと、貴方の心は強くならない」
二人の過去に何があったのか?
さらにカオルコは怒鳴るように話した。
「お姉さまほどの力があれば、多くのキャットピープルを束ねることができるのに、貴女は争いを恐れて人の上に立とうしない。私にないモノを持っているのに、どうしてそれを使おうとしないのよ!!」
黙って聞いていたリサの表情には、悲しみと怒りが同居していた。
「……アナタに何がわかるの、たかが100年くらいしか生きていない小娘に何がわるかるの、争いなんてホントくだらないんだから!」
さらに小さく「ばっかじゃないの」とリサは付け加えて口を結んだ。
カオルコは悪戯に笑っていた。
「怒った顔のお姉さまは好きよ。私にはわかるの、その顔が本性なのだと」
「うっさい!」
「私の躰にもちゃんと流れているのよ、お姉さまの邪悪な血が」
「…………」
リサはなにも言えないようだった。
そんなリサをあざ笑うカオルコは去ろうとしていた。
「今は身を引くけれど、近いうちに会いましょうね……お姉さま」
その背中をリサは目で追うことしかできない。足は地面に張り付いたままだった。
深い闇の中にカオルコは消えた。
すぐにシンが後を追おうとするが、その服を掴んで止めるリサ。
「シンじゃ勝てないよ」
「だが、しかし!」
「まだ悪あがきする時期じゃないよ」
シンの身体から鬼気が抜けた。
君主のためならば、犬死とわかっていても闘わねばならぬときがある。時期を見誤ってはいけないことをシンも心得ていた。
リサは今まで見せたことがないほど、哀しい顔をして地面を見ていた。戒十はその表情を見ながら、なぜか自分の心に胸を当てた。
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)