小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ファック・トゥー・ザ・フューチャー

INDEX|4ページ/26ページ|

次のページ前のページ
 

 あんな事さえしなければ。私は今頃学年主任ぐらいにはなっていた筈なのに。あの夜。修学旅行の夜。調子に乗ってあんなに酒を飲まなかったら。もっこりと膨らんだ少女の股間に手を触れる事など無かったのに。
「糞っ」
 田中雄三は黴で変色したプラスチックの洗面器に茶色い痰を吐き、鏡の中の中年を睨んだ。駄目な男。負け組。ちんかす野郎。変態。変態。変態。
「ああ。もう。どうでもいい。糞っ」
 使うティッシュペーパーは四枚と決まっている。蒲団の上に広げる位置も形も決まっている。暮れに歌舞伎町で買ったばかりのビデオ。正月休みに観ると決めていたロリータビデオをデッキに挿入し、決まった体勢をとる。
「ああ…。今年も、やっぱり、変わらんな…」
 左手に構えたリモコンでボリュームを上げる。じわりと汗をかいた右掌の中で、期待が形を変えながら膨らんでいく。
 さっちゃーん。ほらこっち。カメラの方向いてー。
 はーい。
 テレビの中。ブランコを漕ぐ極上の天使が、田中雄三に微笑みかけた。


