太陽の東と月の西
「私、思い出したわ。すべてを思い出したの。」
「そうだよ、美夜子。二千年前、私たちは一人だった。」
手と手を合わせ目を閉じるあかると美夜子。金色と銀色の光が二人の体から出て周りを照らし始める。
「小さな太陽よ。そして小さな月よ。」
美夜子が声の主を見上げる。
「美夜子、この木が根の国の神様だよ。」
美夜子は隣りにヲロチの姿を見つけた。そしてその後ろを見渡すと、わずかに根の国の地平線が見えた。
そこは荒涼とした死の大地だった。遠い場所に溶岩のようなマグマのような河が流れていた。その場所だけが赤黒くどんよりとした輝きを見せていた。
岩の木が三人に話しかけた。
「月の息子と太陽の娘たちよ。こんな深い根の国まで、何をしにきたのだ。」
「我らはこの国にある大地の真珠をあるべき姿にするために来たのだ。」
ヲロチが言った。
「大地の真珠?」
「おそらくそれが、天と地のバランスが崩れている原因だ。」
あかるにヲロチが答えた。
岩の木がスルスルとあかるたちに向かって枝を伸ばした。枝はまるで手のひらを広げるように平たくなり、そこに何か玉のようなものがあるようだった。三人は岩の木の手のそばまで寄っていった。中にはあかるたち人間の手のひらに乗るほどの、小さな玉があった。玉は全体的にくすんで黒ずんでいた。
「とても真珠なんて呼べるようなものではないわね。」
美夜子が大地の真珠を見た感想を正直に述べた。
「この玉がこのように汚れてしまったのはつい最近のことだ。以前はまるで海に生まれる貝の真珠のように光り輝く玉だった。この根の国を支配する大きな力をつかさどる玉だ。」
「どうして、こんなふうに汚れてしまったの?」
あかるが岩の木にたずねた。
「今おまえたちふたりが生きている世界のせいだ。」
「私たち、人間の?」
「そうだ、人間たちは我ら神のような大きな力を持ち始めた。だが人間たちはその力の使い方を誤ってきた。この根の国にその影響が出始めているのだ。」
「どうしたらこの玉をもとのような姿に戻すことができるの?」
あかるが岩の木を見あげたまま、またたずねた。
「私の力では無理だった。しかしここには天の神の子がそろっている。太陽の神と月の神の子であるおまえたちの力を、この玉に注ぎ込めば、以前のような力を取り戻せるかもしれない。」
「わかった。やってみるわ。」
「しかし、太陽の娘よ、おまえたちはまだ、あの天上の母や父の神々ほどの力を持っていない。誤れば、命を落としてしまうかもしれない。それでもよいのか?」
「かまわない。私たちはそのためにここへ来たの。」
あかるは岩の木にきっぱりと言った。
「勇気のある者よ。もしそうなってしまえば、おまえたちの母や父は悲しみ、私もまた彼らに恨まれることになるだろう。彼らは二千年前にも一度子を失っている。しかし、それもやむをえない。」
岩の木は、木の枝をふたたびまた手のようにして玉を差し出した。あかるは手を伸ばしてその玉を受け取った。卵を孵そうとする親鳥のようにあかるは玉を胸に抱きしめた。美夜子もそんなあかるをそっと抱きしめた。
ヲロチはふたりの様子をしばらく黙って見ていたが、やがて自分の額をふたりの額にくっつけるようにぴったりと寄り添った。
三人の足元から、岩の木の根がいくつも伸びてきて、身体全体をを包み込んだ。
「見よ、死の国の人々よ。今まさに、奇跡の太陽が欠けていくぞ。」
空では暗い太陽が欠け始めた。
「日食が始まったか。根の国に生まれて、始めてみる景色だ。」
岩の木の枝がわさわさと揺れた。
