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ファック・トゥー・ザ・フューチャー

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 集合時間の十時まで、あと四時間。ベッドの上で横になって、意味無く陰部を弄った。駅前のラーメン屋は、もうやっているだろうか。何故かやっていない気がした。多分営業は明日、一月五日からだ。
 起き上がって歯を研き、浴槽を洗い、久し振りに湯船に浸かった。気が付くと鼻歌を歌っていた。近藤真彦の、すにーかーぶるーす。何故そんな旧い歌が浮かんだのか自分でも可笑しくなり、笑いながら歌った。
 男と女の別れの歌。それは自分を美化する事が許される一握りの美男美女達と、自分を勘違いした大多数の豚の為にある物で、自分に取っては関係の無い物だと子供の時から思っていた。中途半端な容姿の自分が中森明菜と付き合える筈がないと、子供の時から分かっていた。大学生になって、自分が思っていた通り中途半端な容姿の女と付き合い、ディズニーランドに行きたがるその女にディズニーランドに行かなかった事を理由に振られて以来、恋愛を馬鹿らしいと思うようになった。中途半端な女の機嫌を損ねない様に暮らすより、気の向いた時にヘルスに行く方が幸せだった。
 長湯でふらつく体を拭いて、黒い服に着替えた。煙草を立て続けに二本喫って、灰皿を洗った。爪が伸びている事に気付き、切り終えても、まだ八時を過ぎたばかりだ。
 矢吹は我慢出来ずに部屋を出た。パルサーライトのペリカンケースを抱えて歩道橋を渡り、吉野屋で牛丼の並盛を食べ、駅前の喫茶店で百五十円のコーヒーを注文した。薄いオレンジと白いストライプの可愛い制服を着た店員は、贔屓目に見ても四十代前半で、店内を掃除している背の高い男は、どう見ても日本人ではないし、ブラジル人でもない。ベルサーチに似たロゴの入ったジャージを着て金色のブレスレットを填めた中年の客が、伸ばした小指の爪で鼻糞を穿っている。窓の外に見えるカラオケボックスの入口に、高校生が溜まっている。人数分の肉まんと缶コーヒーを買って戻ってきた少年は多分苛められっ子で、その証拠に彼の分の肉まんは無い。肉まんを買う為だけに呼び付けられたのか、彼は用が終わると群を離れ、猫背で歩く後ろ姿に嘲笑を受けている。矢吹は家に帰って泣きながら口に何個も肉まんを押し込む彼の姿を想像した。その想像が正しければ、彼の肥満の原因は、そこにある。
 九時三十分。小学校まで、ここから五分。まだかなり早いが、矢吹は喫茶店を出る事にした。年増の女店員に金を払い自動ドアを出た所で穴の空いたダウンジャケットから羽を撒き散らしながら歩く浮浪者と擦れ違った。働かない若者と働けない大人。裕福な家に育った肥満体の苛められっ子と母子家庭の苛めっ子。浮浪者を避けるようにして目の前に差し出されたピンサロのティッシュを受け取り、ポケットに仕舞う。
 途中で通り過ぎたラーメン屋の電気は、やはり消えていた。



