チャネリング@ラヴァーズ
佐井野は自分の顔をさらに貴子の顔に近づけて、ふたたび貴子の名を聞いてきた。名前を問いかけられた貴子は、思わず自分の顔を指で指し辺りを見回した。
「わ、私は10組の白石貴子です。」
貴子の通う高校は進学校であり、学年で10あるクラスは成績順にクラス分けされている。特進クラスは1組であり、貴子はどうにかこの進学校に入れたという10組である。
「シライシ?オシラサマに似た名前だな。そうか、僕は1組の佐井野瓦。よろしく。」
「おしらさま?」
貴子はその単語が理解できずにたずね返したが、それだけを言い残すと佐井野はふたたび前を向いて去って行った。颯爽と去って行くうしろ姿を、貴子はわけもわからず呆然と見送った。
先ほど貴子を呼んだクラスメイトが、後から貴子に追いついた。
「ちょっと、いたこ、すごいじゃない!特進の佐井野君と何を話したの‽ 」
「いや、名前とクラス聞かれただけ。私も意味がわからないけど……。」
「あの学年一の秀才が、貴子にだけ声かけるなんて、信じられない!」
秀才でイケメンの佐井野瓦は、進学校の女子の憧れである。彼女は貴子を睨みつけながら、ぷうっとほっぺたを膨らませた。
この電撃的な出会いが、貴子の高校生活を想像もしなかった方向に導いていくことになる。
授業が終わった。入学してからまだ日が経っていないので、1学年はどのクラスも終業時間が早かった。貴子はまだ部活動を始めていない。どこかのクラブの見学にでも行こうかな、と考えながら帰り支度をしていると、
「白石貴子!」
突然大きな声で名前を呼ばれた。あの佐井野瓦が教室に入ってきた。クラス中の視線が貴子に集まる。
「さ、佐井野瓦!」
「君に用がある。僕と一緒に来てほしい。」
佐井野はそれだけを短く話すと、貴子の腕を引っ張って何処かへ連れて行こうとした。
「ちょ、ちょっと待って‼」
貴子は理由も分からず、ただ引っ張られるように佐井野に連れて行かれた。人気のない校舎の非常階段の踊り場に来ると、佐井野はようやく手を離した。
「わ、私に何の用ですか‽」
まさかここで襲われたりはしないとわかっていたが、理解できない相手の行動を警戒してわざと大声を出した。佐井野はくるりと貴子を振り返った。そして貴子の右肩をいきなりつかむと顔を近づけ口を開いた。
「実は、おめに頼みがあるんだべ!」
「だ、だ、だ、だべ?」
佐井野瓦は突然、ぼそぼそとしたどこかの方言で話し始めた。
「んだ。青森の下北弁だべ。わいは青森の下北半島にある恐山出身なんだべ。」
「そ、そうだったの‽」
容姿端麗な秀才の意外な正体に、貴子は目を白黒とさせながら話を聞いていた。佐井野は貴子の肩から手を離すと、腕組みをしてさらに話し続けた。
「いいか!これからわいが話すことを、誰にもしゃべったらいかんべさ!」
「は、はい!」
「実はおめさに協力してほしいことがあるんだべ。」
「協力?」
「さっそくだが今から、わいの口寄せを手伝ってほしい。つまり霊媒のアシスタントをお願いしたいんだべ。」
「口寄せ?」
佐井野はさっそく用件を切り出した。それは初めて聞く言葉だった。貴子には何のことだがさっぱりわからなかった。
口寄せとは、霊能力者が様々な霊を自分に憑依させて、霊の代わりにその言葉や意志を語ることができる交霊術のことである。
だがもちろん貴子はそんな術を知る由もない。貴子がとまどっている様子を見て、佐井野もようやく自分の勘違いに気がついた。
「んだ。だって、おめもわいと同じイタコなんだべな?」
「え‽」
どうやら〝いたこ〟という自分のあだ名が、別の意味に誤解されていると貴子は気がついた。
