風の魔術詩オーウェルン
戦いは明け方まで続いた。ついに巨人はオーウェルンに倒され、地上に落下した。身体を強く打ちつけ死んだ。オーウェンは人間の姿に戻ると、窓から宮殿に入り込んだ。
「オーウェルン!」
アスティは彼のもとに駆け寄った。
「待て!」
ジルシーズが彼女を引きとめようとした。
「頼む、アスナイ!行かないでくれ!」
「ごめんなさいいお兄さん。私の心と魂はもうすでに、この人のものなのよ。」
オーウェルンはアスナイを抱き寄せ、空中に舞い上がった。
「ウェルルの者よ、またしても私から妹を奪っていくというのか……。」
ジルシーズは搾り出すような声で窓の外に向かって呟いた。
二人はまだ眠りから覚めきっていない明け方の路地の中に静かに舞い降りた。そしてラフマットの家に向かって黙って歩き続けた。
部屋に戻ると、アスティは愛しい人の存在を確かめるように彼を強く抱きしめた。オーウェルンもまたアスティの唇や首筋に口付けた。ジブナル族の衣装を胸元まで服を脱がせたとき、彼は彼女の右胸の上に小さな傷跡を見つけた。印のような刺青である。
―ウェルルの呪い!
オーウェルンは驚愕した。呪いはジブナル王家の子孫に死の運命を背負せるものだった 。
「お前はやはり……ジブナル王家の……。」
その時、屋敷の扉を激しく叩く音がした。
アスティが服を着て扉を開けると、大臣の娘ユースファとラフマットが立っていた。
「父が私を宮殿の外に出し、ラフマットと遠くへ避難しろと言うのです。嫌な予感がしてなりません。シナイ様を助けて下さい。」
「何ですって‽」
オーウェルンのもとに駆け寄った。
「シナイを助けて、彼女は私の妹なのよ!」
すでに太陽は東の空高く昇りつつあった。アスティとオーウェルンは、ラフマットたちと共に王宮へ向かった。
―嫌な胸騒ぎがする。
息苦しさに胸を押さえた。
王宮では婚礼の儀式がすでに始まっていた。
花嫁衣裳を身にまとったシナイは自分の隣に座る父親ほど歳の離れたエスメルダ大公を見た。この結婚は初めから覚悟の上だった。だが彼女の心から、クォーツの青い瞳と面影が離れることはなかった。
シナイは目の前に置かれた杯を見つめた。杯は眩いばかりの銀色に輝いている。その杯こそが不死の夜光の杯だった。シナイは杯を一気に飲み干した。だが次の瞬間、杯は床に落ち、彼女は崩れるように椅子から倒れた。
「シナイ!」
皇太子のジルシーズが駆け寄り、抱き上げた。青ざめた顔の唇の端から、血が流れている。
婚礼の間にアスティが入ってきたのはその時だった。彼女は床に倒れたシナイを見つけ、走り寄ると、その手を握り締めた。シナイは瞳を動かし、アスティの顔を見た。
「私のお姉さん……。」
「そうよ、シナイ。あなたは私の妹よ!」
「お母様に会いにいってあげて、喜ぶ……。」
そう言うと、シナイは息を引き取った。ジルシーズは慟哭し、死んだ妹を抱きしめた。
床に転がる夜光の杯を、オーウェルンが拾い上げた。
「…ウェルルの呪いが、妹を殺したのか?」
「違う。この国の者たちが犯人だ。」
十年前同じように自分の妹を殺された少年の、氷のように冷たい目が彼を見下ろしていた。
「いや……お前とお前の母親がその娘を殺したのだ。」
「……そうだ、私が殺したんだ。」
「オーウェルン!」
アスティが叫んだ。
ジルシーズは剣を引き抜くと、オーウェルンに切りかかった。だがオーウェルンはスラババで手に入れたルナアド・アーの大鎌を取り出すと、剣を受け、簡単に退けた。冷ややかな表情を浮かべたオーウェルンの姿は、ジルシーズには死神のように見えた。
「兄さん!」
