風の魔術詩オーウェルン
「スラババはどんな都なの?」
「あの都は今、鎖国をしているのです。」
「鎖国?」
「外部の人を都に入れないためです。城壁の外で市を開き、商人はそこで商いをします。」
数週間後、地平の向こうに、ぼんやりと霞んだ城壁が見えた。
「城壁だわ。……もう都に着いたの?」
「違います、あれは蜃気楼です。」
前をゆくラフマットが答えた。
「あれが、蜃気楼。」
生まれて初めて見る蜃気楼だった。クォーツも目を凝らして砂漠の地平線を見つめていた。この数ヶ月の旅の間に、彼の外見はずいぶん変化した。色白の弱弱しい少年から、たくましく日に焼けた少年に成長した。背もずいぶんと伸びていた。影のように付き従う狼のムーンもまた、立派な狼に成長していた。
商隊がスラババの都に近づくにつれて、不審な男達が遠くから姿を現すようになった。それに合わせるように、オーウェルンも何処からとも無く隊に戻ってきた。
「しつこい奴らね。」
不審な男達が、先の盗賊だと気がついたアスティは、眉を寄せて、ラクダに揺られるオーウェルンを振り返った。
「あの盗賊たちは、何故こんなにもしつこくこのキャラバンに付きまとうのか?」
この商隊に初めから不信感を抱いていた彼は、疑惑をそっと口に出した。
「このキャラバンの積荷の中に、どうしても欲しい物があるということか。」
夜になるとラフマットのテントを訪れた。
「荷物の本当の中身を教えていただきたい。」
「絹と塩と絨毯だけです。」
「……そうかな。」
しばらく黙っていたラフマットは、意を決したように顔を上げ、マントに深く隠されたオーウェルンの灰色の瞳をまっすぐに見た。
「あなたはウェルル族の者ですね。」
「……そうだ。」
「貴方はジブナル王国が捕らえようとしている魔術師だと、以前から気づいていました。」
「……ならば何故、私を捕らえないのか?」
「我々の力で貴方にかなうはずも無い。それに私はジブナル王家に借りも無い。私はむしろ貴方に協力してほしいのです。」
ラフマットはテントの外に他人が居ないことを確かめると、
「我々はエスメルダ公国のある大臣の密名を受けてある宝物を運んでいます。」
と耳元で囁いた。同時にその大臣の私財のために商隊は運営されている、と彼は言った。
「秘密をお話しました。あなたには我々をエスメルダの都まで守っていただきたい。」
それはオーウェルンの予想通りの答えだった。だがその〝宝物〟が何か、彼自身も掴みきれていなかった。
翌日、遠くに城壁が見えた。
「あれがスラババの城壁です。」
スラババの城壁は、サマラほどの高さではなかったが、砂の進入と侵略者を食い止めるには十分な高さだった。
都をめぐる城壁の中央に城門があった。だが城門は確かに固く閉じられていた。ラフマットが言っていた通り、城門の外で、商隊とスラババの住民との間で交易のための市が開かれていた。市場は砂漠の各地から集まった珍しい物資や新鮮な食料で溢れていた。
商隊が野外の井戸の近くにキャンプを張るのを手伝うと、好奇心の塊であるアスティとクォーツはさっそく市場へ出かけていった。
二人は市場をひやかしながら歩いた。
スラババの市場の外れまで来たとき、突然、手に長剣を持った数人の覆面の男達に囲まれた。そのうちの何人かが見覚えのある顔であったため、彼らが商隊をつけ狙っている盗賊団だと気がついた。
彼らはアスティとクォーツの周りを囲んだ。二人はお互いを背に剣を抜き、構えた。
「殺すなよ。生きたまま捕まえるんだ。」
どうやら二人を本気で殺すつもりはないらしい。二人の周りを囲んでいる盗賊たちの後ろから、さらに別の数人が大きな網を運んできた。二人は抵抗する間もなく、頭から大きな網で捕らえられてしまった。
その時、空の向こう側から、黒い雲が飛ぶように近づいてきた。黒い雲は空中で人影となり、地上に舞い降りた。
「オーウェルンだわ!」
「ようやく来たか。」
オーウェルンが地上に立つと、暗い表情をした眼帯の男が、前に出た。
「私はこの団の長、シャルギルだ。おまえはウェルルの魔術師オーウェルンだな。」
「いかにも。だが簡単に捕まる私ではない。」
「この二人がどうなってもいいのか?」
シャルギルと名乗った男が、二人の方をあごで指した。
「私の知ったことか。」
「ちょ、ちょっと!見殺しにするつもり‽」
アスティが、大声で怒鳴った。
「我々はおまえを捕まえて、ジブナルまでわざわざ行くつもりはない。おまえの世界最強と謳われる魔術の力を見込んで、頼みたい事がある。どうだ、手を貸してもらえないか。」
「おまえ達と組んで、何の得があるのだ。」
「…私はあの商隊の真の秘密を知っている。」
それは確かにオーウェルンが今一番知りたいことであった。
「……頼みとは何だ?」
「スラババの宮殿に住む魔女のルナアド・アーのことだ。」
「そうか。あの宮殿には妖気を感じていたが、やはり魔女が巣食っていたとはな。」
スラババの宮殿は都の城壁の内側の奥まった高台にあった。鎖国をしているうちに、魔女にのっとられてしまっているらしい。
「……実は妹があの魔女の生け贄としてさらわれてしまったのだ。」
その言葉を聞くと、
「他人の命は平気で奪うというのに、自分の妹は助けたいのだな。」
と、いつもの調子で不敵な笑みを浮かべた。けれど妹、という言葉を聞き、思わず自分の死んだ妹の顔が頭をよぎったのも事実だった。
「妹か……。いいだろう。それにあのスラババの宮殿には、確か鳥の言葉が理解できるという〝鳥の言葉の鍵〟があったはずだ。」
「そうだ。今はその魔女が持っている。」
「なるほど。ならば協力してやっていいぞ。」
シャルギルは後方の男達に合図をして、捕らえていた二人を解放した。
二人が解放されたことを見届けると、オーウェルンはシャルギルと並んで歩き始めた。
「まずは教えてほしい、さっきの話の事だ。お前があの隊をしつこく狙うのは何故だ?」
「それは、あいつらがエスメルダ公国の〝不死の夜光の杯〟を元に戻すための輝石を運んでいるからだ。」
「不死の夜光の杯だと‽」
「そうだ。数百年ほど前に壊れてそのままになっていたものを、最近になって修理しようとしているらしい。エスメルダの大臣ユルドゥルが、マルゴスの地に近い山奥でその夜光の杯と同じ輝石を探し当てたと聞いている。おまえは各地の宝を集めているのだったな。」
シャルギルは彼を城壁の破れ目に案内した。干し煉瓦で造られた厚い城壁も崩れかかっている場所があるらしい。そこからスラババの都の中に入った。日中だというのに、都の中は不気味なほど静まり返っていた。
「都全体に魔法をかけているみたいだな。」
「乙女をさらっては、自分の魔術の生贄にしている。ともかく今は、妹を救うのが先だ。」
「ふふふ、貴様は本当に妹想いだな。いいだろう。」
宮殿の近くまで来たとき、オーウェルンは後ろを振り返った。後ろでふたつの人影が慌てて宮殿の外壁に隠れた。開放されたアスティとクォーツは、盗賊団の後をこっそりとついて来ていたのだった。溜息をつくと、隠れているつもりの二人の前に歩み寄った。
「……おまえ達、なんでついて来たんだ。」
「あんたが危ない目にあわないか心配になったのよ!」
作品名:風の魔術詩オーウェルン 作家名:楽恵