太陽の東と月の西
両者がひと呼吸すると、まず白鹿が先に槍を白鶴に向かって繰り出した。槍の刃と刃が交わる鋭い音があたりに響いた。白鶴と白鹿による姉と弟の闘いが始まったのだ。
白鹿の繰り出す槍は雄雄しく勇壮だったが、白鶴の突き出す槍は舞うように華麗な槍さばきだった。
白鹿の槍を防ぎながら、
「ずいぶんと強くなりましたね、白鹿。」
と白鶴が嬉しそうに言った。二人の勝負はほぼ互角の闘いのように見えた。
それをあかるや美夜子は遠巻きに見ていたが、やがて美夜子は銀色の半月鏡を長弓に変えて手元に引き寄せた。
「白鶴の力が弱まっているわ。微かだけれど、わたしにはよくわかる。」
美夜子はそうつぶやくと、白鶴からもらった矢を弦につがえて、二人に向かって弓を引き、ふたりの槍が交わっている部分を狙ったまま静止していた。やや強い横風が吹いていたが、美夜子はそれに少しも動じる様子がなかった。
あかるは美夜子が弓を引いている動作に気づいたが、それを黙って見守ることにした。
しばらくふたりは槍を交えていたが、ふいに白鹿の手が滑り、白鹿の槍の刃が思いもよらず白鶴にあたりそうになった。
「あ!」
その瞬間、槍に向かって一本の弓矢が飛んできた。
それは美夜子の放った弓矢だった。美夜子は無意識のうちに矢を放っていたのだった。
気がつくと白鹿の槍は、はるか後ろの家の壁に突き刺さっていた。美夜子の放った弓矢も、その場所から遠い後方の木の幹に深く突き刺さっていた。
白鹿が放心したように自分の手を見た。
「鹿神である私の槍を弓一本で弾き飛ばすとは……。そんなことを普通の人間ができるはずがない。」
白鶴と白鹿の槍は、普通の人間では操ることもできない特別な力が宿った槍であった。
「あの人はただの弓使いではありません。あれこそ、私がおまえに話したことがある伝説の天の大御神様の娘です。」
白鶴が白鹿にさとすように言った。
「姉上が昔、私にお話くださった太陽の娘ですか?」
「そうだ。二千年前、月神の息子であったヲロチが、この世の支配者が太陽神であることに我慢がならず、父である月神の夜の世界を支配する満月鏡を盗み出し、太陽神に戦いを挑んだ。これを阻止するため太陽神は自分の娘に剣と弓を授けた。転地をふたつに分けた戦いの末に、娘が勝った。」
白鶴があかると美夜子のほうを振り返った。
「あの娘が持っているあの弓は、月弦の長弓。あれは太陽の娘にしか操ることのできない神器。あのふたりの娘こそ、天空を支配する太陽神の娘に間違いない。」
白鹿は姉の話に納得したようだった。連れてきた兵士たちをみな村のなかで待機させ休ませた。
日が暮れると、白鶴が白鹿を連れてあかるたちの住む家に相談に来た。
「明日の夜、百舌鳥の女王の城で満月を祝う宴が執り行われます。この村の舞人が舞を舞うために、もともと城へ登城する予定でした。」
その場にはヤタとぬばたまも居合わせて、白鶴の考えた策を聞いていた。
「根の国の入り口に近づくために、おふたりが村の舞人に変装して、白鹿とともに城へ侵入するのがよい策だと思います。」
ヤタもこの策に賛成し、明日の朝、百舌鳥の女王の城へ出かけることが決定した。
村で過ごす最後の晩、美夜子は毎晩のように通いつめた石舞台の上で弓を眺めていた。そこへヲロチが先日のように美夜子のところへやってきた。ヲロチは美夜子のそばに来て、しばらく美夜子の手にある弓をその赤い瞳で眺めていた。
「この弓は、私の父のものだった。」
「そうなの?」それは美夜子が初めて知ることだった。
