太陽の東と月の西
そして遠くから、なにやら地響きが聞こえてきた。たくさんの動物が群れて移動するときのような音だ。
「何かこちらに向かっている。」
「また虫の大群かしら?」
「今度はもっと大きな生き物のようだぞ。」
少し離れた後ろからついてくるヲロチが、いかにも自分とは関係ないといった風に言った。
「私が見てきます。」
ぬばたまは飛び上がり、カラスの姿に変身してから、音のする方向へ飛んで行った。しばらくして戻ってきた。
「ヤタ様、あれは猪の大群です!」
「いのしし?」
「ちょっと、猪なんて実際にみるのも初めてなんだけれど!」
美夜子がおびえた顔になった。
平原の向こうからやってきたのは、確かに猪の大群だった。砂埃をあげた茶色の猪の大群は、あっという間にあかるたちのところまでやってきた。
猪の先頭には、他の猪より一回りも大きな白い猪がいた。
「お前たちがこの世界を荒らすためにやってきた異界のものだな!」
白い大きな猪はあかるたちに向かって叫んだ。
「私たちは別にこの世界を荒らすためにやってきたわけじゃない。どうか、私たちの話をきいて!」
あかるが白い猪に向かって大声で言った。しかしあかるの声は猪たちの荒い鼻息で本人たちにはとても聴こえてなさそうだった。
「ちょっと、あんたたち!猪ごときに、私たちがやられるわけないじゃない!」
こういう状況になっても何故か強気に言い放つ美夜子に、
「……あまり刺激しないでね。」
また余計なことを、という顔であかるが言った。
「ふん!猪だからといって、我らを馬鹿にするとは、失礼なやつらだ!いいか全員、奴らにつっこめ!」
白い猪の命令で猪の大群があかるたちめがけて一斉に突進してきた。突進して来る猪の群れの中で、全員がばらばらに引き離されてしまった。
美夜子は空中に逃れたぬばたまの背中にしがみついたまま、
「きゃー!どうにかしてよ!あかる!ヤタ!」
と、大声で叫んだ。
「……おい、お前も下に降りろ。」
「え?」
「お前はいつまであの娘やヤハタ様におんぶに抱っこし続けるつもりなのだ!」
「何ですって?」
次の瞬間、ぬばたまは美夜子を地面に振り落とした。
「いった〜。ちょっと、いきなり何するの!。」
美夜子は腰をさすりながら怒鳴った。だがすぐに自分の危険な状況に気がついた。猪の大群のなかに置き去りにされたのだ。
あかるの剣の上達振りは、虫の大群と戦ったときと比べようもないほどだった。ヤタから学んだ風を起こす方法で、向かって来る猪を次々に飛ばしてした。
「あかる様。このまま小競り合いを繰り返しては、いつまでも埒が明きません。刃向かう者は、どんどん斬り捨ててください。」
「私はできれば猪たちを切りたくない。こんなに大きな動物を殺すのは嫌よ!」
あかるはヤタに叫んだ。
「ならば、地面を割ったてそのなかに落とすといいでしょう。穴が深くなければ死なないはずです。」
「そうか!」
あかるが金環食の剣を地面に突き刺す。すると地面に大きな亀裂が走り、亀裂の先が長く何十メートル先まで伸びていった。突然地面につくられた大きな陥没に、猪の大群は次々と落ちていった。
「馬鹿どもめ!むやみやたらに突進しても無駄だ!止まれ!止まれ!」
前線で指揮をとっていた大きな白い猪が、突進を停止させる命令を出したようだった。猪の群れが、だんだんとその場に止まり始めた。
すると今度は上空からまた別の声が聞こえてきた。
「ほお、異世界から来たこの客人たちは、けっこうやるというわけだ。」
