太陽の東と月の西
「この大蛇の化け物と同じ力を持っているですって?たとえそうだとしても、私は嫌よ!」
美夜子が大声を出して、反対の意見をきっぱり表明する。
「だいいち、私は虫以上に蛇がだいっきらいなの!」
美夜子はその場でくるりと背を向けた。
耳木菟の翁が美也子をなだめるように、美也子の肩に飛んでいって留った。
「前世のあなたたちは天の神々の中でも一、二を争うほどの剣と弓の使い手でした。ふたりの強さは、おふたりがまだ子どもだった頃よりこの天空の国の隅々にまで知れ渡っていたものです。」
あかるは耳木菟の言葉を聞き終えると、座るヲロチのもとへひとり近づいていった。
「ヲロチ、私に戦い方を教えてほしいの。」
ヲロチがつむっていた目を開き、あかるを黙って見あげた。
「いいだろう。ただし、中途半端な剣の相手など、私は決してしない。」
「望むところだ!とにかく、私はもっと強くなりたい。」
そう言って、あかるはヲロチの赤い眼をまっすぐに見た。
こうして今度はヲロチがあかるの剣の修行の相手となった。
ヲロチは自分の翡翠の首飾りから勾玉を一つ取り出すと、それを額にあてた。するとそれは銀色に輝き、柄と鞘の部分が翡翠で飾られた剣になった。あかるの剣感触の剣より長めの剣である。この剣がヲロチの剣らしい。
あかるはそれまでの修行の成果をぞんぶんに発揮した。
あかるが剣をヲロチに振り下ろす。普通の人間には目にも見えないその剣を、ヲロチはいとも簡単に受け止め、剣を払い突き返した。
ふたりの剣が打ち合うたびに大きな音が森の木々に反響して森全体が震えるようだった。
それから毎日剣の修行に明け暮れるふたりの姿を、カラスの姿に戻ったヤタとぬばたまが、離れた場所にある木の枝に止まって見守っていた。
「あんな烈しい剣の手合わせをを、これまで一度も見たことがありません。」
「あれこそ二千年前に天空の高原の半分を焼野原に変えた闘いの再現だ。二千年前は太陽の弓と月の剣を一度に操る日神子様がヲロチ様を上回ったが、今はその力が二手に分けられている分、一対一で戦えば、ヲロチ様のほうが力は上かもしれない。」
剣の相手をしてもらっているうちにあかるはヲロチにより親しみを感じるようになっていた。あかるはヲロチが最初あかるたちを食べようとしたことに対して、美夜子のような怒りを何故だか感じていなかった。あかるは剣の手合わせのあいだに時間をみつけて、ヲロチに前から気になっていたことをたずねた。
「聞きたいことが、ひとつだけあるんだ。」
ヲロチがあかるを見た。
「ヲロチは町の図書館で会った時から、私を騙すつもりだったの?」
「騙すも何も、おまえを負かすことは二千年来の私の悲願だった。とにかく今はその鏡のせいであの山のなかに閉じ込められているのだから、おまえの力を取りこみ力を回復させて、鏡の外に出るしかない。ただそれだけのことだ。」
そう言い終えると、ヲロチはいつも座っている大きな木の下に去っていった。あかるはその後ろ姿を、ただ黙って見送るだけだった。
美夜子は、あかるが毎日ヲロチを相手に剣の修行に明け暮れていることに、腹を立てていた。
「あかるったら、まったく何を考えているのかしら!ヲロチに剣を習うだなんて、どうかしてるわ!」
あかるの修行が終わる時間が来ると、美夜子はあかるを探し始めた。美夜子は子どもの頃から、家の外にいるときは、あかるがそばにいないと何か落ち着かないのだった。
あかるは小高いところにある、大きく平たい石の上に足を組んで座っていた。
あかるの横顔を美夜子は遠くから眺めた。一日中ほとんどの時間を、星を眺めて過ごようになってから、美夜子は以前よりはるかに視力がよくなってきた。暗闇の下に座るあかるの姿形や横顔が、あかるが美夜子に気がつかないくらい遠い場所からも、はっきりと見えた。
―あかるって、あんな顔してたっけ?
それは見たこともないような冷たい横顔だった。美夜子は、あかるが急に知らないひとになってしまったような気がした。
「あかる。」
「美夜子。」
あかるが美夜子に気がついた。あかるの隣りに美夜子が腰掛けた。
「見て、美夜子。」
あかるが両手の手のひらを美夜子に広げて見せた。
「何?」
見るとあかるの手のひらは両方とも真っ赤に腫れていた。
「どうしたの?」
美夜子が驚いて手の甲を持ってあかるの手のひらを見た。
「ヲロチを剣の相手に手合わせしていると、こうなったんだ。剣を返されるたび柄に強い力がじんじん来るんだ。ヤタやぬばたまでさえこんなに腫れるまでなったことなんかなかったのに。」
「痛いなら、やめたらいいのに。」
「ううん。楽しい。もっと強くなりたいって思うんだ。だんだん自分の感覚が研ぎ澄まされるのがわかる。でも心は反対に静まり返っていく。それがとても楽しいんだ。」
本当にうれしそうな顔で話すあかるの顔を、美夜子は複雑な表情でじっと見つめていた。
「・・・あかるは、もしかして、ヲロチのことが好きなの?」
「へ?」
美夜子の言葉にあかるは驚いた。それからふっと笑って、
「そんなんじゃないよ。ただヲロチよりも強くなりたいだけ。」
と、言った。美夜子は座っている岩の下を流れている小川をただ黙って見ていた。
そのとき、美夜子は小川でキラリと光る何かを見つけた。
「見て、あかる!小川のなかで何か光っているわ。」
「え?そうかな。水面が光って見えただけじゃない?」
「違うわ。ちょっと見に行く。」
「うわ、美夜子!転んだら危ないよ!」
美夜子はあかるが止めるのも聞かずにざぶざぶ川のなかに入っていった。
「やっぱりあった!ほら。」
美夜子のつまんだ指のあいだに、小さな透明の石のかけらが輝いていた。
「水晶だ!でもよくあんな遠くからこれが見えたね。」
「私、最近自分でも信じられないくらい眼がよくなったの。」
「キラキラしてる!」
「ほら、あそこにまだ落ちてる。」
美夜子は川のなかに膝まで入り、ふたたび水晶を集め始めた。
「やれやれ、美夜子は何かに集中しだしたら、止まらないんだから。でも、あまり濡れちゃ、だめだよ。風邪ひくよ!」
さっきまで、気まずい雰囲気になりかけていたふたりだが、今は子どものような美夜子の姿をあかるは面白そうに見ていた。
次の日も、あかるたちは夜の森の中で剣の手合わせを続けた。あかるの剣のレベルははたから見るとヲロチとほぼ互角に見えるようにまでなった。けれどもその姿を見て、美夜子は相変わらず心穏やかではなかった。
何日かが過ぎたあと、
「あかるの修行はもうそろそろいいんじゃない?」
と美夜子がヤタに言った。
「本当に根の国へ行くとなると大きな力が必要です。本来根の国は死者の住むべき国なのです。それを敗れるのは、ただ、神さえも超えることができるほど、強い力を持ったものだけです。」
耳木菟の翁がさらに、
「確かに強くなられたが、まだまだ本来の力には達していません。今のペースなら、あと、まだ三回は転生を繰り返し、何千年と修行を積む必要がある。」
と言った。
「なんですって?あと三回?」
「三回も生まれ変わるのを待ってたら、それこそ世界が滅んでしまうよ。」