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青い満月のフォーチュン

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思わず笑顔になる。よく見ると、金髪碧眼の美少年である。それに、どこか魅惑的な顔立ちをしていた。
「いいだろう。今宵より私がお前の師となり、月の魔法を教えてやるぞ」
梅乃の真の願いを知っているのか、知らないのか、悪魔の公爵オリアスは艶のある唇に不敵な笑みを浮かべた。
こうして観月神社の巫女、如月梅乃は、月の魔女となるべくオリアスに弟子入りした。巫女でありながら魔女でもあるという、世界でたったひとりの魔巫女が誕生した瞬間であった。
梅乃がもしも冷静であったなら、悪魔の誘いを断っていたかもしれない。だが今の梅乃にとって、冒険という名の誘惑はたまらなく魅力的だった。
気がつけば、新月の闇夜に降るような星空が広がっていた。

次の日、家に戻って巫女装束に着替えると、さっそく神社に行った。オリアスは鳥居の上に座り、約束通り梅乃を待っていた。どうやら境内の中にはできる限り近づきたくないらしい。
「空飛ぶ魔法をマスターできれば、その他のどんな魔法も使えるようになる。天空飛行が魔女の技術の初歩だからだ」
日が沈む頃に、月の魔法を習い始めた。
「まず、心を静めよ。そして意識を月まで飛ばすのだ」
巫女の修行を積んできたので、心を静めるのは得意だった。でも月に意識を飛ばす方法が分からない。
「月に意識を飛ばすって、どうやって?」
オリアスは空を指差した。暮れたばかりの西の空に、銀色の三日月が浮かんでいる。
「今夜は三日月だ。三日月の夜は、三日月の魔法を使うのだ」
「三日月の魔法?」
「そうだ。目を瞑り、意識を集中させ、三日月が満月まで満ちていく姿を想像するのだ」
(満ちていく月……)
竹箒に跨ると、精神を集中させる。
「まずは、私が一緒に乗ろう」
オリアスが突然、柄の後ろに跨った。その瞬間、箒は空に急上昇した。
「ちょ、ちょっとー!きゃー‼」
梅乃の意思と関係なく、箒はあっという間に雲の近くまで舞いあがった。そして風をきり、前進を始めた。すでに街の明りが一望できる。
「わあ!」
頭上には満天の星空。見下ろせば、敷き詰められた色鮮やかな夜景。こんな爽快感、今まで一度も経験したことない。
「すごーい!気持ちいい!最高‼」
「だろう?ふふ、悪魔は嘘つかない」
 地上に降りると、魔法を使うたび月に感謝せよ、と言われた。神社の祭神である月の神、月読命にはもとより厚い信仰心を抱いている。帽子を脱ぎ、三日月に手を合わせて、お辞儀した。
ふいに、ある月の和歌を思い出した。
「月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 
日長く恋ひし 君に逢へるかも」
万葉集の大伴坂上郎女だったと思う。
「なんだ、それは?」
「和歌よ」
「ワカ?ふん、悪魔には分からないな」
確かに、悪魔に和歌の良さなど分かるまい。
恋する相手を想って詠った歌だ。でも、そんな恋の歌を寄せる相手は、梅乃にはもういない。また胸が痛んだ。
三日月は、夜空ににっこりと笑顔をつくっているように見えた。夜ごと姿を変えていく不思議な月が、小さな頃から大好きだった。
月の光はまだ弱かったが、梅乃の瞳は満月のように輝いていた。
そんな梅乃の横顔を、オリアスが食い入るように見ていた。この悪魔は新しく魔女候補になった娘を気に入っていた。占星術師の彼と月が選んだ娘は、不思議と気が合った。

