太陽の東と月の西
最近まではこの図書館へ来る時も、美夜子を誘うことが多かった。だがこのごろのあかるは美夜子とばかり出かけることに、少し飽きてきていた。もちろん美夜子にそんなことを告げたりはしない。
「市立図書館に来るのはひさしぶりだなあ。」
あかるはこの図書館の静かな雰囲気が好きだった。今日は天気のことではなく、天降神社のことを調べるために来ていたので、あかるは郷土資料室という区切られた部屋の一角に来た。
本棚を見ながら熱心に本の物色をしていると、突然あかるは誰かに話しかけられた。
「何の本を探しているの?」
「え?」
突然の問いにびっくりして、あかるは声をかけてきた人を見た。
「何か郷土資料を調べているの?」
その声の主は、見知らぬ少年だった。顔を見ると細面の顔立ちに整った目鼻がくっきりとしている。あかるよりもずいぶんと背が高く、印象的な浅黄色のシャツを着ていた。細身だが頭や手足の長さもバランスが良い。見る人が女性ならば、必ず好感を抱かせるような顔と体格をしていた。
―美しい人。
その少年の立ち姿に、あかるは思わず息をのんだ。少年はどこか中性的な雰囲気を持っていた。声もまた、透明感のある涼やかな声である。年齢はあかるより年上で、おそらく高校生のようである。
「い、いえ、あ、この町の天降神社の資料を探しているんです。」
これまで一度も出会ったことのないタイプの男子からの問いかけに、あかるは思いもよらず激しく動揺した。
「天降神社?」
彼はあかるの答えにすぐ反応した。
「は、はい。」
「それならきっと、こっちの本棚にあると思うよ。」
少年はあかるをさりげなく誘導するように、目の前を歩いていった。
―高校生かな。
今まであまり経験したことのない緊張感に、自分でもわけがわからず身体をこわばらせながら、あかるは少年の後ろをついて行った。
「この辺に、あると思う。」
少年は本棚を指さした。
「あ、本当だ!ありがとうございました。」
「どういたしまして。天降神社に興味があるの?」
「ええ、ちょっとだけ。」
「そう。」
少年はあかるを見ながらにっこりと笑った。その顔を見て、あかるは何故か顔を真っ赤にした。
―それにしても。
あかるはふたたび少年の顔を盗み見るようにこっそりと見た。
―眼が、赤い。
不思議なことに、少年は赤い瞳を持っていた。その赤い瞳は切れ長の整った眼の中に、妖しいほど美しかった。おしゃれのためにカラーコンタクトでも入れているのかな、とあかるは思った。
あかるは少年から教えてもらった本棚から本を一冊選ぶと、机に座って天降神社のことを調べ始めた。少年は少し離れた席に座っていて、何か自習をしているようだった。
あかるは本を読んでいるあいだも、なかなか本に集中できず、何度か少年を見た。
すると少年もあかるの視線に気がついたらしく、目が合うたびに、にっこりと笑った。そのたびにあかるは赤くなってあわてて視線を外した。
あかるは自分の家に帰ってきたあとでも、今日図書館であった出来事を思い出していた。
少年の綺麗な顔立ちや、あの印象的な赤い瞳のことがなかなか頭から離れなかった。
―でもあの人。
あかるはふと思った。
―どこかで会ったことがあるような気がするんだよね。
あかるは何故か、あの少年とどこかであったような気がするのだった。だが実際に以前どこかで出会った記憶がまったくないので、自分の思い過ごしかな、とも思った。
その晩、あかるは夢を見た。その場所はどこか森の中のようだった。暗闇のなかを、松明を手にしたたくさんの人間が自分を追ってきた。あかるは逃げるために必死で走り続けた。
―このままつかまってしまえば、きっと殺される。
あかるは思った。
ずいぶんと走ったあとに何かにつまずいて転んだ。だめだ、もう立てない。草むらの地面から首だけ起こすと、目の前に小さな小屋が見えた。
そうだ、この小屋に逃げ込もう。
小屋の入り口には何かが描かれた紙が張られていた。それはどこかで見たおぼえのある、丸い円がたくさん書き込まれた模様だった。
―この模様、知ってる。
模様を見つめたままあかるが起き上がろうとしたとき、手首の付近で何かの気配を感じた。顔だけ向けてそのあたりを見ると、そこにはなんと一匹の白い蛇が近づいていた。
あっ、と思った瞬間、あかるはその白い蛇に手首を噛みつかれた。
「ぎゃあ!」
とあかるは叫んで、目を覚ました。息を整えてあたりを見回し、自分がいつもどおり自分の部屋で寝ていて、先ほどまでの出来事が夢だったのだと気がついた。
ベッドから起き上がると、体中が汗びっしょりだった。ものすごくリアルな夢だと思った。これまで一度もそんなにはっきりとした夢をみたことはなかった。それは本当に、実際の感覚まで憶えているような夢だった。
―いやな、夢。
あかるはしばらく眠れずに、ぼんやりと部屋の天井を見ていた。そして部屋に風を入れるため、立ち上がって窓を開けた。青い夜の向こうに、天降山の稜線がうっすらと見えた。
次の日の放課後。あかるは昨夜みた夢の一部始終を、バス停までの帰り道で美夜子に話して聞かせた。
「へえ、不思議な夢ね。」
「うん、なんだか気持ち悪い。」
「蛇の夢は縁起がいいって言うから、お金持ちになれるかもよ。」
「そうかな。」
あかるは首をすくめてみせた。ふいに美夜子があかるの手首を見て、何かに気がついた。
「あれ?あかる、そこ蚊にでも咬まれたの?」
と言って、あかるの手首を指さした。
「ん?」
たしかにあかるの手首には、赤い小さな点のような傷痕がふたつ並んでついている。
「本当だ。なんだろう。気づかないうちに蚊にでも咬まれたのかな・・・。」
身に覚えのない傷のあとを、あかるはじっと眺めた。
美夜子の乗るバスが来た。
「じゃあまた明日ね!」
バスを見送ったあとも、あかるはふたたび自分の手首の傷を眺めた。
「この傷跡は、もしかして・・・。」
あかるは夕べの白い蛇の夢を思い出し、小さな声で呟いた。天降山のほうに日が傾き始めていた。
この日の夜、自分の部屋であかるが勉強していると、机の上に開いたノートから一枚の紙がひらりと床に舞い落ちた。
「あ、これって、このまえ図書館で調べものしていたときに、本から思わずもってきちゃった紙だ。」
拾い上げて紙を眺める。
―この模様。
あかるはふいに、その模様が自分の夢のなかに現れていたことを思い出した。
「そうだ、これは昨日の夢で見た小屋に貼り付けてあった紙に書かれていた模様だ。」
あかるは夢で見た印象的な模様が、その模様であったことに気がついた。
「不思議だ。どうして夢のなかにこの模様が出てきたんだろう。それにしても、この模様には何の意味があるだろう・・・。」
あかるは不思議な気持ちで、紙に描かれた丸い円の模様をしばらく眺めていた。
次の日の帰り道も、あかると美夜子のふたりはいつもどおり、同じ帰り道を歩いていた。なんでもないおしゃべりをしていたあかるは、何気に美夜子の鞄についているキーホルダーを見た。
「あれ?これ私が最近買ったキーホルダーと、同じやつじゃん。」
あかるの不意打ちの指摘に、美夜子はおもわず顔をひきつらせた。
「ちょ、ちょっと、やだ、勝手に人の持ち物を見ないでよ!」