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ファック・トゥー・ザ・フューチャー

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 洋子が起き上がり、手櫛で髪を解く。シーツで毛深い股間を隠しながら、自分の煙草を引き寄せ、火を点ける。
「なに?」
「これから私、どうしたらいいかな…」
「うーん。どうかな。普通に結婚とかすればいいじゃん。美人なんだし」
 女は返事の代わりに煙を吐いた。
「そういうんじゃ嫌なの?」
「うん…」
「そっか」
「そんなに芸能人になりたかったんだ」
「うん…」
「なんで?」
 返事はまた煙だ。
「そっか」
 逸物の先に付いたティッシュの滓を指先で摘んで灰皿に捨てた。沈黙したまま矢吹は思う。もしかしたら目標があるだけ増しなのかも知れない。
「無理なんでしょ」
「無理だと思うよ」
「どうしよっかな…、これから」
 幸せな女だ。並以上の容姿に生まれれば、女は馬鹿でも生きて行ける。煙草を消して横になると、矢吹は逆に自分の将来に不安を感じた。退屈な毎日。安月給のルーティーンワーク。新しいコマーシャルが次々と生み出される空間に居ながら、スケジュールと金の管理ばかりの毎日。バブルが終わり、企業は広告費を削減し始めている。このまま不況が進めば更に給料が下がるか、場合によってはリストラの対象になるかも知れない。子供の頃に思っていた通り。きっと何者にもなれないまま年を取って萎んで行く。夢があるだけまだ増しだ。学芸会で主役を張った過去があるだけまだ増しだ。俄に、女が憎らしくなって来た。馬鹿女。どうせ今日で最後だろう。性欲が回復したらもう一回戦やってやる。もし巧く行けば、アナルセックスをしてみたい。この女なら、出来るかも知れない。手を伸ばしてさり気無く尻を触ると、洋子は拒む様に躰をずらして煙草を消した。
「一つだけ方法あるよ」
 アナルセックスは諦めた。別の邪悪な考えが矢吹の頭に閃いた。
「えっ何?」
「AV」
「えっ?」
 この女なら出かねない。陰毛の濃さまで知っている女がブラウン管の中で頭を掻き毟る様子を見てみたい。矢吹は起き上がり、女の目を真っ直ぐに見据えながら、もう一度言った。
「AV」
 溜息と共に洋子は目を伏せた。
「そっか…」
 泣きそうだ。泣いたらまた抱きしめて、どさくさに紛れてもう一発だ。
「そっか…やっぱり…それしか無いか…」
「え?」
「何回かスカウトされた事あるんだよね…。実は」
「そっか。そうなんだ…」
 曇った表情は、冗談には見えなかった。指先のささくれを噛む女。外反母趾気味の足指。剥がれ掛けたペディキュアを見詰める目は、完全に本気だ。
「やっちゃおっかな…」
 呟いた洋子は詰まった鼻腔から鼻汁の音を立てて息を吸い、今度ははっきりと言った。
「やっちゃおっかな」
 充血した真剣な瞳が、試すように矢吹を見ている。矢吹は息を呑み、人差し指の腹で鼻の頭の汗を拭った。
「ちゃっちゃえばいいじゃん」
「え?」
「やっちゃえばいいじゃん」
 直管の轟音が遠くに聞こえる。二十一世紀になっても暴走族は絶滅しなかった。女はまた溜息を吐き、二人はまた沈黙した。好い感じに垂れ下がっていた矢吹の逸物が、皮を被りながらゆっくりと縮んで行く。空気がカラカラに乾いている西東京の晴れた夜。窓を開ければきっと、オリオン座が見える。喉が乾いた矢吹は冷蔵庫から飲み物を出したかったが、仮性包茎を見られるのが嫌で我慢をした。女よりも先にパンツを穿くのは、矢吹の基準ではマナー違反だ。
「そっか…。それしか無いよね」
 掻き上げた長い髪が二本抜けて、白いシーツの上に落ちた。自分のベッドに女の髪の毛が付いている事が、矢吹には少し誇らしく思えた。
「でもホント良く分かったね…。全部知ってたんでしょ。スカウトの事とか…。不倫してる事とかも…」
「え? まあ…、そうだけど」
 腹の中で吹き出した。何処か不幸な感じがするのは男関係にも原因があったのか。顔がニヤつくのを堪えながら想像する。脂っこい髭面の四十男にねちっこく抱かれる洋子を想像すると、冷蔵庫に行ける状態になった。
「なんか飲む? って言っても烏龍茶と缶コーヒーしか無いけど」
「じゃあ烏龍茶。ありがとう」
 五百ミリリットルペットボトルの三分の一を洋子は一気に飲み込んだ。上下する白い喉。小学生の頃、牛乳が嫌いで、何時も鼻を摘んで飲んでいた洋子を、矢吹はふと、思い出した。
「ねえ、やったらホントに売れるかな?」
「そりゃあ売れるよ。AVから人気出てまずVシネに出るようになってそのままドラマとかバラエティとかどんどん仕事来るよ。」
「ほんと?」
「ほんと」
 洋子の顔がぱっと明るくなり、笑顔の口から赤紫の歯茎が露出した。笑顔が似合わない女だと思った。幸せは似合わないし、もしかすると死ぬまで不幸な方がこの女にとってはかえって幸せなのかも知れない。そう思える様な歪な笑顔だった。ドアの前に立っていた時の態とらしい笑顔、本気で笑う時の歪な笑顔。時間の流れに取り残された女。この女の破滅を見てみたい。
「うん。絶対だよ。見えるもん。テレビの中で早乙女が島田伸介といっしょに司会やってる」
「ほんと? やっちゃおっかな」
「やっちゃえばいいじゃん」
「協力してくれる?」
 洋子が顔を近付けてくる。潤んだ眼球。少し焦点のずれた目は、近眼なのかも知れない。
「え? いいよ。でも何を?」
「ちゃんと出来るか練習しないと。ほら、初めてだとちゃんと演技出来ないかも知れないから」
「演技って言ってもAVだよ」
 本音が出た。睨まれた。掌が汗ばんだ。
「でも最初からちゃんとやんないと、AVだけで終わりじゃないんだから」
「そっか。そうだね。でも俺、芝居とかやった事ないから練習相手になんないよ。俺じゃあ」
「監督になればいいじゃん」
「え?」
「なりたかったんじゃないの? 監督」
「え?」
「作文に書いてたじゃん」
「え?」



 二度目の性交が終わると冷え込みに朝を感じた。旧型のファンヒーターが唸りと共に噴き出す暖気が、すぐに冷やされて天井に貼り付いて行く。煙草の脂でベージュに変色した天井には茶色い染みがあって、矢吹にはその形が隠元豆の鞘に見えた。
 映画が好きだった子供時代を思い出していた。土曜日の夜は、必ず映画番組を観ていた。野球中継の延長を憎んでいた。マカロニウエスタンが好きだった。ジャッキー・チェンが好きだった。フィービー・ケイツに勃起した。大人になるに連れて、映画の好みが変わった。そう気付いて、自分にも少年時代があった事を自覚した。確かに、あの頃、映画監督になりたかった。