太陽の東と月の西
若者は少し笑ったような顔を作ったが、表情は暗くよくみえなかった。
「私はあなたをある場所へ連れてくるように、ある人から命じられています。」
「ある人?誰に?」
「美夜子様もすでにこちらに来ているます。」
「え?あなたは美夜子の知り合いなの?」
「そうです。私について来て下さい。」
黒ずくめの若者はあかるの前をゆっくりと歩き始めた。
初対面の自分の事を、様付けで呼ぶなんて変なやつ、と思いながらも、先に美夜子の名前を聞いたこともあって、あかるは用心して十分に距離を開けながらあとをついていった。
後ろから若者をよくよく観察してみると、パンクロックの歌手のような全身真っ黒な羽根のコートを着ている。シャープで整った綺麗な顔立ちだが、表情はどことなく翳っており、さらに肌の色は何故か青白かった。全身黒ずくめの格好なのでよけいに青白く見えるのかもしれない。
少年に連れられて、しばらく道を行くとまたしても鳥居のようなものが見えた。その鳥居は入り口で見たようなコンクリートの大きな鳥居ではなく、両柱が木で作られ、白いしめ縄が張られていた。人ひとりがやっと通れるような小さな鳥居だった。
そして、その鳥居の横に美夜子は立っていた。
「美夜子!」
「あかる!ちょっと遅いわよ。携帯ちっとも繋がらないし!」
美夜子は腕を組んで少し怒った顔を見せた。
「あれ?おかしいなあ、このあたりはもう携帯の電波は圏外なのかな。」
「まあ無事会えたからいいけど。ところで、この人はあかるの知り合い?」
美夜子があかるに尋ねた。
「え?何言ってるの?私は美夜子の知り合いだと思って、この人についてきたんだよ。」
二人は顔を見合わせた。
「……あなたは誰?」
美夜子が若者にたずねた。
「私の名前はヤタと申します。あなた方のこれから始まる旅の、道先案内として神に選ばれた者です。」
美夜子の問いに黒ずくめの若者は低い声で答えた。
「ヤタ?たび?」
「あなたがたをある場所に連れて来るように、天の高原の大御神様から命じられています。お二人そろって私のあとについて来てください。」
二人はふたたび顔を見合わせ、先に立って歩き始めた黒ずくめの後姿を見つめる。
「どういうこと?」
「私たちを連れて来いっていう人、そんなの誰だろう?」
「うちのお母さんが神主さんにでも電話したのかしら?」
とりあえずふたりは、話し合いながら黒ずくめの男のあとについて歩き始めた。
「それにしても、今日ここへ来てから誰とも会ってないよ。それに雨乞いの儀式がどこにも開かれていないみたいなんだけど。」
「確かにおかしいわね。」
ふたりは話し合いながらさらに歩き続けた。
「ねえ、あかる。神社の森って、こんなに広かったっけ?」
「うーん、あの人もなんか怪しくない?」
黒ずくめの若者がくるりと振り返りあかるのほうを向く。
「私は怪しい者ではありません。安心して付いて来てください。」
あかるが、やばい聞かれた、という顔をした。
ヤタと名乗った男は、黙ったままふたりの先に立ち、さらに森の奥のほうへと向かって歩いていく。
「なんだか変よ。」
「……今のうちに逃げない?」
あかるが美夜子に小さな声で耳打ちした。
二人は目を合わせ、意見が同じであることを確認すると、一斉に男とは逆方向への道へと全力で走り始めた。
ずいぶんと走った。黒ずくめの若者の姿が完全に見えなくなったのを確認してからふたりは立ち止まった。ふたりとも、息も絶え絶えである。
「あかるさん。」
そこへ突然後ろから聞き覚えのある声に呼び止められた。
「きゃー!」
と美夜子が叫び声をあげる。
驚いて振り向いたあかるの目にあの赤い瞳をした少年の顔が映った。
「図書館のお兄さん!」
「ひさしぶり。」
「どうしてお兄さんがこんなところにいるの?」
「ちょっと、あかる、この人は知り合い?」
美夜子が怪訝な顔つきであかるにたずねる。
「初めまして、美夜子さん。」
「え?」
今度はあかるが驚いて少年と美夜子の顔を見比べる。
「あなたにも会いたかった。」
「み、美夜子はやっぱりこの人と親戚か何かだったの?」
「親戚?いいえ。この人とは初対面だけど。あかるの知り合いなのよね?」
「う、うん。知り合いといえば、知り合いだけど……。」
「僕は君たちを待っていた。この二千年のあいだ。」
赤い瞳の少年が言った。
「にせんねん?」
美夜子が少年に対してあからさまに怪訝な顔を向ける。
「僕に着いてきてください。君たちを案内したいところがある。」
少年が先に立って歩き始めた。ふたりは顔を見合わせて、どうしようか、と目で相談する。
「とにかく、この人は信用できる人だと思う。」
あかるが美夜子にきっぱりと言った。ふたりは少年のあとについて歩き始めた。
ふたりがあとに着いて行くと、やがて目の前に大きな湖が現れた。町は断水になるほど降雨がないのに、その湖だけは満々と水を湛えていた。
予想していなかった場所に連れてこられたことに、ふたりは相変わらず戸惑っていた。気がつくと午前の太陽はずいぶんと高くまであがっていた。
「こんなに大きな湖が、天降山の中にあったなんて、今まで知らなかったわ。」
「おかしいな、来る前に神社の地図もみたけれど、こんな大きな湖あったっけ?」
ふたりが湖に着いたとたん、今度は急に空が曇り始めた。
「嫌ね、雨かしら?」
「まさか。でも、確かに雨雲だ!おかしいな、さっきまで全然見当たらなかったのに!」
天気に詳しいあかるが驚いて空を見た。
―ゴロゴロゴロ
「雷の音だわ!」
「うわ!うそ!信じられない!」
さらに次の瞬間、ドーンと、大きな落雷がとどろいた。
「きゃー!」
美夜子が悲鳴を上げた。
湖のほうを向いていた少年が、くるりとふたりのほうに振り向き、にっこりと微笑んだ。
「日神子。ついに君が、私のものになる日が来たみたいだね。」
ふたりが少年の言葉の意味がわからずとまどっていると、
―ゴゴゴゴゴ
と、今度は地面のほうから、大きな地響きが聞こえてきた。
「な、何?地震?」
そして少年は身を翻して湖のなかに飛び込んだ。
「あ!」
と思うまもなく、少年の姿は湖の中に消えた。そして次の瞬間、少年が飛び込んだ湖の湖面から高い水しぶきがあがり、水しぶきのなかから、頭が八つに分かれたビルほど巨大な大蛇が現れた。
「ぎゃー!」
あかると美夜子が同時に叫んだ。
「ほ、本にに載っていた、だ、大蛇だ!」
あかるはすぐに神社の本に書かれていた、イケニエの場面を思い出した。
「早くここから逃げないと、きっと、いけにえにされてしまう!」
「な、何ですって?」
大蛇はすぐふたりの真正面までやってきて、八つの頭のうち真ん中の大蛇が、がっと大口を開け、今まさにふたりを飲み込もうとした。そしてふたりが飲み込まれようとした瞬間、そこに、黒い大きな影がサーッと飛んできて、二人を抱きかかえると空中に逃れた。
それは先ほどの黒ずくめ若い男だった。男は鳥のように自由に空を飛んでいた。そして男は二人を両腕に抱きかかえたまま、さらに空高く飛び上がった。
「逃げます。しっかり私につかまっていてください。」
「お願い、助けて!」
ふたりは目を閉じて、飛ぶ男にしがみついた。