梅乃は月の出を待ちながら鎮守の森を歩いていた。か細い月がその姿をだんだんと現していくように、月の変化に呼応して魔法を自在に操れるようになってきた。
その時、見覚えのある黒猫が雑木林の中に現れた。
「……あの黒い猫だ」
こっそりと後を追いかける。林の奥まで進んでいくと、ある物が視界に入った。
一本の木に、何かが打ちつけられている。その正体に気づくと、梅乃は顔をしかめた。それは和紙を人の形に切り抜いた呪いの札、人形呪符だった。逆さまに張られ、真ん中に釘が打ち付けられている。
「呪いの符だわ」
木の葉を踏む足音に気がついて振り返ると、オリアスが後ろに立っていた。深く打ち付けられている釘を引き抜くと、呪符を梅乃に手渡した。
「お前の最初の仕事は、その呪いの手助けをしてやることだ」
「……手助けですって?」
「当たり前だ。お前は魔女なのだから。一人前の魔女になるには、まず悪事を助け魔王ルシフェルの祝福を受けなければならない」
「そ、そんな事、聞いてないわよ!」
「ただで魔女にしてもらえると思っていたのか?世の中そんなに甘くはないのだ」
悪魔の勝手な言い分に腹が立ち、竹箒で殴りかかる。オリアスは笑いながら鳥居に飛び上がると、頭から逆さになり、まるで蝙蝠のようにぶら下がった。
(あいつの足はどうなっているのよ)
とにかく、まずは月の魔法を使って呪いをかけた主を探すことにした。
陽が沈んだばかりの地平に、上弦の半月が出ている。それを確かめてから、瞼の裏に、月の姿を思い浮かべた。
(夜の女王、満ちていく月よ)
心の中の月が満ちるとともに、身体のすみずみまで魔法の力が満ちてゆく。
人形呪符は手から離れ、ひとりでに宙に浮いた。それから梅乃を誘導するように、目の前を飛び始める。竹箒に跨り、後を追った。
初めての一人きりでの飛行である。
緋袴を穿いた巫女がトンガリ帽を被って竹箒に跨り、空を飛んでいる姿を見た人は、さぞかしびっくりするだろう。
街の上空をしばらく飛ぶと、人形は急に止まった。手の部分がある方向を指している。
闇の向こうに、少女の人影が見えた。それは、梅乃がよく見知っている人物だった。
(まさか……)優奈だった。ならばこの人形呪符が呪った相手は……。
呪符は、空中で動かない。
呆然としたまま、しばらく闇に浮いていた。
半月はいつの間にか南の空高くまで昇っている。混乱を沈め、人形呪符を宙で掴み取ると、袖の中にしまった。
神社に戻ると、オリアスが鳥居の上に座り、シルクハットを弄んでいた。
「呪いをかけた奴を、見つけたか?」
「……あんたは初めから、呪いをかけた主も、呪われた相手の正体も分かっていたんでしょ?」 
「呪いを返すのだ、梅乃」
「呪いを返す?」
そうだ、と言って、梅乃の手から人形呪符を取りあげた。
「お前の恋の相手は最近まで、お前に気があった。だが、あの娘が呪いをかけ、恋の邪魔をして、本来お前のものになるはずだった男の心を奪ったのだ」
(優奈が私から翼沙を奪った?)
笑うオリアスの片眼鏡に、竹箒に跨る自分の姿がぼんやりと映っている。
「呪い返しをすれば、恋をあの娘から取り返せる。お前の男は元通りお前の元に戻ってくるぞ」
そう、最近まで翼沙と仲が良かったのは、梅乃の方だ。
南の空に見えていた半月が、今では西の空に沈もうとしていた。夜ももう遅い。
「逢うことは かたわれ月の 雲隠れ
おぼろげにやは 人の恋しき」
半月が雲に隠れて朧ろに見えるように、おぼろげな気持であの人を恋している……。確か、詠み人知らずの歌だった。
「やれやれ、また和歌というやつか」
オリアスが肩を竦めた。

 梅乃はできる限り翼沙と優奈を避け、彼らと顔を合わせないように学校生活を送っていた。
けれど、今日は校門で二人にばったりと出くわした。彼らが梅乃を待っていたのだ。黙ったままの梅乃に、翼沙が口を開いた。
「久しぶりに三人で一緒に帰ろうよ」
作品名:青い満月のフォーチュン 作家名:楽恵