チャネリング@ラヴァーズ
だが貴子の姿はあっという間に見えなくなった。
佐井野を振り切った事を確認した貴子は、ふと窓ガラスに移った自分の姿を見た。自分の背後に、誰かの姿がふっと映った。はっとして目を凝らすと、そこには何も映っていなかった。気のせいだ、と貴子は思った。そして教室に傘を忘れてきた事を思い出した。だが教室に戻り、佐井野と顔を合わせるのは嫌だった。灰色の空を見あげたが、雨が止む気配は無かった。校門を出た貴子は、雨の中を一人、歩き始めた。
前日、雨の中を帰宅した貴子は、久しぶりに風邪をひいた。しかし期末テストも近いため、薬を飲みながら学校にだけは行くことにした。休み時間に、何度かまみと眼が合った。だがまみはすぐに貴子から視線を逸らした。そしてその度に貴子は胸が鋭く痛んだ。
授業が終わり、風邪薬のせいでふらふらと歩き始めた貴子の前から、佐井野が歩いてきた。だが熱でぼんやりとした貴子には、もはや逃げる気力も無かった。それでも佐井野と顔を合わせたくなかった貴子は、鞄からあるものを取り出して被った。佐井野は貴子の様子が普段と違うことにすぐに気がついた。
「白石?」
貴子は白い狐の面を被っていた。それは以前、タダイマに被せられた狐の面だった。
「白石、おめ……。」
「今はあんたと顔を合わせたくない。」
すれ違った貴子の手首を佐井野が掴み、貴子の顔から狐の面をとった。
「……おまえ、最近何があった?」
貴子の顔を覗き込み、佐井野が尋ねた。熱のために、貴子の頬と眼はうっすらと赤みを帯びていた。
「何がって、何が?」
その時、佐井野はようやく貴子の異変の原因に気がついて、はっとしてその顔を見た。
「……おめ、憑かれとるな。」
「え?つかれてる?別に疲れてないけど。」
「そうじゃない、霊にだ。それも死んだ霊じゃない。これは生霊だ。」
「い、生霊‽ 」
「そうだ。おめは生きている人間に憑かれている。死んだ霊よりたちが悪い。何か恨まれるようなことをした憶えはないか?」
「他人から恨まれるような事なんて、した覚え一度もないわよ。」
「最近、何かおかしなことはなかったか。」
「……確かに風邪はひいているけど……。」
貴子はまみとの出来事を思い出した。だがその話を佐井野には話したくなかった。
「わいが降ろす。」
「え、相手はまだ生きてるんでしょ?そんなことできるの?」
「ああ。生口というんだ。」
「いきくち?」
佐井野は俯いて、
「……わいのレベルのイタコには、まだちょっと危険だ。」
と小声で呟いた。
「危険?ちょっと、佐井野、そんな危ないことやめてよ。」
「馬鹿か!原因が分かっているのに放っておくわけにはいかん!」
佐井野が貴子の肩を両手で掴んだ。
「……佐井野。」
「でも、いいか、相手はもしかしたらおまえの知り合いかもしれない。覚悟しておけ。」
佐井野は貴子を特進クラスまで連れて行き、自分の椅子に座らせると、口寄せのための念仏を唱え眠り始めた。貴子も目を閉じて、霊が降りて来るのを待った。やがて佐井野の口が開いた。
「……白石貴子が憎い。」
「え?」
佐井野の口から洩れ聞こえてきた声は、貴子がよく知っている北沢まみの声だった。
―まみ!
