チャネリング@ラヴァーズ
「どうしよう?」
貴子は傍らに漂う青い火の玉の阿形に問いかけた。
「どうやらこいつの魂が、身体から抜けてしまっているようだ。どうにかして引き戻さないといけない。」
「どうすればいいの?」
「こいつに接吻するのだ。」
「せ、せ、せっぷん‽」
貴子は目を丸くして狛犬の青い火の玉を見た。
「そうだ、乙女の若い生命力で魂を身体に引き寄せるのだ。それも今すぐにだ、時間がない!」
貴子は佐井野の顔を見た。濡れた髪が額に張り付いていた。その顔は生気がなく青白いままだった。
自分の大切なファーストキスが、妖怪の除霊失敗のために潰えてしまうのか、と思うとためらった。だが事態は急を要している。人ひとりの命がかかっているのだ。貴子は意を決して自分の唇を佐井野の唇に近づけた。あまりの緊張に胸が高鳴り、心臓が口から飛び出してきそうだった。貴子の唇が佐井野の唇に触れようとしたその瞬間、佐井野の目がぱちっと見開いた。貴子も目を丸くして佐井野の黒い瞳を見た。
「ぎゃー‼」
貴子は飛び上がり、佐井野を地面に振り落とした。
「ぐわっ!」
佐井野は再び地面に叩きつけられた。
「な、何するべ‽」
「さ、さ、佐井野、よかった、意識が戻ったのね!でも、今のは違う!今のは、あんたの為にしようとしたのよ!」
「あ?なんだべ?」
まだぼんやりとしているのか、額に手を当てたままの佐井野は、頭を一振りすると、意識がはっきりと戻った。そして先ほどの自分と妖狐タダイマとの決闘を思い出した。
「おい!タダイマは‽」
「あいつなら、私と馬のオシラサマと二人でやっつけたわ!」
貴子がにんまりとした得意顔で答えた。
「何だって‽」
「そうだ、この娘とおまえの守り本尊の霊がタダイマをやっつけたのだ。ただし止めを刺せず逃がしてしまった。」
青い火の玉の阿形も、宙に浮いたまま佐井野に言った。
「本当だべか?」
「そうよ!私と馬のオシラサマは無敵のカップルだもの!」
貴子は木の棒に戻った馬のオシラサマを手に持ち天高く突き出した。
佐井野は起き上がると、ふらふらとした足取りで鳥居をくぐりぬけ、街の方角を見た。どうやらタダイマがどこへ行ったのか見つけ出そうとしているらしい。
一方、先ほどの阿形とのやり取りを思い出した貴子は、阿形の側まで寄っていった。
「ちょっとあんた、さっきのあれは、どういうこと‽」
怒りに震える貴子は、手を伸ばして阿形に掴みかかったが、阿形はひょいと簡単にその手から逃れた。
「わしも、まさか佐井野瓦が自力で戻ってこれるとは思わなかったのだ。」
「あんた、後で憶えておきなさいよ!」
貴子は火の玉を睨みつけ、そう言い残すと佐井野のところへ駆け寄った。
「さ、佐井野、あんた大丈夫?」
頭からずぶ濡れの白装束姿の佐井野は、不機嫌そうに貴子を振り返った。
「今日は踏んだり蹴ったりの最悪な日だべ。」
「タダイマがどこへ行ったか、分かった?」
「わからん。どうやら完全に逃がしてしまったらしい。だが、この街のどこかに隠れているはずだ。おそらく他の稲荷神社だ。交霊して、町中の稲荷神社をくまなく探さないといけないべ。」
日はすっかり暮れ、夜になろうとしていた。二人はタダイマの居場所を突き止めることを諦め、この日は帰ることにした。
それから佐井野は毎日のように交霊を続け、妖狐タダイマを探し続けた。だが、タダイマはなかなか見つからなかった。そのため、貴子と佐井野はしばらく普通の学校生活を送る事となった。
ある日、特進クラスの国語の授業が、自習時間となった。佐井野の前の机に座る生徒が図書室へ行き、席が空いた。空いた椅子に、宗像が滑り込むようにやって来た。
