太陽の東と月の西
バスが来た。バスに乗った美夜子を、あかるはいつものように見送った。
夜、あかるは自分の家でさっそく父親に神社の雨乞いの儀式のことをたずねた。
「今度、天降神社で雨乞いの儀式があるって美夜子に聞いたんだけれど、父さん今までに行ったことあるかな?」
新聞を読んでいた父親が顔を上げる。
「神社の雨乞い?」
「そう、学校で美也子から聞いたの。」
「確か子どもの頃、父さんも見たことがあるぞ。」
思い出したように父が言った。
「本当?」
「ああ、焚き木に火を焚いて、神主さんが祈祷していたのをみた記憶があるな。そういえば、天降神社はあかるが生まれたときに、お宮参りした神社なんだぞ。」
「そうだっけ?七五三に行った記憶はあるけど。」
天降山は、いくつかの山が重なる山の総称だった。その山に囲まれた小さな盆地にある町が、あかるの住んでいる町だった。そして天降神社は、その山の神様を昔から祭っていたはずだった。あかるの天降神社に関する知識は、それぐらいのものだった。
「しかし、断水になると困るな。」
父親が心配そうに、このごろの天気の話題をあかるにふった。
「こんなに雨が降らないなんて、異常気象だよ!」
町の多くの人は、水不足にまだ関心を払っているわけではなく、普段どおりの生活を送っていた。彼女だけが例外的に、この問題に以前から深い関心を寄せていたのだった。
「歴史の勉強にもなるだろうし、今度の雨乞いの儀式はぜひ、いっておいで」
「うん!そのつもりだよ。」
「あかるの夢は気象予報士になることだったろ?見学しておけば、あとあと役に立つこともあると思うよ。」
父親は以前からあかるの夢を応援していた。
「ちょっとあなた、あまりあかるに遊びに行かせるのは控えてくださいな。来年は受験勉強がひかえているのに。あかるも、もうすぐテストでしょ。いつも成績がいい葛城さんから勉強習ったりしなさいよ。」
父娘の会話を、家事をしながら後ろ向きで聞いていたあかるの母親が、途中で口をはさんだ。葛城さんとは美夜子のことである。
「何を言っているんだ。子どものうちから、自分の夢を育てるのは、大事なことだぞ。」
父親が母親を諭すように声をかけるが、母親はすぐに言い返した。
「予報士だろうがなんだろうが、まずはいい高校に入るのが先です。」
毎度おなじみの両親の言い争いが始まった。こういう夫婦ゲンカも、最近に始まったことではない。
「やれやれ、また始まったよ。」
あかるはつぶやくと、逃げるようにそそくさと自分の部屋のある二階へ上がっていった。あかるはひとり娘である。
自分の部屋に戻り、机に座って、引き出しからノートを広げる。
しばらくして、あかるは思い出したかのようある本を机の中からそっと取り出した。それは気象予報士のための参考書だった。いろいろな雲の種類の写真を、しばらく眺めた。でも今はテスト勉強をしなければならない。
―本当は、好きなことだけ勉強したいのに。どうして好きなことだけしていられないんだろう。
あかるは椅子から立ち上がって、窓の外から、さっきまで話題にあがっていた天降神社のある天降山を見る。あかるはこの部屋から、天降山を見ながら育ったのだ。
夜空は、今夜も星が降ってくるような美しい空だ。
「この調子だと、明日も雨は降らないね。」
まるで自分自身の悩みのように、あかるはため息をつくと、その日は眠る準備を始めた。
次の日も、下校時間のチャイムが鳴り、帰り支度をした美夜子があかるを迎えに来た。
「あ!美夜子、ごめん。今日は天気のことで調べたいことがあるから、図書館によって帰りたいんだ。悪いけど先に帰ってくれる?」
あかるが謝るように両手の手のひらを合わせる。
「うん、分かった。私はピアノのレッスンがあるから、今日は先に帰るね。」
「ありがと、じゃあまた明日ね!」
放課後の学校の図書室は、今がテスト期間ではないこともあって、生徒の姿もまばらであった。あかるが図書室へ来るのは久しぶりである。テストの時期になると美夜子と一緒にテスト勉強をしにくることもあった。
あかるが郷土資料関係の本の棚を漁っていると、司書さんから声を掛けられた。
「あら坂上さん、ひとりで来るなんてめずらしいわね。今日も気象関係の本?」
坂上、というのがあかるの名字である。
「いえ、今日は天降神社の事を調べようと思ってきたんです。」
「あら天降神社?坂上さんは郷土の歴史にも興味があったの?」
「神社で今度、雨乞いの儀式があるみたいで、それで神社の歴史とか調べてみようと思って。」
あかるは図書室へ来た目的を司書さんに話した。
「なるほどね。それも天気に関係することですものね。それならうちの学校に古い歴史書があるわ。市民の方から寄贈された古い古文書をまとめた本なんだけれど。」
「本当ですか?見せてください!」
あかるは興味があることだけは徹底して調べる性格である。
司書さんが古そうな本を何冊かあかるに持ってきてくれた。かなり古い本らしい。最初のページを開くと巻頭に大蛇の絵が載っていた。大蛇は頭が八つ、尻尾も八つあるおかしな姿の大蛇だった。
「天降神社の神様は、大きな蛇の神様なんですか?」
「そうよ。蛇には悪いイメージがあるかもしれないけれど、日本各地で蛇は山の神様としてあがめられてもいるの。」
「へえ、そうなんだ。」
その次のページには、村人が集まって何かの儀式を行っているような絵が描かれていた。娘がひとりその真ん中にいて、手を合わせて何かを祈っている。
「この絵は何だろう。これが雨乞いの儀式かな。」
司書さんがあかるの後ろから本を覗き込む。
「ああ、これは村の娘が、山の神様である大蛇に生贄にされるところの話よ。」
「げげーっ!い、イケニエ?」
「古い日本の民話では、よくある話ね。」
「うう、なんだか怖いですね。」
あかるはその絵をできるだけ見ないように、さっとページをめくった。
やがて司書さんは何か用事があるらしく、あかるのそばから去っていった。
その後もあかるがひとりで本をめっくていると、本のあいだから小さな紙が一枚ひらりと床に落ちた。
「あれ?なんだろ、この紙。」
あかるは床に落ちた紙を、拾い上げた。
それは今まで見たこともない、不思議な模様が書かれた紙だった。まず大きな円がぐるりと画いてあり、外側を取り囲む円が二重の円で区切られ、その円の中央に、さらに小さな円ある。そしてその周りを、半円の模様が花びらのように取り囲んでいた。
その模様が何なのか、あかるには見当もつかなかった。ただし、それはどこかで見たことのあるような、不思議と心にひっかかる模様だった。
「この模様、どっかでみたような気がする。でもどこでだろう?」
思い出そうと必死で考えているところに、遅い時間の下校チャイムが鳴った。思っていたよりずいぶんと長い時間、図書室にいたようだった。慌てたあかるは、眺めていたその紙をもとあった本のページに戻さずに、開いていた自分のノートにしまいこんでしまった。
次の日、学校は休みだったが、あかるは朝早くから出かけた。家から少し離れたところにある大きな市立図書館に行くためである。これまでも天気や気象のことを調べるために何度か通うことがあった。