チャネリング@ラヴァーズ
「ああ、複数の低級霊が集まっている。だが、トイレのように風水環境が悪い場所に、低級霊が集まるのはよくある話だ。別にわざわざ除霊しなくてもいいとも思うんだが……。」
「放っておくの?」
「まだ憑かれてないなら、この場所を無理やりに除霊する必要ない。毎回そんな事をしていたら、日本中の霊媒師が立ち行かなくなるべ。自分さえ強い意志を持っていれば、低級霊ぐらい払いのけることができる。」
佐井野は今回の件に関してあまり積極的ではなさそうだった。だが貴子はどうにかして、あの冷たいトイレから萩原碧を連れ出したいと思っていた。
次の日の放課後も、萩原碧は女子トイレの個室に籠っていた。貴子はとりあえず隣の個室に入り、彼女と話をしてみることにした。だが、いざ個室に入ってみると、この状況で何をどう話しかけるべきか見当がつかなかった。まずは自然に声をかけてみようと思った。個室の壁をコンコンとノックすると、
「すみません、紙が切れているみたいなので、分けてもらえませんか?」
と、声をかけた。だが相手からは何の返事もなかった。確かにわざとらしいな、と貴子は汗を掻いた。
「……萩原さん。どうしていつも、ここにいるんですか?」
「……放っといてください。」
萩原碧は壁の向こう側から小さな声を出した。
「花子さんは、困った時にトイレットペーパーをくれないですよ。」
「でも、ここにいると安心するの。」
「確かに個室が安心するって気持ち、分かります。でも……。」
「……小学生の頃から、休み時間や放課後に人気のないトイレの個室に籠るのが好きだった。だからわかるの、このトイレには私を必要としている誰かがいるわ。」
貴子は黙って萩原碧の話を聞いていた。そしてそれ以上の説得の言葉を見つけ切れなかった。貴子は溜息を吐くと、個室から出た。
トイレ内の通路を横切る時、壁にかけられた鏡にふと自分以外の誰かの影が過ぎった気がした。思わず立ち止まると鏡の中を覗き込んだ。だがそこには当然の事ながら貴子の姿が映っているだけだった。
貴子はそのまま特進クラスの教室へ行き、佐井野に萩原とのやり取りを話した。
「彼女、そんな事を言っていたのか。霊に同調するのは危ないべ。」
「でも今の彼女を説得するのは、かなり難しいと思う。だって、心を開てくれないわ。」
「おそらくあの霊は、もともとトイレにいた霊じゃない。彼女が低級霊をあの場所に引き寄せているんだ。」
佐井野は開いていた教科書を閉じて鞄にしまった。貴子の話を聞いているうちに萩原碧の現在の状況に危機感を抱き始めたようだった。
「しかし、何故トイレが安らぐ場所なんだ?」
「トイレの個室は、確かにほっとするわ。学校で、誰の目にも触れられずにいられる場所ってあそこだけだもの。」
「男子にはわからん。便所は便所だべ。」
貴子の言葉に佐井野が肩をすくめた。学校のトイレに対する考えは、男子と女子ではずいぶんと違うらしい。
「とにかく、これ以上低級霊が集まらないうちに、除霊するしかない。」
「手伝うわ。」
貴子は頷いた。
「今からイタコ道具を揃えていくから、その前におめはまず、萩原碧を個室の外へ連れ出すんだ。」
「わかった!」
貴子は先に一人で二階へと上がり、萩原碧が籠っている女子トイレへと向かった。再び女子トイレに入って照明のスイッチを付けると、萩原碧が籠っている個室のドアをノックした。
「萩原さん、大事な話があるの。どうか外に出てきて、私の話を聞いて下さい。」
萩原碧の返事は無かった。その時、貴子が背中のブラに挟んで持ち歩いているオシラサマがブルブルと震え始めた。そして室内の電気が突然消えた。さらに足元から、