「私がいたこ、と呼ばれているのはただのあだ名です。私の行動がいつも痛い子だから、いたこ、というあだ名がついてるんです。」
「なんだって!それは本当べか?」
「は、はい!」
「……そうか、つまりわいの勘違いだったわけだ。」
自分の早とちりに気がついた佐井野は、腕を組んでうなだれた。だがうなだれていた頭をすぐに元に戻すと、貴子の顔をじっと見た。
「……おめは青森にいる恐山のイタコを知っているべか?」
「おそれざん?確か子どもの頃テレビで見た記憶があるような、ないような……。」
イタコとは、青森を中心とした東北地方にいる霊媒師のことである。主に口寄せと呼ばれる交霊方法で、身体を一瞬だけ霊に貸し相手が思い残した言葉を聴いたり、生きている人に死者のメッセージを届ける役目をする。
「んだ。わいの実家は恐山の麓の村にあって、代々イタコを出してきた家なのだ。それも世間で知られている商売のためのイタコとは違う。恐山の霊力を司る正真正銘の由緒正しいイタコ、真正イタコなのだ。」
「え‽なら佐井野君は、そのイタコというやつなの?」
「んだ。だがわいはまだ、イタコとして未熟な修行中の身だべ。だから助っ人がいる。おめはこれからわいの手伝いをしてけろ。」
自分の目の前でぼそぼそと方言で話す佐井野の告白に、貴子は驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。だがもちろんまだ、その話を信じていない。
「そうなんだ。でも自慢じゃないけど、私は霊感ゼロよ。幽霊とか妖怪なんて一度も見たことも聞いたこともないわ。」
「だがここまで知られたからには、何がなんでもおめには協力してもらわねばならね。こっちだって一刻の猶予もないべ、人間ひとりの命がかかっている。さっそく開始だ。」
「え‽今すぐ‽」
「んだ。授業中も霊が障って障って、うるさくてかなわないべ。」
貴子はまたしても佐井野にひっぱられるように、もと来た1学年の廊下へと連れ戻された。
「あいつを見てみい。」
廊下まで連れてこられると、佐井野がある男子生徒を指さした。それは廊下の窓際に立っているひとりの男子生徒だった。だが貴子が見る限り、その生徒に特に変わった様子は見られない。
「……ただの普通の男子にしかみえないんだけれど。」
「あいつは、死霊に憑かれている。それもかなり性質の悪い悪霊にだ。」
「嘘‽本当に‽」
「んだ。入学した日にあいつを見て、わいはすぐに気がついたべ。」
「それで、どうするの?」
「こっちに来るべ。」
ふたたび歩き出した佐井野は、特進クラスの教室に貴子を連れて行った。特進クラスの生徒は放課後になると全員それぞれ進学塾に行くという噂を聞いたことがあった。実際、教室にはひとりの生徒の姿もなく、がらんとしていた。
「今からあいつに取り付いている霊を口寄せするべ。」
佐井野は自分の鞄を持ってくると、中から小さな箱を取り出した。
「これは田舎から持ってきた大事な柳行李だ。この中に口寄せや霊媒の道具が一式はいってる。」
紅白の蝋燭や数珠といった霊媒の道具を次々と取り出し、床の上に並べていった。なかには貴子がこれまで一度も見たことがないような道具もあった。
佐井野はまず白い半纏を羽織り、そのうえにオレンジと金色の刺繍がされている袈裟をかけ、それについている紐を手前で結んだ。その白い半纏は背中に黒の刺繍で「陀羅尼地蔵大士」という漢字が書かれている。
次に二重に巻かれた長い数珠を首に掛けた。数珠の両端に動物の角、牙、爪、古銭がついている。貴子が数珠を指さした。
「これは何?」
作品名:チャネリング@ラヴァーズ 作家名:楽恵