太陽の東と月の西
ふたりのそばに腰掛けていたヲロチが、窓から見える場所にまで空を移動してきた月の光に照らされて自分の影を床に落とした。月はもうすぐ満月になろうとしていた。
「……父上。」
ヲロチは自分さえも気がつかないほど小さな声でつぶやいた。
百舌鳥の城へいよいよ乗り込む朝が来た。
村の屋敷では白鶴が宴の衣装の準備をしていた。そのあいだに、美夜子はぬばたまを探しに行った。ぬばたまを見つけると、
「ぬばたま、あなたにあげたいものがあるのよ。手を出して。」
と、美夜子は言った。それまでふたりはほとんど会話を交わしたことがなかった。
「どうしました?」
「これ、ぬばたまにあげる。今まで渡しそびれていたけど。」
美夜子が何か光るものが入ったずっしりとした袋をぬばたまの手のひらに載せた。
「何ですか?」
「眠れぬ森の小川で、私が集めた水晶よ。耳木菟の翁の翁とも今は離れて寂しいでしょ?」
「……これは、私のために集めたのですか?」
「ぬばたまは、こういうの好きだろうな、って思って。だって、たくさん持っているじゃない。」
美夜子はぬばたまが身に付けているダイヤのような宝石を指さして言った。ぬばたまは黙って袋のなかの水晶を見つめていた。
ぬばたまと美夜子が白鶴の家に戻ると白鹿も着ていた。
「百舌鳥の女王は美少年に目がない。宴にも村で選りすぐりの美少年を出すとすでに言ってある。男装して宴の席にもぐりこみ、百舌鳥の女王に直接会って訴えるとよいでしょう。」
と言った。
あかるは白鹿を見て、
「白鹿も確かに美少年だ!」
と嬉しそうに言った。そんなあかるを見て、
「あかるって意外に面食い?」
美夜子があかるに言った。ふたりは少年の舞人の衣装を着た。基本の衣装は、いつもの白い服がワンピースではなくズボンになっているだけだった。翡翠の長い玉で作られた首飾りをかけた。最後に額に朱色の太い鉢巻きを巻いた。
男装した美夜子を見て、
「……ヲロチそっくり。」
みてあかるが思わず絶句した。
「何でヲロチに行かせないの?百舌鳥の女王なら姿が見えるんじゃない?」
あまり好きではないヲロチに似ていると言われて、美夜子が不服そうに言った。
「私は顔が知られているからだ。」
と何故かそばにいたヲロチが言った。
「ヲロチ様はあなたがたの前世のお母上、天の大神様の弟の息子、つまりは甥にあたります。前世ではよく似たおふた方でもあったのです。生まれ変わった美夜子様にその姿が引き継がれているのでしょう。」
とヤタが言った。美夜子はヤタに会うのが何故か気恥ずかしかった。
「美夜子が日神子という人に似ているのなら、私は誰に似ているの?」
ヤタがあかるを眺めてから、頭を深々と垂れてつぶやいた。
「……あかる様は、天の大御神様のお姿にそっくりでございます。」
ふたりの変装が完全に終わると、
「待って、最後にこれも首かけたら?」
と言って、ぬばたまが何か光る首飾りを手に持ってきた。
「あんたからもらった水晶で作ったんだ。ちょうど四人分作れた。」
それは美夜子がぬばたまにあげたあの眠れる森の水晶で作った首飾りだった。
「あかると白鶴の分もあるのね!」
美夜子が嬉しそうにそれを受け取った。
「わあ!みんなでおそろいのネックレスだ。ありがとう、ぬばたま!」
「ありがとう、ぬばたま。」
あかると白鶴もそれを受け取ると喜んで自分の首にかけた。
美夜子がとても嬉しそうな顔をしているのを見て、そばに居たあかると白鶴も、同じように嬉しそうな表情をした。
「……。」
ぬばたまは返事をせずに、少し顔を赤くして、気まずそうにただ黙っていた。
村を出発する時間が来た。ヤタが城に入るまえに歩きながら全員に告げた。
「とにかく根の国の入り口にたどり着かなければなりません。入り口は、おそらく宮殿の奥にあるはずです。」
あかるはヤタと並んで歩きながら、気にかかっていることを告げた。
「城で万が一に戦いになれば、今度こそ百舌鳥の女王に仕える兵士を殺さなければならないかもしれない。でも私は誰かを斬ったり殺したりするのは嫌なんだ。なのに戦いになれば私は完全に夢中になって、他人の生死を忘れてしまう。」
あかるが苦しそうな表情で自分の胸のうちをヤタに話した。
「……あかる様。生きるということ自体が、戦うということなのです。前世のあなたも同じように苦しみながらずっと戦い続けていました。」
この時、あかるは聞きそびれていたことをヤタにたずねた。
「……ヤタ、前世の私はどうして死んだの?」
「……それは、あなたがどうしてもヲロチ様の命を絶つことができなかったからです。」
「どういうこと?」
「あなたは幼なじみでもあったヲロチ様を退治することができなかった。でもこれは天との約束であった。それに、あのヲロチ様を生きながら鏡に封じ込めるには大きな力が必要になりました。日神子様はヲロチ様を殺す代わりに、自分の命を懸けて鏡に封じる道を選んだのです。」
「それなら、どうしてひとりの魂がふたりの人間の魂に分かれることになったの?」
「死に望んで、日神子様が自分でそう選んだのです。」
ヤタは苦しそうな顔をした。
「前世のあなたは、ヲロチ様を本当の弟のように愛していた。だから神々の命を受けてもなお殺せなかった。魂をふたつに分けたら、ふたりのうちどちらかはヲロチ様を愛さずに神の命を受けることができると思ったのかもしれません。同じ魂に転生しなければ、愛さなくてすむと……。」
「……そう。話してくれてありがとう。」
あかるはヤタに礼を言った。美夜子が後ろでその話を黙って聞いていた。
だいぶ歩き続けて、ようやく丘の上に城が見えてきた。百舌鳥の城に到着した頃にはすっかり日が暮れていた。白鹿が門番に名を告げてから一行はなかに入った。
城門に入ると、宮殿の周りは大きな堀が巡らされ、さらに何重もの柵が張り巡らされていた。警備の兵に案内されて、あかるたちは宮殿の奥深くまで入っていった。
宮殿の壁は遠くからもすぐにわかるほど夜の暗闇なかで輝いていた。そこは様々な色のガラスがはめ込まれて造られた宮殿だった。
「まるでステンドグラスでできたお城ね。」
美夜子が宮殿の天井や壁を見上げて言った。
「この宮殿は、天の高原にあるすべての空の色をはめ込んだ宮殿なのです。」
宮殿には広場のような中庭があり、そこにかがり火が焚かれてヒノキの舞台が造られていた。舞台を造った樹は最近切り倒されたばかりだと思われ、ヒノキの良い香りがした。そしてその中庭からは満月がよく見えるようになっていた。
やがて宴が始まった。宴の席の中央に宝石で飾られた豪華な王座があり、仮面をかぶった女が座っていた。女王は白いドレスの上から淡いオレンジ色の羽毛でできたコートを羽織っていた。隣りには兎神の将軍、女王の弟であるイナバが立っていた。
「あれが百舌鳥の女王?」
「おそらく、そうでしょう。」
ヤタが小さな声でそっと答えた。
王座を中心に多くの大臣や将軍が、左右に分かれて並んでいた。
そして白鶴の村の楽団が、舞台のそでで演奏を始めた。このなかには、白鶴と白鹿の姉弟も混ざっていた。白鶴は笛を吹き始め、それに合わせて弟の白鹿が琴を弾いた。