「お友達を連れて行かないで。」
という幼い女の子の声がした。見ると個室の下の隙間から、誰かが貴子を覗いていた。
「キャー‼」
叫んだその瞬間、隙間から手が伸びて来て、貴子は足首をつかまれた。
佐井野がイタコ道具を鞄から出していると、童女のオシラサマがひとりでに空中に飛び出した。オシラサマは佐井野の目の前に浮かんだまま静止していた。顔が真直ぐに佐井野に向いている。
「オシラサマ?」
佐井野は童女のオシラサマの顔を見つめた。
「……白石か!」
佐井野は教室を飛び出した。
女子トイレの入り口に着くと、貴子が床に倒れていた。
「白石、どうした‽」
床に伏していた貴子は、首を回して佐井野を見つけると自分の足首を指差し、
「佐井野!誰かが私の足首を掴んで離さないの!」
と叫んだ。見ると青白い小さな手が、貴子の足首をしっかりと捕まえていた。
佐井野はオダイジだけを背中に背負うと、手に持っていたイラタカの数珠を貴子の足首にぶつけた。
「ぎゃ!」
と叫び声がしてその手は個室の中に引っ込んだ。
「ちょっと、痛いわよ!」
「今はそれどころでないべ!」
さらにトイレ中がガタガタと大きな音をたて始めた。佐井野は貴子に梓弓マシンガンを手渡した。貴子が空中に向かってマシンガンを撃った。すると音がぴたりと止んだ。
その時、貴子はふいに何かの気配を感じて、壁にかけてある鏡を見た。壁にかけられた4つの四角い鏡の中に、戦前の軍服を着た男や古い着物姿の女がいた。彼らは鏡から上半身だけ乗り出すと、手を伸ばして貴子の腕を掴まえ、鏡の中に引きずり込もうとした。
「キャー!」
貴子は叫んだ。さらに抵抗した拍子に、握っていた梓弓マシンガンを地面に落とした。その声で佐井野が事態に気がついた時には、今にも鏡の中に引きずり込まれそうになっていた。
「白石、オシラサマを出すんだべ!」
佐井野の言うとおり空いているもう片方の手で馬のオシラサマを背中から出すと、自分の手を掴む亡霊の手を必死になって叩いた。その瞬間、腕は鏡の中に戻った。貴子は転がるように佐井野の足元に倒れ込んだ。
「鏡には近づくんでね!」
「わ、わかった!でも、萩原さんがまだ中にいるわ!」
「このトイレの鏡に低級霊が集まってきている!無理やりにでも外へ出させるんだ。」
佐井野が鏡に向かって呪文を唱えている間に、貴子は個室のドアに飛び乗り、上から中を覗き込んだ。見ると、中にいる萩原碧の両足に小さな女の子がしっかりと抱きついていた。その姿にぞっとした貴子だったが、すぐさま手を伸ばしてドアの鍵を開けようとした。だが鍵は固くかかっており、簡単には開かなかった。
「佐井野、鍵が開かないわ!」
「わかった、仕方ないべ!」
佐井野が掃除道具入れの個室から掃除用のホウキを持ち出し、個室のドアノブを叩いて壊した。ドアを開けると、中にいた少女の亡霊は青白い顔を上げて佐井野を見た。佐井野は少女の亡霊を睨みつけた。
「彼女から離れろ!」
少女の亡霊は萩原碧からようやく身体を離すと、個室から出てきた。佐井野はすぐさま除霊の念仏を唱え始めた。だが少女の霊が二人に向かって手をかざすと、そこから白い光線が発せられた。ふたりはその光に吹き飛ばされるように廊下の壁に叩きつけられた。
烈しい痛みを感じたが、貴子はすぐに壁から離れようとした。だが、どんなに身体を動かそうとしても、今度は首から下が固まったように動かなかった。
「ちょ、ちょっと、佐井野!身体が動かないんだけれど!」
作品名:チャネリング@ラヴァーズ 作家名:楽恵