貴子は口元を押さえた。自分が予想した通り、取り憑いている生霊はまみだった。まみの生霊が乗り移ったままの佐井野が、貴子を見た。
「白石貴子!」
立ち上がった佐井野が、貴子に向かって飛び掛ってきた。そしてそのまま佐井野に首を絞められた。
「やめて、まみ!」
貴子はどうにかしてその腕を自分の首から放そうともがいた。だが相手は強い力で首を絞め続けた。
「くっ!」
さらに、ぎりぎりと貴子の首を絞めた。窒息のあまり、気が遠くなりそうだった。
「佐井野、ごめん!」
叫ぶと貴子は佐井野の腹を思いっきり蹴飛ばした。
「ぐふっ」
と鈍い声がして、佐井野は後ろに倒れた。解放された貴子、荒く息を吐いた。貴子は佐井野が起き上がる前に、馬のオシラサマで佐井野の身体を叩いた。
「あ!」
と、女の声が小さく叫んで、佐井野は後ろに倒れこんだ。同時に貴子も床に倒れた。
そして、佐井野がようやく目を開いた。腹部に覚えのない痛みを感じ、上半身を起こした。椅子が倒れ、貴子も床に倒れているのが見えた。佐井野はすぐに起き上がり、貴子に駆け寄った。
「おい!何があった、白石‽」
貴子は涙を浮かべた目で佐井野を見上げた。だが、すぐに意識が朦朧として頭を後ろに倒した。
「白石!」
貴子の首筋に絞められた跡があった。佐井野はそれが自分のせいだと気がついた。結果を考えずに、生口をやってしまった自分の行為を激しく後悔した。そして交霊を始め、自分の身体から抜け出ていった生霊の霊魂の行方を追った。
しばらくして、寝ていた貴子は目を覚ました。そこは宗像の使っているいつもの空き部室だった。首を回して横を見ると、佐井野は白装束に身をかためていた。側に今では佐井野の使い魔となった妖狐タダイマがいた。
「タダイマ。」
「お久しぶりね、お嬢さん。」
タダイマは目覚めた貴子にウィンクして見せた。どこから持ってきたのか水を張った小さなタライがあり、手ぬぐいを浸して器用に絞っていた。貴子の額に乗せるためらしい。
「佐井野、どうゆうつもり?」
「そいつはあんたを助けるために、あの生霊に呪詛返しをするんだ。」
佐井野の代わりにタダイマが答えた。
「何それ?」
「黒い霊術だよ。本来使ってはいけない呪詛返しを、私と一緒にするのよ。」
「黙れ、タダイマ!」
佐井野が舌打ちをして、タダイマを怒鳴った。これまで貴子に見せたことの無い険悪な表情だった。やっとのことで起き上がると、貴子は逃げ出した。
「待て、白石!」
佐井野が呼び止めるのも聞かず、全力で走り去った。そして、必死な思いで家に辿り着いた。
次の日から、貴子は高熱を出して寝込んだ。頑丈な貴子が、病気で学校を休んだのはそれが初めてだった。熱は下がらず、しばらく学校を休むことになった。テストが近かったが、それでも貴子はこの休学にほっと胸を撫で下ろした。
貴子が学校へ来なくなってから、佐井野は再び夢を見た。それは、またしても貴子の夢だった。夢の中でも、貴子はタダイマの狐の面をかぶっていた。狐の面を外すと、貴子の顔が現れた。そして佐井野は、貴子の唇にそっとキスをした。
佐井野は目を覚ました。目覚めると、ベッドの脇に童女のオシラサマがいた。自分のほうから、貴子に逢いにいったのだ、と思った。起き上がった佐井野は机の上に置いてあった伊達眼鏡を眺めた。
「もう、こんなもの、何の役に立たないべ。」
そう言うと、佐井野は眼鏡を部屋の隅に放り投げた。
数日が経っても、貴子の体調は良くならなかった。朝からベッドで寝ていると、突然、窓を叩く音がした。貴子は外を見た。それは佐井野だった。
「さ、佐井野‽」
「おい、娘。」
だがそれは、佐井野の声ではなかった。
「……タダイマ。」
佐井野の姿をしたタダイマは、窓を開けて部屋に入ってきた。そして貴子の眠っているベッドの横に腰掛けた。
「おまえはいったい、何を気に病んでいる?」
貴子は寝転んだまま、佐井野の顔をしたタダイマを見た。
「……自分でも、どうしていいのか分からないの。」
作品名:チャネリング@ラヴァーズ 作家名:楽恵