「佐井野。」
「なんだべ。」
宗像はこの機会に、前から気になっていた事を佐井野に聞こうと思った。
「白石いたこって、よく見れば、まあまあいい女だと思うよな。」
佐井野は顔を上げ、貴子の話を突然に始めた宗像の顔を不思議そうに見た。
「は?そうか?白石は普通の女だべ。確かに、胸だけは少し大きいけどな。」
「大きい‽何言ってるんだ‽胸のサイズは普通か、むしろ小さいほうだろ。」
「いや、胸だけはCカップくらいあると思うべ。」
「あれはBだろ!白石は身長がある分だけ確かに胸が大きく見えるかも知れないが、サイズとしては普通だと思うぞ。」
「そうかな?そんなに小さくはないと思うのだが……。」
佐井野は首を傾げて言った。普段堅物な佐井野が、今日に限って女子の胸の話をしているのが、宗像にはもの珍しく感じられた。
「……そんなに気になるなら、実際に見て、確かめたらいいだろ。」
「な、何言っているべ。そんなことしたら確実に殺されるべ。知力と霊能力ではわいのほうが圧倒的に上だが、体力と喧嘩の実戦力ではほぼ互角だべ。」
「違う、そう言う意味じゃない。つまり…。」
宗像は周りを気にしながら小声で言った。
「付き合ってみろということだ。」
「ああ、そう言う意味か。それはないべ。」
佐井野は鼻先でふふんと笑った。
「……なんでだ?」
「なんでわざわざ付き合う必要があるべ?それにわいは、一人前のイタコになるまで誰とも付き合えないべ。」
「付き合えない?何故だ?」
「……真正イタコは、一人前になるまで色欲を絶たねばならん。」
「し、色欲‽」
宗像は思わず大声を出した。
「おい、大声を出すな!」
佐井野はあわてて周りを見回した。北国育ちの白い肌が、ほんのりと赤くなったように見えた。
「こんな話はもうおしまいだ。わいはタダイマのせいで勉強不足だべ。おめもさっさと勉強しろ。」
佐井野は参考書のページをめくると、これ以上その話をしたくないという顔をした。
「……佐井野、言いにくいんだが、おまえが白石の前でだけその眼鏡をかける理由は、もしかしてそれと何か関係があるんじゃないのか?」
宗像は佐井野の眼鏡を入れている胸ポケットを顎で指し、小声で言った。
「……おめ、今日は勘がいいな。」
佐井野が宗像をちらりと見た。だがすぐに視線を参考書に下げて、意識を集中させようとした。
「おまえが何で伊達眼鏡をかけるのか、前からずっと気になっていたんだ。」
「……これは禁欲眼鏡だべ。」
「禁欲眼鏡‽」
宗像は目を丸くして佐井野を見た。
「んだ。……わいは前から何故か、白石の胸が気になって仕方ないんだべ。自戒のために、あいつの前では眼鏡をかけているんだべ。そんな事気にしていたんでは、立派なイタコになれんからな。」
参考書を目で追いながら、佐井野がポツリと呟いた。佐井野は、これまで誰にも言わなかった秘密を、唯一気を許している宗像にうっかり話してしまった。
宗像は驚いて、さらに目を見開いた。そんな宗像の様子に気づいて、佐井野は下を向いたまま、しまった、と言うような顔をした。
「佐井野、つまりそれは、おまえが白石をそういう対象として見ているって事だろ?」
宗像の言葉に、佐井野は顔を上げて、戸惑ったような、怒ったような表情をした。それはこれまで一度も見たことのなかった佐井野の動揺した表情だった。佐井野は眉根を寄せると、さらに深く顔を参考書に埋めた。
「……もう、こんなくだらない話はやめろ。」
佐井野は怒ったように睨み付けると、宗像を自分の席に帰した。
作品名:チャネリング@ラヴァーズ 作家名:楽恵