雪と真珠
ある日、日のあたらない一角の外れ。
日の当たる場所との境目の辺りまで食べ物が落ちていないか探しに狼は出かけました。
狼は他の狼がするように生きるウサギや鳥を捕まえて食べるということができませんでした。
それは恐ろしいことのように感じ、汚らわしいとさえ感じました。
しかし狼は生きるために肉が必要だということは分かっていました。
森の中には沢山の生き物が生きて死にます。彼らの中には自分の死体を見せたくないとこの日のあたらない一角にやってくるのです。
狼はそんな彼らの死骸を食べます。
それはおいしくはありません。しかし、彼らが自分と同じ仲間に捕らえられることなく生き延びることができたのだと喜びました。
だから狼はいつも「おめでとう」という気持ちと「いただきます」という気持ちを忘れません。
いつだってこの狼は他の狼とは違うのでした。
さて、そんな狼は偶然日のあたらない一角で日向になっている部分を発見しました。
狼は驚きました。
その日向ではありません。日のあたらないといってもこの一角にも時間帯によって日向が出来る場所はあるのです。
狼は何に驚いたのか、それは……一羽のウサギが背を丸めて震えていたのです。
ウサギは丸くふわふわと触れば気持ちがよさそうです。
そしてどう見ても若い元気なウサギでした。
狼はどうすればいいのか、どうしたらよいのか分かりません。
しかし見捨てれば他の普通の狼に食べられてしまうかもしれません。
悩みに悩んだ挙句声をかけることにしました。
「そこの君、どうしたんだい?」
久しぶりに出した声は少し枯れて小さい声でしたができるだけ優しく聞きました。
ウサギは顔を上げるとどこから声がしたのか首をまわして捜します。
「誰、誰かいるの?」
小さくかわいらしい声でウサギは言いました。
狼はウサギに姿が見えないようにその姿をいつも以上に闇に溶け込ませていました。
狼は再び「どうしたんだい」と聞きました。
するとウサギはピンと立てた長い耳を狼のほうに向けます。
「そこにいるの?」
「そうだよ」
狼は素直に返事をします。
「私……わからなくて」
「帰り道かい?」
この一角には迷い込む動物も多いのです。
しかしこの一角はそんなに広くはありません。大抵来た道は分からずとも抜けられるのです。
なので狼は少し不思議に思いました。
「そう、帰り道も分からない。でも、自分がなんなのかも分からないの……」
ウサギは小さく綺麗な赤い目を伏せました。
狼は困りました。更にどうすればよいか分からなくなったからです。
狼は返す言葉が見つからず頭の中で色々と思案をめぐらせているとウサギが声をかけてきました。
「闇の中にいる貴方は私がなんなのかわかりますか?」
ウサギが闇の中に視線を向けました。狼はその視線が自分のものと合ってびっくりします。
もしかしたら自分の姿はウサギから見えているのかもしれない、そう考えると嫌な気分になります。
しかし狼は気づきました。自分の姿がもし見えているとしたなら目の前のウサギは落ち着いているのはおかしいのです。
冷静になって狼は返事をします。
「えぇ、知っているよ」
「本当?」
「本当さ」
そう返した狼は自分の頭の片隅に悪い考えがちらちらとしているのに気が付きました。
しかし今なら……と思うと振り切ることはできませんでした。なので、せめて一瞬の忘れられてしまう嘘ならかまわないだろうかと試してみることにしました。
「私は一体何なの?」
ウサギはまっすぐな瞳で聞いてきます。
「君は僕の友達さ!」
狼はすぐに「ごめん。冗談さ、君はただのウサギだよ」と付け加えるつもりでした。
するとウサギは間髪入れずに嬉しそうな声で「友達なのね、よかったわ」と言うと安心したのでした。
狼は更に困りました。あまり他の仲間と会話をしないので冗談を言っていい時と言ってはならないときの判断が甘すぎたと自分を責めました。
「どうか私のお友達の貴方の姿を見せてくださいな」
何か思い出すことができるかもしれないとウサギはこちらに声をかけてきます。
仕方ないので狼は何とかして姿を見せない理由をでっち上げて言うのでした。
「僕の姿は君が何かを忘れてしまう前にも見せたことは無いんだよ」
「そうなのですか? では見ても何も思い出すことはできませんね……」
ウサギは少し項垂れました。
しかしウサギはもう一度顔を上げました。
「今なら貴方がとても怖い何かだとしても今の自分にとってそれが怖いものか分からないの、だから姿を見せてくださいな」
狼は確かにと思いました。
今、目の前のウサギは自分がウサギであることが分かっていないのです。もしかしたら自分の姿――狼の姿を見せても気にしないかもしれません。
「わかった、でも一つだけお願いがあるんだ」
「何?」
「僕の姿を見て自分が何か思い出しても怖がらないで欲しいんだ」
「分かったわ」
「本当に?」
「約束する」
ちょっと待ってくれるかいと言って狼は両手で顔を擦り綺麗にします。
そして気持ちの整理をして一息吐くと「じゃ、いくよ」と声をかけて一歩踏み出します。
狼はひさしぶりに浴びる日光の暖かさを感じました。
ウサギは日向に出てきた狼を見上げました。
「こんにちは」
狼はじっと見つめてくるウサギの視線に恥ずかしくなりながらも挨拶をしました。
「こんにちは」
ウサギは怯える事無く返事をしました。そして「私には貴方みたいな綺麗な黒い毛並みのお友達がいたのね」と嬉しそうにするのです。
狼はとても嬉しくなりました。でもちょっと申し訳ない気持ちもありました。
「何か思い出したかい?」
「あ……ごめんなさい。何も……」
ウサギは申し訳なさそうに言います。
「いいんだよ、ゆっくりこの場所から出て思い出せばいいじゃないか」
狼も申し訳ない気持ちが膨らんで生きます。
なのでせめてこの一角を抜けるまでは他の狼から守りつつ案内しようと思いました。
しかし、ウサギは狼を驚かせるようなことを言うのです。
「私、家への帰り道が分からないの。思い出せるまで良ければ泊めていただける?」
狼は内心焦りました。
狼はここよりももっと奥のどんな時間になっても日向ができない場所に暮らしているからです。
「僕の家はここら辺よりもっと暗い場所にあるんだよ」
「別にかまわないわ、貴方が案内してくださるでしょう?」
ウサギは微笑むような声で狼に言った。
「なにより、困っている友達に手を貸すのは友達のお仕事よ」
そう言われると狼も仕方ないと思ってしまいます。
「いいかい、僕の家に来るまで僕の姿を見失ってはならないよ。ここはとても危険なところなんだからね」
「わかったわ……でも、貴方の姿暗闇の中じゃ分かりにくいわ……」
ウサギは周りをきょろきょろと見回します。
すると何かを発見したようで近くの木の根元まで行くと何かを抜いて戻ってきました。
「ちょっと顔を近づけて」
狼は頭をウサギのところに近づけるとウサギの柔らかな前足が耳のあたりに触り何かをつけているのです。
ウサギの前足はとても器用なんだなあと感心していると「いいわよ」といわれました。