風の魔術詩オーウェルン
「やれやれ、おてんばもいいところだ。」
オーウェルンは二人にそれぞれ小さな輝石のついた指輪を手渡した。
「宮殿の中には入るなよ。そしてこの指輪を指にはめておくんだ。」
オーウェルンはシャルギルや彼の盗賊団を残して、空を飛び宮殿に入っていた。シャルギルと盗賊団も手分けして宮殿の壁をよじ登り、中に入っていた。そして後にはアスティとクォーツだけが残された。
それから時間がかなり経ったが、オーウェルンは戻ってこなかった。頭上の太陽もすっかり西へと傾き始めていた。
アスティは待ちくたびれて居眠りを始めたクォーツを横目で見ると、意を決して立ち上がった。先程の盗賊団が残したロープを使って壁を乗り越え、宮殿の中に入っていった。
息を潜めて宮殿の中を歩き回った。サマラの宮殿に長年仕えていたため、宮殿の造りを良く知っており、人目につかないよう歩き回ることにも馴れていた。しかしスラババの宮殿の中には、人一人いなかった。
暗い回廊を進み、奥まった部屋に近づいたとき、ふいに誰かの泣き声が聞こえてきた。部屋には明かりが灯っていた。覗き込むと、天井から若い娘が一人、吊り下げられていた。
―あの娘が盗賊の長の妹なんだわ。
娘の隣には、頭が7つもある老女が大鎌を持って立っていた。それが魔女ルナアド・アーだった。魔女は大鎌で娘の足にひっかき傷をつくり、そこから血を吸っていた。思わず叫びそうになり、慌ててその場から離れた。
オーウェルンを探して歩き回っていると、また別の明かりのついた部屋にたどり着いた。中央に椅子があった。椅子の上に一粒の琥珀があった。拾い上げて蝋燭の光に翳してみた。それはまるで蜂蜜のように美しい琥珀だった。
―美味しそう。
その琥珀を思わず口の中に入れてしまった。すると、身体がみるみるうちに小鳥になった。その時、部屋の扉が突然バタンと開いた。魔女が部屋に入ってきたのだった。
「何て事してくれたんだ、小鳥ちゃん!」
魔女はアスティを鷲づかみにすると、先ほどのシャルギルの妹がいる部屋に連れ去った。
アスティの気配を感じて、オーウェルンは回廊を奥に進んでいた。
―あのおてんば娘め、宮殿にまで勝手に入ってきたな。
「オーウェルン!」
呼ばれて振り返ると、アスティその人が駆け寄ってきた。
「…いつの間にこの部屋までやって来た?」
飛びつくようにオーウェルンに抱きついた。彼は胸に置かれたアスティの手を見た。
「……おまえの大好きな子猫だ。」
マントの中から子猫を取り出し、手渡した。
子猫はアスティの腕の中でみるみる大きくなり、あっという間にライオンとなった。ライオンは雄叫びをあげ噛み付いた。表情が苦痛で大きくゆがむと、頭が七つになり、その顔はすでにルナアド・アーであった。魔女は大鎌ですぐさまライオンを払いのけ、その刃で切りつけた。ライオンは真珠に戻った。
「何故、あの娘でないと分かったのだ?」
「あの娘はもっと美人だぞ。変身の魔術がまだまだだな!」
実際は宮殿に入る前に渡したはずの指輪がなかったので見破ったのだった。魔女は舌打ちをすると、別の部屋へと走り去った。オーウェルンがその後を追いかけてその部屋へ行くと、魔女は片手に金の鳥籠を持っていた。
「この娘がどうなってもいいのかい?」
籠の中の支え木に、白い小鳥がとまっていた。「ウェルルの魔術師といえども、これではさすがに手も足も出まい!」
丁度そこに、灯明を持ったシャルギルと盗賊団がやってきた。天井から吊り下げられている娘を見つけると、ロープを切って彼女を助け出した。娘は意識を失っていた。
「これでも食らえ!」
