太陽の東と月の西
少女がひとり、教室の窓枠に両肘をのせて、そこから窓の外に広がる青空を眺めている。季節は初夏。空は、うららかな午後の青空だ。
彼女はその両目を大きく見開いている。まるで真っ青な空を今にも吸い込もうとしているかのようだ。そして何かを探し始めた。彼女は瞳を左右にゆっくり移動させた。実は彼女は、雲を探している。天気を観察しているところなのだ。
「本日も見事な快晴。でもこの様子だと、明日も雨は降らないな・・・。」
彼女はぽつりと、独り言をつぶやいた。ぼんやり空を眺める彼女の目の前に突然、ふわり、と一枚の紙飛行機が舞い降りた。
「わ!」
と驚いて、彼女は身を乗り出し窓の下を見た。
「あかるーっ!」
と階下にいた少女が、彼女にむかって大声で呼びかけた。あかる、と呼びかけられた少女が、紙飛行機を彼女に向かって飛ばした少女を発見する。
「美夜子!」
「あかるったら、何ぼんやりしているの!早く帰るわよ!」
「ごめん、美夜子!すぐ行く、ちょっと待ってて!」
あかるはあわてて教室を出て階段を駆け降りた。
「さっきもまた、空の観察をしていたの?」
美夜子と呼ばれた少女が、あかるに問いかけた。美夜子はあかるとクラスは違うが、彼女の幼馴染であり、なおかつ親友でもある。
「じゃあ、あかるの天気予報だと、明日の天気はどうかしら?」
「この空の様子だと、明日もまた晴れだね。」
と、あかるは即座に答えた。空が大好きな彼女の特技は、天気予報をすること。だから彼女の夢は、気象予報士になることである。あかるはそんな普通の中学生である。
「え〜、明日も天気なの。このままだと断水決定じゃない。」
あかるたちが住むこの町では、長いあいだ雨が降っておらず、町は渇水対策のために水道給水の断水を検討しているところだった。
「たしかに異常気象なんだ。過去にもこんなに雨が降らなかったデータは見当たらないし、このごろの地球はほーんと変だよ。」
「まあ、今月のプールの授業がなくなったのは助かったんだけれど。」
と美夜子が言った。
「そんなに男子に水着姿をのぞかれるのがいやなの?」
「あたりまえでしょ!あれがどんなに気持ち悪いか、あかるにはわからないのよ!ああん、もう、男子なんて大嫌い!」
美夜子は身体を守るように両手で前を隠すと、道の両側に並ぶ民家の塀に響くほど、大きな金きり声をあげた。
「やれやれモテすぎる人はたいへんだ。」
あかるが肩をすくめてみせた。
美夜子は学校でも一、二位を争う美人で有名だったが、同時になぜか男嫌いであった。
同学年で、幼なじみでもある二人は、同じセーラー服を着て並んで歩くと、ずいぶん対照的な二人だとわかる。
あかるは背がそれほど伸びてはおらず、制服さえ着ていなければ、いまだに小学生にみえなくもない。丸い顔に、短い髪の毛が似合っていて、どちらかといえば、男の子っぽくさっぱりした感じである。
一方、美夜子はモデルのようにすらりと背が高く、全体的に華奢で美しい顔立ちをしている。白い肌に長い黒髪が華麗さを際立たせている。それが彼女の見た目を同級生たちより大人びて見せているが、実の性格は、あかるよりもずいぶん子どもっぽい性格をしている。性格でいえば、あかるのほうがしっかりしているのである。
見た目も性格もまるきり正反対な二人は、けれども一番の仲良しで、単に幼なじみというだけでなく、普段から何かと気が合う仲だった。
あかるが天気に関する自分の知識を美夜子に話し続けている。
「天気予報をするには、その日の気圧や風速、風の向き、それから気温・湿度といった大気の状態のデータを、いつも収集しておかなければならないんだ。」
「……ふーん。あかるって、本当に天気オタクね。」
「別にオタクってわけじゃないよ。」
「それにしても、明日も雨が降らないのは確実なのね。」
「うん。私もずっと雲の様子を観察していたんだけど。」
二ヶ月近く続いている雨不足は、全国的な問題になりつつあった。特にこの町でより深刻な問題となっていた。この雨不足がただの一時的な雨不足でなく、実は世界の大きな危機であり、その危機を解決するために、自分たちが時空を超えて遠く旅をすることになろうとは、今の彼女にはもちろん知らされていない。
「あかるの気象予報士の試験勉強は最近どうなの?」
「そう、できればもっと勉強したいんだけどさ、うちのお母さんがテスト勉強しろ、来年は受験なんだからって、うるさくてさあ。」
「そうなんだ。私の場合、勉強はそこまで言われないけれど、ピアノや日舞の稽古に行かされたり、私もたいへんよ。でも私は羨ましいな、あかるが。」
「え?私のどこが?」
あかるには意外な美夜子の返事だった。
「はっきりした夢があって。私はまだ自分の夢とか、将来の目標がぜんぜん決まってないんだもの。」
「そうかな、美夜子のほうが頭が良くて美人で、みんなうらやましいと思っているはずだけど。あーあ、それにしても学校って、どうして好きなことだけ勉強できないんだろう?」
あかるが前を向いて、ため息をつく。
「だって私たち、まだ中学生なんだから仕方ないじゃない。」
そんな時、会話の途中で突然あることを思い出したように、美夜子が話題を変えてあかるに話しかけた。
「そういえば、うちの近所の天降神社が、今度雨乞いの儀式をするらしいよ。」
「へえ!雨乞い?何それ?」
あかるが興味津々といったふうに目を輝かせた。天降神社はこの町でも一番古いといわれている神社で、町を見下ろすようにある丸い山、天降山にあった。そして美夜子の家はその山の高台近くにあった。
「うちのお母さんたちが夕べ家で話していたの。あかる、そういうのも興味あったよね。」
「うん!教えてくれてありがとう、美夜子。家に帰ったら、私もさっそく調べてみるね。」
並んで歩く二人の影が夕陽に照らされて長く伸びていた。あかるがふいに立ち止まった。
「ねえ、子どもの頃から思っていたことなんだけど、夕方ってとても不思議な時間だと思わない?」
美夜子が、不思議なのはあかるのほうだといった顔で、首を傾げてあかるを見た。
「夕方の?何が?」
あかるはそんな美夜子の反応を気にせず、後ろを振り返った。そしてふっと目を細めて、山の向こうに残っている夕陽を見ている。
「毎日、同じように太陽が天降山の向こうに沈むことが。」
「何言ってるのよ。地球は自転しているんだから。あたりまえのことじゃない。」
あかるは両手を伸ばして、深呼吸する。背伸びしたぶんだけ、彼女の足元の影が伸びた。
「朝が来て、日が昇る。暗い夜の眠りにいたはずなのに、やがて日の眩しさで目が覚める。それが毎日必ず繰り返される。私にはそんなことが昔から不思議で仕方ないの。」
「ふーん。あかるってやっぱりヘンな奴。子どものときから思ってたけど。」
幼なじみの美夜子が、あかるをからかう感じで言った。
「そうかな。」
「そうよ!」
そして空の話をしている時のあかるの顔は、いつでも幸せそうな顔をしていると、うらやましい気持ちをもってそっと眺めた。
天降山のほうにある家に帰るために美夜子が毎日通学に使っているバスが止まるバス停に着いた。学校近くのバス停よりも、大通りにあるそのバス停のほうが、バスがたくさん止まるからだ。