そこには頭にうさぎみみが付いた、可愛らしい男の子の兵士がいた。あかるの世界でいえば、完全に小学生である。これまで見てきた、どの兵士よりもずっと飾りの多い派手な鎧をまとっていた。首の周りに、白うさぎの毛のようにふわふわした白い毛皮を巻いている。
「あなたは誰?」
あかるがたずねた。
「先に名乗らない失礼な貴様らに、私の名を名乗ってやろう。私は百舌鳥の弟、白兎のイナバである。」
「いなば?」
「なんだ、こどもじゃない。」
あかるのおかげで猪とのあいだが大きな溝で区切られ、ようやく安全になった美夜子が言った。
「な、なんだと!失礼な!私は兎神であるぞ!」
イナバと名乗った兎神の将軍が言った。
やがて猪が退却し始め、そのあとにたくさんの騎馬兵がやってきた。あかるたち一行は今度は騎馬兵の大群に取り囲まれた。
「彼らが百舌鳥の国の兵の主力部隊です。」
ヤタが言った。
イナバが腰に吊るしていた鞘から剣を抜く。イナバが動き出す前にすぐさまヤタが攻撃を仕掛けた。だがヤタの突風さえ起こせる剣も、イナバにあっけなくはじき返されてしまった。
「ヤタ!」
気がつくとヲロチがあかるのそばまでやって来ていて、
「さっそくこれまでの修行の成果を試すときが来たな。」
と、言った。
あかるはうなずくとイナバにはじき返されたヤタの前に走って出た。
「ヤタ!下がって。私が相手をしてみるわ。」
「命知らずめ。しかし、神である私がこんな小娘の相手をするとは!」
それを聞いた美夜子が、
「あんた!あかるを甘くみると、痛い目にあうわよ!うさぎ耳のくせに!」
と、またイナバにくってかかって文句を言った。
「なんだと!誰か生意気なあの娘を捕らえろ!」
イナバが離れたところにひとりいた美夜子を指さすと、騎兵がすぐに周りに集まり、あっという間に美夜子を囲んだ。騎兵が周りを完全に囲むと、先ほどの白い猪が、ぼあんと煙を出して白い鎧を着た人間の兵士の姿に変わった。そして大きな網を美夜子の頭からかけて彼女を捕まえた。
「きゃー!」
「美夜子!」
「やれやれ、相変わらず困ったお姫様だ。」
ヲロチのほうは、完全に見物を楽しんでいるようだった。
「美夜子を助けなきゃ!」
あかるが飛び上がってイナバに切りかかった。しかし空中を自由に移動できるイナバはすぐにあかるの剣を交わした。交わされざまに水平に払ったあかるの剣を、イナバの剣は軽々と跳ね返した。強い力で身体ごと弾き返されたあかるは、そのまま地面に叩きつけられた。
「あかる!」
転がるように起き上がったあかるは、すぐにヲロチを探した。強い光を放つあかるの瞳の中に、ヲロチの姿が映る。ヲロチもあかるの様子が普段と違うことに気がついた。
「……私を神がかりさせれば、おまえもあの兎神のように自由に空を飛べることができるぞ。」
あかるの心を読んだヲロチが言った。
「ヲロチ、あなたの力を借りたいの。」
あかるはヲロチの赤い瞳をまっすぐに見て言った。
「……これは、私にとってもまたとないチャンスだな。」
「どうすればいい?」
「簡単なことだ。おまえのその剣の刃に自分の姿を映して、私の名を呼ぶのだ。名が持つ言霊の力で、おまえの身体に私を招き入れるのだ。」
あかるが剣の刃に自分の姿を映して、
「ヲロチ!」
と、大声でヲロチの名前を呼んだ。
「そうではない、声だけでなく心の底から呼ぶのだ。おまえの魂の一番奥に私の真の名前が眠っているはずだ。」
ヲロチの言葉を聞いて、あかるは目を閉じた。
―気を感じる。身体は遠くに居るはずだけど、とても強い気が私のそばにいる。
これがヲロチの気だ、とあかるは思った。そして、それは何故だかとても懐かしさを感じる気だった。
―ヲロチ。