大鎌を振ると、その足元から大きな蜘蛛が這い出し、彼らに襲い掛かってきた。
「蜘蛛に触るなよ!そいつらは毒蜘蛛だ!」
「毒蜘蛛だって?」
オーウェルンは人差し指を額に当てると、
「 闇と光 光の影 光を隠すもの
闇を見い出すもの 闇の中に 光の影に
今 その力を目覚めさせよ 」
短く魔術詩を暗誦し、マントを翻した。するとマントの中から数え切れないほど大勢の蜂が飛び出してきた。呼び出された魔法の蜂が、魔女の毒蜘蛛を空中から襲い、殺し始めた。
「なんという魔術師だ!」
オーウェルンは魔女の大鎌を奪い取ると、7つある首の一つを切り落とした。
「私の鎌を返せ!」
爪が長く伸びた手でオーウェルンに掴みかかった。だが彼はすぐさま大鎌を払い、残った頭を一つずつ切り落とした。最後の首が切り落とされた時、その顔は宮殿の大理石の床の上で、苦痛に大きく歪みながら、断末魔の恐ろしい叫び声をあげた。その声はスラババの都全体に響き渡るほどだった。
オーウェルンは鳥籠の中から、小鳥に変身しているアスティを指先に乗せ、息を吹きかけた。すると彼女は元通りに戻った。
床に落ちていたルナアド・アーの大鎌と真珠を拾い上げ、マントの中に仕舞った。
妹を抱き上げたシャルギルを振り返ると、
「これで私の役目は終わった。」
と言った。そしてアスティを抱き寄せ、黒いマントをまるで鳥が羽根を広げるように翻すと、宮殿の窓から飛び上がり外に出た。空を飛びながら彼は、
「……心配したんだぞ。」
とその耳元で囁いた。何か言い返そうかとしたが、何故だが声が出なかった。自分の口の中に琥珀が残っている事に気がついた。
城壁の真上まで来ると、彼はアスティを自分の腕の中にしっかりと抱き寄せ、唇を重ねて、口の中から琥珀を吸い取った。そして自分の手のひらの上にそっと吐き出した。
「これが〝鳥の言葉の鍵〟か。」
太陽にかざして、とろりと溶けるようなその輝きを楽しんだ。突然の出来事に固まったままのアスティを覗き込むと、
「もうしゃべれるようになっているはずだ。」
と言った。彼女は魔法が解けたような気分で、
「あ……。」と小さく呟き、口元を押さえた。そしてオーウェルンの透き通るような灰色の瞳を見あげた。身体は自由になったが、今度はどこかが痺れるような感覚がした。
「鳥の言葉の鍵か。いつか役に立つかな。」
オーウェルンは地上を見下ろした。
「アスティ!オーウェルン!」
クォーツが、その場に戻ってきた盗賊団に縛り上げられ、人質に取られていた。
「さて、こいつの命と引き換えに〝鳥の言葉の鍵〟を渡してもらおうか。」
地上に降りたオーウェルンを見て、盗賊団の長シャルギルがにやりと笑った。
オーウェルンは無言のまま、地面の砂をひと掴みすると、魔術詩を呟いた。その砂を盗賊団に向かって投げつけると、地面から斑模様の蛇が何百匹と這い出てきた。蛇は盗賊団の男達の足元に絡みついた。
男達は叫び声をあげ、混乱した。その隙にアスティが盗賊団の輪の中に飛び込み、自らの剣でクォーツの縄を切り、盗賊の腕から逃した。それを見た何人かの男達が二人に一斉に切りかかってきた。クォーツは剣を引き抜くと、何人かをみね打ちで倒した。オーウェルンは黒い雲に変身すると、自分のもとに戻ってきた二人を乗せ、
「シャルギル、その蛇は滋養があるぞ!妹に食わせてやれ!」
と笑いながら言い、そのまま空に逃げ去った。
商隊のキャンプまで行くと、城門前の市場が騒がしかった。いくつもの商隊が慌しく出発していた。ラフマットは三人の姿を見ると、すぐさま駆け寄って来た。
作品名:風の魔術詩オーウェルン 作家名:楽恵