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風の魔術詩オーウェルン

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オーウェルンは無言のままだった。彼はオアシスの大国ジブナル王国のお尋ね者として各地に知れ渡っているはずだった。
「先程の魔術、私も各地を旅して来ましたが、あれほどの魔術は見た事がありません。かなり力のある魔術師とお見受けいたしました。できればエスメルダの都まで、私達を警護していただきたいのですが。」
オーウェルンは黙っていた。このキャラバンに少し警戒感を持っているようだった。そばでそれを聞いていたアスティは、
「奇遇ですね。私達もエスメルダへ行くところです。」と言った。
オーウェルンは、眉をしかめるようにして、行く先は言うな、と目で合図した。だが、アスティは気にしていないようだった。人助けくらい、いいじゃない、と小声で囁いた。
商隊長ラフマットは、そんな二人の様子を注意深く観察していた。初めは この隊を用心していたオーウェルンも、ついにはアスティの説得に折れた。三人はこうしてキャラバン隊のラクダの背に乗ることができた。最近ではだいぶ大きくなった狼のムーンはラクダに跨るクォーツに付き従うように大人しくついてきた。その様子に商隊の誰もが驚いた。
「各地の都とマルゴス族との戦争が続いているために、砂漠の旅も以前よりかなりぶっそうになってしまいました。」
マルゴス族という名を聞き、クォーツは一瞬わずかに目を閉じた。その仕草に気がついた者はいなかったが、オーウェルンだけはその表情を見逃さなかった。
数日後、砂漠の真っ只中に緑の林がまばらに見えてきた。
「オアシスがあるのね!」
久しぶりに目にした濃い緑に、アスティが歓声をあげた。
「この辺りで最も大きな湖があります。三日月の形をしていることから、三日月湖と呼ばれ、また月の女神の湖とも呼ばれています。」
やがて隊は豊かな緑に囲まれた湖に到着した。湖は確かに三日月の形をしていた。商隊はここにテントを張り、しばらく逗留することになった。先日盗賊団に襲われ傷ついた者の回復を待つことにしたのだった。

商隊長ラフマットは、アスティとクォーツが普通の少年少女とは違って、どこか気品があることに気がついていた。
「アスティ、貴女はもしや、高い身分の方に仕えていたのではないですか?」
「私は以前、サマラ王宮の女官でした。」
さすがに奴隷の身分であったことは隠した。
「そうでしたか。それで貴女は話し方や立ち振る舞いが上品なのですね。サマラは今やマルゴス族の支配の下に入ってしまったそうです。我々商人にとっては商売ができればそれでよいのですが、マルゴスは常に強引です。」
 彼はアスティを気に入ったようであり、荷物の中から干し葡萄を分け与えたりしていた。
「いいのか、あれ?」
クォーツがオーウェルンの側まで来ると、顎でアスティの方向を指した。隊から離れた木蔭で、ラフマットと二人きりで話していた。
「……何がだ?」
「アスティのこと、気に入ってるんだろ?」
「……意外とませたガキだな。」
「何だよ、そんなに歳も違わないくせに!」
 オーウェルンは、ふふと目を細めて笑うと、どこかへ去って行った。出会った頃は自分よりずいぶんと大人だと思っていた彼が、実は自分より2つ3つほどしか年上でないことに、彼はこの頃になって気がついたのであった。
砂漠の向こうに日は沈み、地平線を美しく彩っていた。湖は砂と岩壁に囲まれていた。湖面に突き出た岩を歩いていたクォーツは、岸壁の上から何気なく湖を覗き込んだ。湖面にぼんやりと人が映っていた。自分の姿だと思った彼は、面白がってその姿を見つめた。だがそれは、よく見ると自分の姿とはずいぶんと違っていた。
―女だ。
それは見ず知らずの若い女の姿だった。息が止まるほど驚いたクォーツは、顔をあげて、思わず数歩後ずさりした。しばらくしてから、もう一度湖面を覗き込んだ。
やはりそこには女の姿が映っていた。さらに目を凝らしてみると、その姿は湖面ではなく湖の底に映っているのであった。
湖の底に映る女は、クォーツが一度も見たことの無いような美女であった。
―月の女神なのかもしれない。
この湖の名を思い出し、心の中でそう呟いた。湖の底に映る女は、微笑んでいるように見えた。そしてその微笑は、細長い三日月のようにどこか儚げであった。
次の日も、また次の日もクォーツは湖の畔に行った。
商隊がキャンプをしている場所からそう離れていない木蔭で、アスティはオーウェルンを待っていた。姿の見えない時は、だいたい雲の姿に変身して、何処かへ出かけているのだった。
―宝を探し回っているのね、あのお尋ね者は。
 アスティは彼の行動パターンや旅の目的がわかりつつあった。
目の前の砂の上に、真っ赤なリンゴが落ちた。拾い上げると、黒いマントがふわりと舞い降りた。
「……クォーツったら、最近いつもあの湖の辺にいるのよ。」
「湖?」
「きっと自分の家を思い出して恋しがっているのよ。あの子はまだ、子どもだから。」
クォーツは実際には、アスティより1歳年下なだけであったが、剣の師匠でもある彼女は、彼をいつも子ども扱いするのだった。
オーウェルンは緑の木々の向こうにあるはずの三日月湖の方角を見た。
この日の夜、クォーツはついにテントを抜け出して湖の畔に行くようになっていた。いつものように岸壁に腰掛けて、湖の中を覗き込んでいた。その隣りには寄り添うように狼のムーンが座っていた。
「クォーツ、そこで何をしているのだ?」
「オーウェルン!」
オーウェルンの姿を見たクォーツは、気まずそうに横を向いた。狼のムーンは嬉しそうに尻尾を振っていた。
オーウェルンは湖を覗き込み、はっとした。
「ジンがいるのだな。」
クォーツを湖から引き離すと、肩を掴んだ。
「クォーツ、ここにはこれ以上近づかない方がいい。」
後ろから促すように歩かせた。クォーツは言われるままに大人しく歩いていったが、彼女は寂しいだけなんだ、と小声で呟いた。
翌朝、オーウェルンはマントの裾から手を出して、クォーツに何かを握らせた。
「これを持っていろ。」
それは一枚の金貨だった。
「危険を感じたら、これを湖に投げるのだ。」
言い終わると、いつもの通り優雅なしぐさでマントを翻し、どこかへ去って行った。クォーツはその日からは湖に行かないようにし、アスティと剣の修行に励んだ。
やがて商隊は三日月湖を出発することになった。クォーツは湖の底の女に別れを告げるため、一人で湖へ来た。用心のためオーウェルンから持たされた金貨を手に握り締めていた。
岸壁の上まで来ると、思わず湖を覗き込んだ。湖の底に、女は変わらない姿でいた。以前より一層寂しそうな微笑が、胸を締め付けた。さよならだ、と呟いたその時、湖から手が伸びてきた。青白い女の手が彼の手首を摑まえた。ぞっとするほどの冷たさだった。
クォーツはとっさに手の中の金貨を放した。すると女の手は彼の手首から離れ、金貨を掴んだ。青白い手は金貨を握り締めたまま、湖の底に沈んでいった。
クォーツが湖から戻ると、商隊は湖を出発した。彼はまだ後ろ髪を引かれる思いだった。だが、一度も後ろを振り返らなかった。
アスティはラフマットのすぐ後ろのラクダに座った。オーウェルンは戻ってこなかったが、商隊からそう遠くへは行っていないような気がした。
作品名:風の魔術詩オーウェルン 作家名:楽恵