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風の魔術詩オーウェルン

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オーウェルンは短く除霊の詩を呟いた。するとジンは苦しそうな表情をして、地面をのたうちまわった。やがて地面の中に引きずり込まれるように消えていった。
「どうしたの?」
「どこかへ逃げたらしい。もう少しで除霊できるところだったのに残念だ。」
ジンの怪物が消えた地面を見つめたままのクォーツは、恐怖のあまりその場に立っているのがやっとのようだった。
あくる朝、礼を言いに来た長女の話によると、三女はその後ですぐに元どおりになったらしかった。
三女と次女はオーウェルンの帰りを待つように家の外で椅子に腰掛けていた。娘達は彼に対する警戒を解いたらしかった。
アスティは黙ってそっと二人を見ていた。クォーツがそんな彼女を後ろから覗き込んだ。
「気になるの?」
「うるさいわね!」
「ふーん。」
からかうような顔でアスティを横目で見た。
「な、何よ‽」
アスティは逃げるクォーツを追いかけた。クォーツはアスティとオーウェルンにすっかり心を許しているようだった。
遠くから黒い雲が近づいてきた。近くまで来たところで、アスティはそれが空飛ぶオーウェルンの姿だと気がついた。
「どこへ行ってたの?」
オーウェルンは黙ったまま、井戸のすぐ側に生えている大きなポプラの木のたもとまでやってきた。見ると手に斧を持っていた。
オーウェルンはポプラの木を見上げた。アスティはその隣に駆け寄った。
「もしかして、この木を切るの?」
「……こいつが悪霊の正体だ。」
そういい終わると、斧を振るってポプラの木を切り始めた。幹に斧の刃が食い込み、割れ目が入っていく。
「何をしているのですか?」
長女が家の外に出てきた。
「悪霊はこの木に住んでいるのだ。」
山羊のいる小屋の中から、青ざめた表情の父親が出てきた。
「いけません!この木は大事にしてきた大切な木です。」
「娘が死んでしまってもいいのか?」
父親はオーウェルンの腕に飛び掛ってきた。だがすぐに振り払われた。
「やめるんだ!」
ポプラ木の上からまた別の大声が聞こえてきた。見上げると、その天辺にジンの怪物がいた。太陽の光の中ではっきりと姿を現したジンは、見るも恐ろしい姿をしていた。
ジンの怪物は木から飛び降りると、父親の頭のうえに飛び乗った。父親の目の中が白眼となり、ジンの怪物はその体の中に吸い込まれるように入っていった。
「アスティ、全員家の中に入っているんだ。」
アスティはクォーツと三姉妹を家の中に入れると、戸に支え木をして固く閉じた。万が一のときのために、自分も剣を引き抜き、戸に向かって構えた。
オーウェルンは再び魔術詩を唱え始めた。
すると怪物は蹲るように地に伏した。
「……力がないようだな。」
オーウェルンにはそのジンが、本来の姿より随分とやつれ衰えているのがわかった。
「あの娘たちが必要だったのだろう?何故もっと早く取り殺さなかったのだ?」
「殺そうと思ったさ。だが殺せなかった。」
ジンは荒い息を吐きながら呟いた。
「私はあの娘達と長く暮らしすぎたのだ。」
「…男から離れろ。助けてやってもいいぞ。」
「私はジンだ。人をとり殺さなければ存在し続けられない。……おまえは来るべきときに、私のもとに来たのかもしれないな。」
オーウェルンは目を閉じ、再び魔術詩を詠い始めた。ジンは口から血を吐き、地面に倒れた。砂の中から黒い蟻が群がるように這い出てきた。蟻はジンの身体を埋め尽くし、砂の中に引きずりこんでいった。やがてジンの姿は砂の上から消えた。