「美しい。」
次には木の葉がざわざわと騒いだ。
「この死の大地の隅ずみに清らかな力が満ちてくるのがわかる。なんという大きな力だ。まさしく天を輝かす聖なる力だ。」
やがて根はスルスルともとの通り死の大地のなかに戻っていった。三人の姿ももとの通りになった。
あかるは静かに瞳を開いた。そして手の中の玉を眺める。玉はほの暗い世界のなかを、まさに真珠のように白く眩しく輝いていた。
しばらく三人は輝く大地の真珠を黙って眺めていた。するとヲロチが、その真珠をあかるの手のひらからさっと、自分の手に取った。
「ヲロチ?」
あかるがどうしたのかというふうにヲロチを見た。
「あんた、それ、早く根の国の神様に返しなさいよ。」
美夜子がいかにも嫌な予感がするといった顔でヲロチを見た。
次の瞬間、ヲロチはひょいっとその玉を自分の口のなかに入れ、ごくんと飲み込んだ。
「ヲロチ!」
「あんた、なんてことするの!」
驚いたあかると美夜子が、ヲロチに飛びかかった。
―ゴゴゴ
地面が揺れ始めた。
「今度は、何が起こったの?」
ふたりの体から急に光が発して半月鏡が飛び出し、それが空中で満月鏡になった。
「どうしたの?」
「鏡が勝手に、ひとつになったわ!」
鏡から天空に向かって白い光の帯が飛び出していった。その光はさらに空にひだをつくるように広がっていた。
「あれは何?」
「オーロラだわ!」
それは白いオーロラだった。オーロラは根の国の暗い空で、あかるたちが天降山で見た八頭八尾の巨大な大蛇の姿となった。
「あれは?」
「大地の真珠の力を得たヲロチが、自ら鏡の封印を解いて、復活したんだ!」
八頭の大蛇の赤い瞳が炎のようにさらに真っ赤になり、巨大な銀色の身体がくねくねと左右に動き始めた。
「だめだ!ヲロチ!」
大地が揺れ始める。
「地震?」
「これはただの地震ではないわ!」
と、美夜子が叫んだ。
ヲロチはその巨大な蛇の体を、上空に向かって旋回させながら、グルグルと暗い空を昇り始めた。
「月神の息子よ。」
地底から岩の木と同じしゃがれた大きな声が響いてきた。
「それをどこへもって行くつもりだ。」
「天上だ。この力を使って、今度こそ私が世界を支配する者になるのだ。」
大蛇となったヲロチの声もあたりに大きく響いた。
「それは根の国のものだ。私はそれを守らなければならない。どうしても持っていくというのなら、おまえを殺すしかない。」
―ドドドドドドド
地響きはさらに強くなり、大地から大きな手が出てきた。手に続いて、人間の頭のようなものが出てきた。そしてそれはついに岩でできた巨大な人間の姿、巨神となった。
「私たちも一緒について行こう!」
「ええ!」
ふたりは巨大な体に飛び乗り、岩がでこぼこした部分にしがみついた。巨神は身体を浮かせてヲロチを追いかけるように空中を飛び始めた。
巨神にしがみつきながら、美夜子は遠ざかる根の国の地上を見下ろした。美夜子をこの場所へ連れてきた子どものミイラの兵がふたりを見あげている。
「ヤタ。」
美夜子がつぶやいた。
「え?」
あかるが驚いて下を見る。
「気がつかなかったの?彼は、ヤタよ。」
「そうか、あの子どもは、ヤタだったのね。」
美夜子は心の中で語りかけた。
―一緒に来てくれないのね。
―お許しください。美夜子様。私はここで、今はただ眠りたいのです。あなたは、もう大丈夫。
美夜子はミイラの兵を見ながら涙を流した。
「さようなら、ヤタ。」
あかるが泣く美夜子に肩をぎゅと寄せた。ふたりは巨神につかまり、そのまま根の国の外に出た。
―ゴゴゴゴゴゴゴ