 待ち合わせの場所、小学校前のコンビニでは、吉田がエロ漫画を立ち読みしていた。足下には金属バットのグリップがはみ出した旅行鞄と、恐らくは電気ストーブが入っているであろう持ち手の付いた段ボール箱が置いてあり、少なくとも三日間は連続で穿いているジーパンの股間は、言い訳の出来ないくらいに勃起している。大きなペリカンケースを持った矢吹が近付くと、気配に振り返った吉田は、嬉しそうに頬の筋肉を弛め、「一時間も早く来ちゃったよ。」と笑った。
「早乙女さんはまだだよね」
「うん」
 硝子の向こう側に嘗ては無かったフェンスで囲われたグランドが見える。死角になって見えない体育館の中では、田中が先行して準備を進めている筈だ。矢吹は草食動物の様に用心深く耳を澄ませながら体育館のカーテンを閉めて行く田中の姿を想像した。田舎の分校でもあるまいし、今時宿直なんてあり得ない。田中はきっと、カードキーでセコムの警備を切り、新学期が始まった後、それが発覚した場合の言い訳も、入念に考えているに違いない。撮影を今日にした理由は恐らく、正月休みで警備員が不足した時期を狙った事と、単に一日でも早くやりたかったからだろう。大手のコーヒーチェーン店に、外人と年増しか居ない時期。田舎者が帰省から帰ってぐったりしている夜中に、変態教師が学校に忍び込んでいる。
「なんか懐かしくねえ? 小学校来るなんて久し振りだよ」
「そうだね」
「お前同窓会とか行ってた?」
「行ってない。吉田君は?」
「全然。出世してねえもん」
「そっか」
「お前休みの日とかいつも何してんの?」
「別に、寝てるよ」
「俺も。普通そうだよな。女とかいるの?」
「いないよ」
「なあ。矢吹」
「ん?」
「今度遊びに行こうぜ」
「いいよ」
「洋子遅えな」
「うん。でもまだ、二十分ぐらい前だよ」
 二人は同時に店内の時計を見た。おでん鍋にはんぺんを補充している店長の視線を感じた二人は何となく落ち着かなくなり、吉田の提案で煙草を喫いに外へ出た。

 二人がポケットから煙草の箱を取り出すのを、早乙女洋子は電柱の陰からじっと見ていた。主役がスタッフよりも早く現場にいた事は、今までのエキストラ人生の中で一度も無かった。十時になって準備が整い不測の事態が無ければ、矢吹の携帯に田中から連絡が入る。洋子は矢吹が電話を耳に当てる瞬間に、登場する事に決めていた。ワイヤーの跡が付かない様にノーブラにした乳首が、寒さで勃起している。二人に釣られて銜えた煙草を持つ指先が、小刻みに震えた。
 退屈凌ぎに携帯電話を開く。メールを打つ相手は、もう居ない。洋子は不倫相手からの受信メールを、一つずつ消して行った。四十を過ぎた金髪男からの絵文字を多用したメールは甘い誘い文句のオンパレードで、日付を遡る毎に騙されて来た経緯が暴かれて行く。親指を高速で動かして、過去を消して行く。
?とりあえず会わない??
?やっぱ主役の女の子の事務所絡みでダメみたい。またいい話あったらまわすよ?
?とりあえず説明とかしたいから会ってメシでも食わない??
?今度知り合いのディレクターがやってるドラマのオーディションがあるんだけど出てみない??
 潰しても潰しても現れる男のメールを一括消去して、電池残量表示の一段階減った電話を閉じた。視界の隅に電気の消えた小学校。懐かしい。あの頃に戻りたいと、ずっと思っていた。洋子に取ってそこは、人生をリセットする最適の場所に思えた。
 鼻水を啜り、冷えた体をさすった。コンビニの前の二人も、同じように両手で体を抱え、肩を竦めている。矢吹が左腕を翳すのを見て、洋子も腕時計を確認した。十時五分前。三人はまた、同時に煙草を銜え、ほぼ同時にそれを踏み潰した直後に、矢吹のポケットから在り来たりな着信音が響いた。
 来た。
 洋子は一旦踵を返して七メートル二人から離れ、背筋を伸ばして息を吸った。
 今から、人生が変わる。
 今日から、私は、スターになる。
 誕生。
 スター、誕生。
「ルナ…。ルナ…。今日から、わたし、ルナ…」
 早乙女洋子は、颯爽と歩き出した。一昨日の夜から考えていた新しい芸名。ルナ。月と書いてルナと読む。矢吹が電話を切ると同時に二人の前に現れたルナは、唇を半開きにして、シャンプーの香りの残る黒髪を掻き上げた。
「おまたせ」