ジンが消えた場所に、赤い珊瑚のかけらがあった。オーウェルンはそれを拾い上げた。
ポプラの木はその日のうちに枯れた。三姉妹は新しい苗木を植えていた。アスティたちは出発することにした。娘達の父親はその日を境に急に老け込んでいた。長女は父親を見つめながら、
「井戸を守りながら暮らします。」と言った。
三人と一匹の狼は出発した。砂漠の真ん中にある家は、すぐに小さくなった。太陽という名をもつ長女だけは、いつまでも三人を見送っていた。アスティは一度だけそれを振り返った。
「美人と離れるのは寂しいでしょ?」
アスティはオーウェルンを肘でつつきながら言った。いつも冷静な魔術師の少年は、ふふ、と薄く笑ってみせただけだった。

数日間進むと、砂地に人間とラクダの足跡らしき跡がついているのを発見した。かなり大勢の人数だと見える。
「近くにキャラバンがいるな。」
「キャラバン?」
クォーツがオーウェルンに尋ねた。
「砂漠を旅する商隊のことだ。」
「あんたって、本当に何も知らないのね。」アスティがクォーツをからかった。
「煩いな!ちょっと忘れていただけだよ!」
彼は青い瞳を見開いて、怒ったようにそっぽを向いた。
先を行く商隊は、それほど遠くには離れていないようだった。三人は足跡を追いかけるように歩いていった。
しばらくの後、商隊に近づいた。だが隊に近づくに連れて、騒いでいるような大きな音が聞こえてきた。ケンカにしては大きな騒ぎだった。怒声が飛び交い、明らかに異様な雰囲気であった。
十数頭のラクダを引き連れた商隊を、剣を手にした覆面姿の数十人が取り囲んでいた。どうやら商隊は盗賊からの襲撃を助けているらしい。隊に従う商人達も応戦しているようだが、人数は盗賊団の方が圧倒していた。
「たいへんだわ、彼らを助けなきゃ!」
事態に気がついたアスティが、二人を振り返った。オーウェルンは肩をすくめて見せるだけだった。彼女は剣の柄に手を置いた。
「行くわよ、クォーツ!」
「ええ‽い、嫌だよ!」
「何よ?女の子が戦うって言うのに、助けないつもりなの?」
「わ、わかったよ!」
アスティは盗賊と思われる男たちの群れに飛び込んだ。その後をしぶしぶ加勢するクォーツ。オーウェルンは離れた場所に立ち、盗賊を次々と切り倒していく二人の様子をおもしろそうに眺めていた。
だが人数は盗賊団の方が圧倒的に多く、彼らは見るからに劣勢になっていった。
「……やれやれ、仕方ない。」
オーウェルンは一篇の詩を詠じ始めた。
「 神が見下ろす目よ 聖なる風よ
地上に見開かれた大いなる瞳よ
我こそは  神の意思を守る者
逆らうものには猛る風を 」
やがて辺りを突風が吹き始め、砂を巻き込みながら、小さな竜巻が発生した。竜巻は、群がる盗賊に向かって移動し始めた。
「す、砂嵐だ!」
竜巻はどういうわけか盗賊団の人間のみを吹き飛ばしていった。盗賊たちは蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ始めた。盗賊団の長らしい男が合図すると、商隊から離れていった。眼帯をした盗賊団の長は舌打ちをして、去り際にオーウェルンを睨みつけた。
盗賊団の姿が見えなくなると、商人達は、駱駝の背に積んだ荷物の点検を始めた。幸い荷物のほとんどは無事のようであった。
一呼吸ついたアスティたちのもとへ、背の高い青年が近づいてきた。身なりからすると、彼はこの隊のリーダー格らしい。
「助かりました。私はこの隊の商隊長、ラフマットです。」
商隊のリーダーにしては若く、歳はまだ二十代のようだった。ラフマットと名乗った若者は、すぐにオーウェルンに近づいた。
「お見受けするところ、あなたはすぐれた魔術師のようですね。」
作品名:風の魔術詩オーウェルン 作家名:楽恵