 二千一年。
 正月。



 鼻の下に直径二ミリの黒子のある女と、新宿の居酒屋で酒を飲んでいる。
 携帯電話の出会い系サイトで知り合った女。そんな所に黒子のある女は、きっと嫌らしいに女に決まっている。
 女は生グレープフルーツサワーを。向かい合う矢吹丈一は生ビールを飲んでいる。
 会う前に二十歳だと言っていた女は本当は二十五才かも知れないし、二十五歳だと嘘を吐いている矢吹は今、三十歳だ。
「ふーん。そうなんだ。いつもはどの辺で遊んでるの?」
「大体渋谷が多いけど、新宿もたまに来るよ。西武新宿線の友達結構いるから」
「ふーん。そっか。いつも大体何して遊んでんの」
「うーんやっぱ飲んだりとか普通だよ。カラオケも行くし」
「そっか。カラオケ好きなんだ。いつも何歌うの?」
「なんだろ。最近だとやっぱあゆとか」
「ふーん。そっか。酒は結構強いの?」
「うーん。そんなでもないよ。すぐ真っ赤になっちゃうし。嫌いじゃないけど」
「そっか。言われてみればもう赤くなってるかも」
「はは。やっぱり」
 くだらない会話を交わしながら今後の計画を立てる。居酒屋の次はカラオケに決めた。黒いタートルネックのセーターを着た女は痩せている割に胸が張っていて、一重瞼でエラの張った顔のマイナスポイントを体で完全にカバーしている。嫌らしい体。二十一世紀の始まりにメールナンパで知り合った男と会うような女だ。カラオケボックスで二人きりになれば自然な展開でその体は俺の物になる。大晦日と違って今日は正月だ。電車は一時には終わる。田舎者達はみんな帰省していてラブホテルもきっと空いている筈だ。
「でもなんかほんと俺びっくりしちゃったよ」
「え、何が?」
「いやもっとほらブスっていうか期待してなかったからこんな可愛い子が来ると思ってなかったからさ。いやほんと可愛いね」
「え、そんなおだてないでよ」
 生グレープフルーツサワーお代わりした女の頬が赤くなっている。一重の細い目は潤み、焦点が少しずれている。
「いや全然おだててないよ。超好みのタイプだよほんと。愛ちゃんはどんなタイプが好きなの?」
「うーんやっぱ年上で優しい人かな」
「それって俺じゃん」
「はは。そうかも。そうなの?」
「俺言っとくけど滅茶苦茶優しいよほんと。家に捨て猫五匹も飼ってるもん」
「はは。また嘘ばっかり」
「ばれた? でもほんと優しいよ俺。ちょっとトイレ行って来るね」
「うん」
 チャックを下げて勃起した逸物を取り出す。我慢の限界ギリギリで飛び出した尿は、圧迫されて狭まった尿道で二方向に枝分かれし、激しく便器を叩いた。
 行ける。今日は行ける。
 左を向く癖のある逸物をパンツのゴムで垂直方向に固定し、セーターの裾を引っ張って膨らみを隠す。髪型を手櫛で整え、目脂を払い落とした。
「よしっ」
 席に戻ると女は手鏡で自分を見ている。矢吹にはそれが醜い自分の顔を少しでも綺麗に見せて今日知り合った男を夢中にさせ一発決めようと企む女の可視化した性欲そのものに見えた。
「お待たせ。どうする? お代わりたのむ?」
「うーん。じゃあもう一杯だけ飲もっかなぁ」
 偽物である可能性が高いモノグラムのショルダーバッグに手鏡を仕舞いながら、濡れた目で女が笑う。
「同じのにする? 違うのにする? どうする?」
「うーんちょっと違うのにしよっかな」
「じゃあ俺も違うの飲みたいからこれもう飲んじゃお」
 ジョッキの底に十センチ残ったビールを男らしく飲み干したその時、小型犬の鳴き声が三回。女がショルダーバッグの口を開き、中を覗き込む。
「ずいぶんちっちゃい犬飼ってるね」
「はは。ちょっとごめんね」
「いいよ、気にしないで。おもしろい着信音だね」
「はは」
 沈黙。高速で動く親指。女がメールを返す間、矢吹丈一は田舎の善良な農民が小銭を貯め込んで遊びに来た東京浅草雷門の前で突然黒人に道を聞かれた時のような中途半端な笑みを浮かべながら、女がメールの返信を終えた後、最初に話す話題を探した。
「メール好き?」
「え?」
「メール好き?」
「うん。まあ好きだよ」
「メル友何人ぐらいいるの?」
「いっぱいいるよ。でも毎日メールするのは八人ぐらいかな。今日もこの後約束してるし」
「ふーん。え? この後って?」
「ほらさっき言ってたじゃん。西武新宿線に結構友達いるから」
「え? それでその友達とこの後会うの?」
「そうだよ」
 女が平然とそう言ったのと同時に、また犬が鳴いた。
「何時から?」
「九時だよ。ちょっと待ってね」
 女が届いたメールを開いた瞬間、口元の黒子が小さく斜め上に動き、心がここに無いのが分かった。矢吹はテーブルの下で隠すように腕時計を見た。腕の下にある逸物はまだ、硬いままだ。八時四十分。お代わりを頼むかどうかは、微妙だ。
「なんだ…、なんかちょっとがっかりだな。さっき会ったばっかりなのに」
「はは。そうだね。ごめんね」
「友達断れないの?」
「ごめん。それは無理かも」
「そっか…」
 首を絞めてやりたいと思った。テレクラや出会い系サイトで事件に巻き込まれる女が増えているとマスコミで騒がれ始めて久しいが、きっとその内の半分以上はこんな気違い女が関与している。
「じゃあ明日とかまたゆっくり遊ぼうよ。正月はバイトとかも休みなんでしょ?」
「ごめん。ちょっといっぱい予定入れちゃって当分空いてないんだよね。ほらお正月ぐらいしか会えない友達結構多いし」
「そっか」
 空いてない。
 矢吹はその言葉を憎んでいた。興味の無い男の誘いから逃げる時、女は決まってこの言葉を使う。たかがフリーター風情が。予定が一杯で、空いてない。
「じゃあ電話教えてよ。落ち着いたらカラオケでも行こうよ」
 無理矢理爽やかな笑顔を作った瞬間、また犬が鳴いた。
「はは。いいねカラオケ」二つ折りの携帯電話を片手で開きながら女が言う。「またメールしてよ。わたし電話苦手な人だから」
 電話を取り上げて、真っ二つにへし折ってやりたい。作り笑いを貼り付けたままの顔が急激に赤く熱を帯びていくのが、自分でも分かった。
「ごめん。友達新宿着いちゃったみたいだからそろそろ行くね」