アスティはオーウェルンの前に立ち、ジルシーズに剣の刃を向けた。
「兄に刃を向けるというのか……。」
「お願いよ、剣を元に戻して!」
その時、遠くから砲撃の音が聞こえてきた。エスメルダ大公や両国の群臣が窓に駆け寄った。マルゴス軍旗がエスメルダの城壁を取り囲んでいた。
ジルシーズは従者に鎧を持ってこさせると、振り返ってオーウェルンを見た。
「ウェルル族の者よ、おまえ達は私達の一族に死の呪いをかけたのだったな。だが私は、今ここで死ぬわけにはいかないのだ。」
甲冑を着たジルシーズはアスティの頬にキスを残すと、軍を率いて城を去って行った。
都の中は蜂の巣を突付いたように騒ぎ始めていた。屋敷の外へ出たクォーツは、シナイがいるはずのエスメルダの宮殿を見た。城壁の内側に残っていたジブナル軍の一部隊が、宮殿を囲んでいた。彼は慌しく走ってきた男を捕まえて理由をたすねた。
「何が起こったんだ?」
「ジブナルの王女が死んだんだ!暗殺されたんだよ!」
クォーツは目を見開いて男を見た。その言葉の意味が彼には理解できなかった。
「死んだ?」
男はすぐさま走り去った。彼は呆然と逃げ惑う人々の雑踏の中に立ち尽くしていた。
再び砲撃の音が頭上に響いた。
「マルゴスとの戦いが始まったぞ!」
都は完全にパニック状態となっていた。城壁のすぐ前で両軍の戦闘が開始された。
―僕が行かなくては!
自分を取り戻したクォーツは、城門の方角に向かって走り始めた。
アスティはオーウェルンに頼んで空から3カ国の軍の動きを見ていた。城壁の外でマルゴス軍を打とうとしていたジブナル軍が 今度は都の後方から押し寄せてきたエスメルダの軍によって挟み撃ちにされそうになっていた。彼女は驚いて彼に詰め寄った。
「どういうこと?」
「報復を恐れたエスメルダ大公が、ジブナル軍を奇襲しているのだ。」
「兄さんが危ないわ!」
「……もはやどうすることもできない。」
「駄目よ!お願い、私を連れてって!」
オーウェルンは空中からジルシーズの目印である軍旗を探し始めた。
近衛兵で組織されたジルシーズの隊は、エスメルダ公国軍の奇襲によって危機に陥っていた。エスメルダ軍は真っ先にジルシーズの命を奪うことを狙い、彼のいる場所に雨のように弓矢を打ち込んでいた。応戦する近衛兵は必死で皇太子を守っていたが、そのうちの一本がジルシーズの右胸を深く貫いた。奇しくもその場所はウェルルの呪いが残された場所であった。
オーウェルンが、彼が倒れた場所の真上に来た。エスメルダの兵士達が弓矢を放った。だが、彼はすぐさま空中で詩を暗誦した。
「 神の手 闇と光 光の影
光を隠すもの 闇を見い出すもの
闇の中に 光の影に
今 その力を目覚めさせよ 」
その瞬間、すべての弓矢が空中で停止した。
「兄さん!」
地上に降りたアスティは取り囲む近衛兵を払いのけ、倒れたジルシーズに駆け寄った。
「シナイ様なのか?」
死んだシナイ王女に瓜二つな少女に近衛兵達は驚き、それを守るように円陣を組んだ。
アスティは包帯で止血を試みた。だがすでに手遅れであることは誰の目にも明らかだった。皇太子は目を開いた。
「アスナイ、母上に会いに行ってほしいのだ。母上は父上亡き後、まだ若い余と二人で国を治めてきた。だが最近は病気がちで、もうずいぶんお歳だ。我らの死を知ればどうなることか。これが最初で最後の頼みだ、妹よ…。」
そして深呼吸すると、アスティの腕の中で息を引き取った。
アスティは泣いた。だがすぐさま皇太子の剣を持つと、近衛兵達の前に立った。
作品名:風の魔術詩オーウェルン 作家名:楽恵