太陽の東と月の西
「この村の者でさえ、こんなに早く弓の舞を踊れるようになった者はおりません。それもこんなに素晴らしく優雅に舞えるものはなかなかいないはずです。」
白鶴は美夜子の上達の早さに感心し驚いていた。
美夜子は弓の舞に熱中しているようだった。毎日、日が暮れるまで石舞台の上で弓の舞を舞い続けた。
白鶴の村では、部屋がいくつもある大きな家に滞在することになったので、あかると美夜子も別々の部屋で寝起きすることになった。家は床が高く造られていて、入り口と地面ははしごで昇り降りするのだった。
眠れる森で星を見続ける修行をした美夜子は、夜もだいぶ目が利くようになっていた。美夜子は夕食がすむと、すぐに家を抜け出し夜もまた石舞台の上に登って弓の舞を舞い続けた。それは毎晩遅い時間まで続いていた。
美夜子は毎日弓の舞を舞いながらも、これまで自分が皆の足手まといになっていたことを気にし続けていた。
大好きな舞を舞っているときだけは、そんな重い気分から開放される気がした。
夜もずいぶん更けたので、舞をやめた美夜子は、石舞台のうえで月弦の長弓を眺めた。弓はいつ見てもまるで月のように銀色に輝いている。美夜子はまえからその弓を美しいと思っていたが、弓を持って舞い続けているうちに、さらに弓に愛着を感じるようになっていた。
弓の引き方はフクロウの翁からひととおり習った。しかし、実戦では一度も弓を引いたことがない。
―怖いのだ。
美夜子を弓を胸に当て、半月鏡に戻した。それから美夜子は鏡に自分の姿を写して見た。見覚えのある自分の顔だ。
―私はいつも誰の役にも立たない。
美夜子は胸の思いを鏡にだけ吐露した。しばらく自分の顔を眺め、鏡を下ろした。だが自分の顔がまだ目の前にあった。
「あ!」
と驚いたが、すぐにそれが自分の顔ではない事に気がついた。髪の毛が銀色だったのだ。
「……ヲロチ。」
ヲロチは石舞台の上に美夜子に向かい合って立っていた。
「……何か用?」
「いや、何も。」
ヲロチはうっすらと笑うと、体をひるがえして去っていった。
―あいつは、全部わかっているんだわ。
美夜子は立ち尽くしたまま、くちびるを噛んだ。
「美夜子様。」
気がつくとヤタが石舞台の下で美夜子を待っていた。
「今夜はもうお休みになられてください。」
美夜子は舞台から降りて、ヤタと並んで家に向かって歩き始めた。
「ヤタ。毎晩遅くまで、私を見守ってくれてありがとう。」
「美夜子様の邪魔にならないよう、カラスの姿に変身していたのですが、気づいておられましたか。」
「この世界に来てから、すごく目がよくなったの。」
南の方角から優しい風が吹いている。村のなかには良い香りがする樹がところどころに植えられていた。風が吹くたびに、どこからともなくその匂いが美夜子のもとまで漂ってきた。
「……私はあかるという太陽の影にしか過ぎないかもしれない。」
美夜子は先ほど石舞台のうえでヲロチに見透かされた心のうちをヤタに打ち明けた。
「わたしは小さい頃から、よくいじめられる子だった。でもその度にいつもあかるが助けてくれたわ。あかるは子どもの頃から、あんなまっすぐな性格の子だった。」
ヤタは美夜子の歩調に合わせてゆっくりと歩きながら、彼女の話をじっと耳をすまして聞いていた。
「私は違うの。自分以外の人間を、誰も好きになったことがない。あかるのことだって、そうよ。私は自分を守るために強いあかるを利用してきたの。だから今でも私にはあかる以外の友達がいないわ。」
言い終わると美夜子は首を大きくそらせて夜空を見た。この村の空には月が出ていた。月は生まれたばかりの三日月だった。
そのとき、夜の暗闇に乗じて村からひそかに走り去る村人がいたが、そのことに気づいた者は誰もいなかった。
次の日の朝、白鶴が家に来た。
「これは私の羽根を矢羽根にして作った矢と、矢入れです。」
白鶴は十数本の矢と竹で編んだ丈夫そうな矢入れを持ってきた。
「実は今朝、百舌鳥の女王に将軍として仕えている私の弟が、あなたたちを捕らえて差し出すよう使いを送ってきました。」
「私たちがここにいることがばれたのね。」
「あなた方がただの人間ではないことに、私は最初から気づいていました。あなたがたは、とても位の高い神ですね。」
白鶴は矢と矢入れを美夜子に差し出した。
「万が一の場合、美夜子様がこの弓矢でご自分を守れますようにと、祈りながら作ったものです。」
「ありがとう、白鶴。」
美夜子が白鶴に礼を言った。
「私たちは大丈夫!」
あかるもこっくりとうなずいて言った。
カラスに変身して周りを偵察していたぬばたまが、騎馬兵の一群を発見した。ぬばたまはいそいで小屋に入ってきて、ヤタにそれを報告した。
「ヤタ様、兵の一群がこちらへ向かっています。」
「我らがここにいることが、どうやら奴らにばれてしまったらしいな。」
一緒に報告を聞いていた白鶴が、
「私が外へ出て、どうにか彼らを説得してみます。」
とヤタに言ってから立ち上がった。門に向かって歩き出した白鶴のあとをヤタとぬばたまがついて行った。
兵士の一群はすでに村にやってきて、村の柵の周りをぐるりと取り囲んでいた。村人の多くも家から外に出てきていて、村の外を不安そうに見ていた。
「姉上!これはいったい、どういうことですか?」
見ると、白鶴に顔がそっくりの若者が、騎馬兵を引き連れて先頭に立っていた。若者はイナバと同じように派手な鎧を着ていた。そして一本の長槍を持っていた。
「あれは、私の弟の白鹿です。」
村の門の前に出た白鶴が、自分の弟の姿を認めた。
「どうやら村はすでに取り囲まれているようだな。」
と、ヤタが言った。
「白鹿!そんなにたくさんの兵を連れて、いったい何のようですか。」
白鶴が自分の弟だと言った将軍の名を呼んだ。
「何故、そやつらをこの村にかくまっているのですか?」
「ここにおられる方は、天の大御神様の使いのものです。無礼なのはおまえのほうだ。百舌鳥の女王にすでに報告したのですか。」
「その者たちがこの村にかくまわれている事は、まだ百舌鳥の女王には伝えていません。一刻も早くそいつらを私に引き渡してください。そうしなければ村は大変なことになってしまいます。姉上は、その者たちに騙されているのです!」
白鹿と呼ばれた若者が大声で言った。
「愚かなのは、お前のほうだ。どうしても引き渡せというのなら、まず私と勝負して、私を殺してからにしなさい。」
白鶴はそばにいた村人から一本の長槍を受け取ると、その刃先を白鹿に向けた。
おもての騒ぎに気がついたあかると美夜子が、ヤタのそばまでやって来た。美夜子は背中に白鶴から贈られた矢入れを背負っている。
あかるがこの様子を見て顔をしかめた。
「どうしよう、ヤタ。私が出て行けば、彼らを簡単にやっつけられるだろうけど、白鶴の弟や兵士たちを傷つけたくない。」
「しばらくは白鶴を信じて、見守りましょう。」
と、ヤタがあかるを見て言った。
「お退きください、姉上。私は本気です。」
白鶴が槍を向けると、白鹿もそれを阻むために自分の槍を向けた。
「お前と槍を交えるのは、子どものとき以来ですね。」