「私を討伐させるために、父が前世のおまえたちに与えたものだ。そうでなければ、私のものになるはずだった弓だ。」
「そんなにほしいなら、その弓をあなたにあげるわ。」
「鏡に封印されている私ではその弓を操ることができない。その弓は今ではおまえの弓なのだ。」
「私にこの弓を操って戦うことはとてもじゃないけど無理だわ。」
美夜子が首を横に振って言った。
「まだ戦いが怖いか。」
「怖いわ。誰かを殺めるなんて私にはできない。私はあかると違うのよ。」
「前世のおまえは、誰よりも戦いを愛し、同時に誰よりも戦いを憎んだ女だった。」
いつもと違うヲロチの表情に、美夜子は思わず警戒心を解いた。
「あなたと日神子はいとこ同士で幼なじみだったのよね。まるで、私とあかるみたいね。」
「戦が恐ろしいのなら、恐ろしいままでよいのだ。恐れを知らないあの娘と違う強さを、おまえは持っている。」
「ヲロチ、あなた……。」
美夜子は自分の顔によく似たヲロチの顔を見た。それから何も言わずヲロチは去って行った。
銀色の髪の毛をなびかせて村の家々のあいだに消えて行ったヲロチの後姿を見送ったあと、美夜子はなぜだか急にヤタと話がしたくなった。
暗闇のなかでも、ヤタが変身したカラスがどこにいるのか、美夜子にはすぐわかった。
ヤタはカラスの姿のままで村はずれの木の枝にとまり、いつものように星を眺めていた。その木の下に美夜子は歩いて来た。
「今夜も星を見ているのね。」
「これが私の仕事のひとつだからです。美夜子様。」
「すこしヤタと話がしたくなったの。」
美夜子が言うと、ヤタは青白い顔の人間の姿に戻った。
「ヤタはもしかして、以前はカラスではなく人間だったの?」
「そうです。もとはカラスではありません。本当は二千年前に死んだ人間なのです。ただどうしても死ぬことができずに、眠れる森の耳木菟の翁から霊鳥になる力を授けてもらい、こうして生き恥をさらし続けているのです。」
「なんとなくそんな気がしてたの。ヤタの死にきれない理由って何?」
美夜子がヤタに尋ねた。
ヤタは美夜子の顔をしばらく眺めて、
「私はあなたたちがこの世に生まれ変わることを待っていた。」
と、言った。
それからしばらくふたりは黙って夜風に吹かれていた。空にはふるえるように星が瞬いている。遠くに村の家の明かりがちらちらと見える。
美夜子が口を開いた。
「……ヤタは私とあかると、どっちが好き?」
「……あなたは私の主です。あかるさんも、私の主です。どちらも何ものにも換えがたく思っています。私は二千年前に日神子様の従者だった。もう一度だけ日神子様にお会いするためだけに、この二千年間不自然な命を生きてきたのです。」
美夜子はヤタのすぐそばまで近づくと、背伸びをして、
「……私は、ヤタが好きよ。」
と耳もとでささやいた。そしてヤタのくちびるの端にそっとキスをした。それから身体をひるがえすとあかるが眠る家の方へと去って行った。
美夜子が去った後も、ヤタはしばらくその場に立ち尽くしていた。
その様子を、カラスの姿に戻ったぬばたまが、遠くの木の枝にとまったまま見ていた。
小屋に戻ると、美夜子はすでに眠っているあかるの横へ来た。眠るあかるの隣で、何故か今夜はヲロチが目を閉じたまま座っていた。美夜子が座るとヲロチは片目だけ開いて、美夜子をちらりと見たが、すぐに目を閉じてもとの通り何も言わずに座っていた。美夜子はあかるのふとんにもぐりこんで横になった。あかるはぐっすりと眠っていた。だがその晩、美夜子はなかなか眠りにつけなかった。しかし夜が更けて、やがて眠りについた。